第21話 風邪①
「ありがとうございました!」
慣れない接客も一年経てば習慣へと変わっていく。今では苦手意識も僅かだが無くなってきているような気がする。
とは言え今日は人も多ければ、人数も一人少なかったので忙しかった。
僕はいつもいるはずの隣をチラッと見る。いるはずもないのに、面影を追ってしまう。
「今日、猫崎さん休みだそうだよ」
猫崎さんが休みなんて物凄く珍しい。どんな寒い日も、どんなに暑い日も、例え嵐でも開店していれば出勤していたのに、今日という本当に普通で何も無い日に休むのは本当に珍しい。大事なことなので2回言いました。
「どうやら、風邪ひいてしまったみたいでねぇ」
「風邪かぁ」
僕は思わずボソッと呟く。口からポロッと出てしまったので、慌てて辺りを見回す。幸いにも誰もいなかったようだ。
そう言えば最近、大学でもマスクをしている人が増えたような気がする。唯一の友人こと、魚住もこの1週間風邪でダウンしていたし。
「流行ってるんだなぁ」
ゲームの感想の後から僕らのトークは止まっていた。猫崎さんの返しは「こちらこそ、ありがとう」という短文と猫のスタンプという、何とも返事に困るもので、結局そこから話を広げることは出来なかった。
でも、猫崎さんらしい返事に何だか納得してしまっている自分もいるので、何とも言えないもどかしさが僕の中で積もる。
「鷹岡くん、ちょっといいかな?」
「あ、はい!」
店長が手招きされて、僕は一旦レジから離れてバックヤードに向かう。
バックヤードには僕と店長だけがいる。いつもの光景ではない。
「鷹岡くん、申し訳ないんだけど、今日はここで店を閉めてもいいかね?」
「あ、はい。大丈夫です。大丈夫ですけど、どうされましたか?」
突然の事で驚いたけれど、バイト自体が無くなる事は僕にとって何の問題も無かったので、店長に理由をきいた。
「うーん、妻がねぇ体調崩しちゃって。かく言う僕の体調も万全じゃなくてねぇ。ほんと、歳をとるのは嫌だなぇ」
今の今まで何ともないように振る舞っていたけれど、実際のところそうではなかったらしい。気づかなかった事に申し訳なさを感じてしまう。
「だから、明日も大事を取ってお休みすることにするよ。猫崎さんも体調が良くないみたいだしね」
「わかりました。店長、お大事になさってください!」
はいよと店長は手を振って、戸締りの準備を始める。僕もそれを手伝って終わり次第、本屋を後にした。
「うーん、しかしどうしたものか」
今日に限ってシフトが午後の三時から六時という、いつもとは違う時間帯で、ただいまちょうど四時を回ったところ。僕はやる事を失った。
僕もどうせなら体調が悪くなればとよからぬ考えが過るが、僕の場合きっと一週間ぐらいは寝込むことになってしまうので、今後こういう事は考えないようにしよう。
「これは業務連絡。業務連絡だ」
道端で急に立ち止まり、役目を果たしていない通話アプリを開く。トークしていた人数が少なすぎて、最早清々しい。
その一番上に君臨する、猫のアイコンをタップしてトーク画面へと切り替える。最後のスタンプが愛らしい。
今日は業務連絡がある。僕には明確な目的がある。勿論、店長からも連絡は行くかもしれないけど、それはそれだし、これはこれだ。
「こんにちは!多分、店長からも連絡が来るとは思うんだけど、明日は本屋自体をお休みすることになったので、猫崎さんもしっかり休んでください。体調はどう?」
見てもらえればそれでいい。それでいいのに恥ずかしい。何だこれ。
「これで、いいよな?」
僕はスマホをポケットにしまい。駅に向かう。
まっすぐ素直に帰ればいいんだけれど、なんせ僕には時間が有る。だから。
そう思った僕はこの前猫崎さんが連れて行ってくれた公園へと足を運ぶ事にした。
前回来た時とは違い、公演がしっかりと公演の役目を全うしている。子供たちが園内を楽しそうに駆けている姿にほっこりしてしまう。
途中で缶コーヒーを買って園内のベンチに腰を掛ける。今日は比較的涼しく過ごしやすい。そろそろ夏なのにと思ってしまうほど。
皆すっかり衣替えを済ませ半袖姿になっていた。僕も僕とて半袖だ。
コーヒーのプルタブをくいっとあけてコーヒーを一口。冷たいブラックコーヒーが喉に染みる。ぷはーっと言いたかったけど、おっさんくさかったので止めた。
雲の多い空をぼーっと見上げる。分厚い雲の隙間から光が差して、まるで後光のようだった。そんな事を考えていた時に、なんと僕のスマホから通知音が響いた。あまりの衝撃にえ?と大きな声を上げてしまった。
どうやら猫崎さんからの返事の様だ。僕は急いで開き内容を確認する。
「ありがと。了解です。体調は、あまり良いとは言えないかも?」
お礼と共に付け足された文が気になる。体調がどうやら芳しくないらしい。
「大丈夫?食べる物とかある?」
何気なく聞いたら直ぐに既読がついた。どうやら今僕たちはオンタイムでトークをしているようだ。
「私は必要ないんだけど、弟たちの分がない、かも」
自分のことよりも弟と妹のことを心配するなんて、どこの姉もそんな感じなのかな。
「買ってきて欲しいものがあれば、僕が買いに行ってこようか?」
暫くのラグがあった。そして僕は自分のうった文章を見て一気に恥ずかしくなる。これじゃあただの彼氏と彼女じゃないか!
お願い猫崎さん。こんな事を言うのはおかしいことだけど、どうか僕のこの誘いを断ってください。でなければ恥ずかしすぎて今にも爆発してしまいそうです。
「じゃあ、お願いしようかな。一度家に来て?」
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