第27話 余韻 ~side柚葵②~

熱はとっくに下がっているのに未だにぼーっと鈍い感覚のままのような気がする。でも体はいつも通り爽快なのでこれは気持ちの問題なのだと悟る。

 

 大学の講義は三限目。予習もしっかり済ませてあったので一瞬気を窓の外へと移す。

 

 窓の外から見える空は澄んでいて雲の厚さが良くわかる。もうすっかり夏空だった。蝉が一閃、不穏に飛んでいった。

 

 視線を前方に移すと私の右斜め前の席の女の子が隠れてスマホをいじっている。この角度だと寝ているようにも見えるので常習犯だろう。

 

 その様子が私を刺激したのだろうか。私も倣ってスマホを鞄から取り出して電源をつけた。

 

 両手で事足りる友達の中から彼の名前を攫う。掬い上げたその人とのトーク画面に飛んで意識を集中させた。

 

 最後のメッセージは丁度お見舞いに来てくれたあの日に彼から送られた「お大事に」という言葉のみ。

 

 それなのに何故か私は素っ気なくスタンプだけしか返さなかった。適切な対応をしなければならないという使命感と迷惑をかけてしまった申し訳なさが同居して結局このような形になってしまったので、やっぱり私はダメだなと落ち込んでしまう。

 

 ——何で返せないんだろう。

 

 私はそれをずっと考えていた。

 

 たった一言「ありがとう」でいい。たったの五文字、たったこのこれだけ。スマホの初心者だって直ぐに打てる感謝を示すその言葉。私はそれがあの時出来なかった。

 

 風邪を言い訳に私は盾の後ろに隠れてる臆病者の兵士になった気分だった。みんなは勇敢に攻めているのにも関わらず私はビクビクと相手を気にして自分だけを守る臆病者。例え勝てたとしてもそんな奴に勲章なんて与えられるはずもないのに。

 

 何が私を堰き止めているのか。そればかりを考えてはやめて考えてやめを繰り返している。どんな予習をしたら問いの解を得るのだろうか。

 

「今日、彼氏とデート無しになったわ」

 

 私の模範生となった子が隣の席の友人にこそっとそう告げた。それに気がついたのか隣の子も模範生の方を見た。幸い授業は程よい音量で行われていたので気づかれることはなさそうだった。 

 

「え、マジ? ドタキャン?」

 

「うん、そうみたい。バイト先からシフト入ってくれってあったらしくて断れなかったらしい」

 

「うわぁ、真面目だねぇ。彼氏」

 

「いやいや、多分金欠なんだと思う。最近のデートは八割ファミレスだし」

 

 私とは全く違う世界が眼前に広がる。もしかしてここは異世界だったのかと疑ってしまうほどに、彼女たちは私とは違う世界を生きていた。服装だってそう、私とは違い華やかで所謂男子ウケが良さそうな装いで、無難なカジュアルな服装を好む私とは根底から違った。それに髪の毛の色も一度も染めたことのない私と違い二人ともほのかに主張する茶色がアクセントになっていて余計に大人っぽさを演出していた。

 

 だから彼女たちの会話が私には無関係に思えて仕方なかった。それなのに何故だろう、彼女たちの会話から意識を逸らせなかったのは。

 

「でもさ、最終的にさ真面目なぐらいが良くない? 金欠でも物事に真面目に取り組んでくれる人のがいいわ」

 

「いやいや、違うよ。あいつバイトして稼いだお金、大半酒に使ってるから。残りの端金を私とのファミレス代にあててんの」

 

「うえ、マジ? それはちょっとないわ」

 

「まぁ、何に使ってもいいけどさそこまで必死になられると若干引くっていうか、なんというか。結婚までは絶対にいかないし、もう別れちゃおっかなぁー」

 

「あー、それなら別れたほうがいいかもね。未練タラタラなのも嫌だし早めにきりつけたら?」

 

 そして繰り広げられている恋人論争は終着点へと収束していく。模範生の彼氏は別れを告げられる運命を辿るという帰結に至る。残念だが仕方ないことらしい。彼女にとってはそれほどでもなかったという。

 

「鷹岡くんにはいるのかな」

 

 私から出たその言葉が私の事を惑わせた。反射的に出た言葉に私は驚いてハッとする。

 

 言葉を理解した時に私は言い知れぬ何かが既に私の中に根付いている事に気付かされた。そしてこれがきっと私を堰き止めている何かなのだ。


 口をぎゅっと結びスマホを閉じる。体温だけが上がり続け落ち着かない。それからの時間は一切授業に集中など出来るはずも無かった。

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