第28話 緊張

「お待たせ、鷹岡くん」

 

 ヒラヒラと白く細い手を振って待っていた僕にツカツカとヒールの音をたてながら一人の女性が近づいて来る。すれ違った男性二人組が振り返る様子が見て取れる。それほどにその女性、犬塚さんの今日の装いはハッキリ言って可愛すぎた。

 

 花柄のロングスカートに無地の白シャツが映え、バスケットの様な鞄が夏らしさを醸し出す。そして何より彼女が近づいた時に香るコロンが鼻腔をかすめて——

 

「そんなにじっと見つめられても何も出ないよ?」

 

「うえっ?! あ、ごめんなさい」


 僕の反応を見て彼女は口許に手を当ててクスクスと笑った。気温も相まって更に僕の体温は上昇していく。

 

「はぁ、笑った。ふふ、鷹岡くんってやっぱり面白い人だよね」

 

「……そんな風に言うのは犬塚さんだけだよ」

 

「そうなの? うーん、でも梓……あ、この前席の一緒の席に座った子覚えてる?」

 

「あぁ、えっと、石亀さんだっけ。ずっと睡魔に負けてた人」

 

「睡魔に……ふふ、そうだね。そう、その子」

 

「石亀さんがどうしたの?」

 

「あの子も、鷹岡くんの事面白いって言ってたよ?」

 

「……え、全然話さなかったよね?」

 

「話してないけど……って、こんなところで立ち話もなんだし、早速行こっか!」

 

 上目遣いににこっと笑った犬塚さんは踵を返し僕の数歩先を歩き始める。僕は急いでその半歩後ろをいそいそとついて行った。

 

 ついて行ったのだが——

 

「うわぁっ! 全然当たらないんだね、これ!」

 

「……えーっと」

 

 僕はこめかみの辺りをぽりぽりと掻きながらその場に似つかわしくない出立ちの犬塚さんを後ろから眺めていた。バットを構える姿まで絵になってしまうのは本当にどうかと思う。

 

 真上に設置されていたエアコンから出てくる冷気に当たりながら僕は状況を一つ一つ整理していく。幸いこの冷気が僕の思考をクリアにしてくれた。

 

 まず僕は犬塚さんから僕宛にメッセージが届いた。

 

『こんにちは。急にごめんね。突然なんだけどこの前のお礼をさせてくれないかな? 暇な日を教えてくれると嬉しいです』

 

 この通り犬塚さんはどうやらあの時のお礼がしたいということらしく、考えておくと言っていたのでその目処が立ったということになる。そしてそのメッセージから約一週間後の日曜日、つまり今日を僕は指定した。

 

 バイトは無いしそれに大多数の人が休みの日曜日は指定するにはもってこいの曜日だったはず。案の定、二つ返事で了承を得た。という事で今日はそのお礼が何かしらの形であるはずなのだが、今いるこの場所は何を隠そうバッティングセンターなのだ。

 

「……これは一体どういう事なのだろうか」

 

 やはり冷静になって考えてみても尚わからない。何故にここに連れてこられたのか。

 

「もう、顔が修行僧みたいだよ?」

 

「あ、あぁ。ごめん」

 

 一通り打ち終わった犬塚さんが小悪魔みたいな笑顔を称えながら空いている僕の隣の席にちょこんと座る。冷気を浴びようと犬塚さんは顔を上げると首筋にはほのかに汗をかいているようだった。

 

 自販機で買った飲料水も流石に水滴が流れ落ち底で小さな水溜りが出来ている。くいっと蓋を開けて飲む姿を横目に感じながら、僕はぼーっと初心者のバッターたちを見る。犬塚さんが水を飲み下す音が聴こえる。

 

 どうしよう、会話がない。

 

「どうしてって顔してるね、鷹岡くん」

 

「え?」

 

 心の中を読めるのではないのかと思うほどのタイミングで犬塚さんは僕の様子を伺ってくる。

 

「これのどこがお礼なのかって言いたげだね」

 

「……っいや、別にそんなこと思ってないよ」

 

「ふふ、いいの。私もそう思うから。でも——」

 

「……でも?」

 

 まるで空を仰ぐようかに、ふぅーっと息を吐いて天井を見上げた。その横顔を僕は盗み見た。

 

「普通の事がしたかったの。私を知ってる人と普通に、普通の事を。くだらない事で笑ったり泣いたり、みんなが通ってきた道を私も通りたかった。ただそれだけ」

 

「犬塚さん……」

 

「ふふ。なんてね」

 

 そう言うとスッと立ち上がって伸びをする。諦めきってしまった彼女に僕は今何が言えるのだろうか。

 

「犬塚さん!」

 

 考えるよりも先に僕は彼女の腕を掴んでいた。というより掴んでしまった。な、何をやってるんだ僕は。突然腕を掴まれた犬塚さんは当然驚きを隠せないようで、大きな瞳が見開かれていた。

 

「あ、あの。えっと、い、行きたいところがあるんだ」

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