第20話 真白 ~side萌香②~

あぁ今日も目が覚めてしまったとため息が溢れる。願わくばこのまま永遠に眠り続けていたい。


 近くにあったサイドテーブルは埃ひとつ見つからない。その異質さを改めて教えてくれた。


 サイドテーブルに置いてあったスマホを見る。通知が三件。全て神郷くんから。


「ごめん」「本当に悪かった」「友達としてでいいからまた仲良くしてくれない?」


 私は返信をすることなくスマホを閉じた。


 息苦しい白い部屋から一階にあるリビングへと向かう。家政婦の沖兎さんが私を見るなり挨拶をする。


「おはようございます、お嬢様」


「お嬢様はやめてください、沖兎おきとさん?」


「いいえ、やはりそんなことは出来ません」


 諦めたように笑って、私に代わりドアを開く。


 全てが白。純白すぎて、もう眩しい。視界に入れたくなくても入ってくる。あぁ、鬱陶しいな。


「萌香、早く席に着きなさい。お父さんがお仕事に向かわなければならないから」


「はい、お母様」


 長い大理石のテーブルの真向かいにお父様、その近くにお母様が席に着いていた。


 こんなに広いのに三人しか使わないなんて、無駄以外に何があるのだろうか。冷たい椅子が私の気分を更に冷たくさせていく。


 私が何も言わずとも朝食が一斉に運び込まれてくる。朝から、それに休日にこんな量、本当に無駄。色とりどりの朝食に、何のありがたみも感じないまま私は食べ進める。


 咀嚼音すら響いてしまうほど静かで荘厳で、息が詰まる吐き気がする。


「萌香」


 名前を呼ばれて体をビクリとさせた私は、お父様の方に視線を向ける。呼んだ私のことを見るのではなく、英字新聞を広げながらの片手間で私に言った。


「何故、この前は遅れたんだ?」


「すみません。友達と話し込んでしまって」


「何故、時間管理が出来ない?」


「すみません。あの日はどうしても」


「何故、お前は私は失望させる?」


「……すみません」


「次はないぞ」


 そう告げたお父様は新聞をパタリと閉じて椅子から立ち上がる。沖兎さんが持ってきたジャケットと鞄を手に持って部屋を後にする。


 残された私とお母様の間で会話を交わすことはないまま、ただただ朝食に向き合った。




 午前は家で紅茶を飲む。白いレースフラワーの絵柄が特徴的なベリルグリーン色のティーカップに飴色の紅茶が注がれていくのを見るのが好きだ。香りが広がり幸せな気持ちになれる。そしてほんの一瞬、何もかも忘れられる気がするからだ。


 一点を除いて、白で統一された私の部屋は何度見ても気持ち悪い。生活感が一切感じられない。小さな部屋でも、梓の借家の方がよっぽど生きてる感じがするのに。


 私は唯一の黒、私の部屋に置かれたピアノの鍵盤蓋を開いて椅子に座る。


 一音一音、意味もない旋律でポンポンと引いていく。今ではすっかりピアノと離れてしまっていたが、たまに聞く音はやっぱり心地良い。


「萌香、入るわよ」


 ノック音と共にお母様が部屋に入ってくる。ノック音とヒールの音はとても不快だ。


 丸いテーブルにお母様用のティーカップを出して私と同じ紅茶を注ぐ。終始その様子を見たままお母様は何も言わない。


 一拍置いて、お母様は静かに口を開いた。


「何度も言ってるわよね?門限ぐらいちゃんと守りなさい


「……はい」


「七時以降は正式な理由が無い限り認めていません。私が納得するような理由でしたらお父様に伝えても構いませんが、どうですか?」


「……いえ、結構です」


 紅茶を一つ飲み干すと、重い溜息がお母様から溢れてくる。私たちの会話は平行線を辿る。交わることなんてないのだろう。


「貴方はこの家の長女なのだから自覚を持ちなさい。ご学友を大切にするのはいいですが、所詮は一般の家庭です。私たちとは全く違います。その事だけはしっかりと覚えておきなさい」


「……はい」


 お母様は紅茶を飲み切る事なく私の部屋から静かに立ち去った。嵐が過ぎ去り、私の心まで酷く荒らしていった。おかわりなんて飲める気分では無くなってしまった。


 忠実な犬になんてなりたくない。なりたくてその道を選ぶ人なんて居ない。私だって出来る事ならしがらみから解放されて、この家を出て行きたい。何にも関係ないところで自分らしく生きて行きたい。


 どうやら私の家では、それは不可能な事らしい。


 私は勉強机に置いてある一枚の写真立てを見る。十年前の写真。この頃が一番私が、私たちでいられた時期。


 長い髪の女の子と、短パン姿の幼い男の子がお母様の手を握り、ピースサインを浮かべていた。あの時を思い出しては涙が出そうになる。


「もう、十年か」


 私は背もたれに背を預けて天井を見上げた。シミ一つ見つからないのが、更に私を一人にさせた。


「……誠」


 今は亡き弟を想い、私は再び勉強ノートに向き合った。

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