第17話 訪問

 某月某日、僕は姉さんの家を訪れていた。


 寂しい


 とだけ毎日のように短いメッセージが送られてくると、なんだか僕も姉さんが可哀想に思えてきてしまったので、根負けした僕は金曜日の夜に一泊だけすることにしたのだ。


 アルバイトは当然お休みすることになってしまったのだが、理由を聞いた店長が土曜日もと提案してくれたのだがそれは断った。姉のことだけで流石に気が引けるので。


 僕の下宿先から電車で三十分。多くの建物が林立するなかで突如現れる小さめのアパート。薄いピンクベージュの外装が一瞬都内である事を忘れ去れる。セキリティも少し甘めで心配だと母さんは言っていたが、本人は大丈夫とのことでそれ以上深く言及出来なかった。


 外装とは裏腹にアパートの名前はひまわり荘。そこの3階の5号室が姉さんの部屋となる。


「いらっしゃい、悠くーん」


 ガチャリと扉が開いて出迎えた姉さんは僕を見るなり直ぐに抱きついてきた。せめて部屋の中でしてくれないかな。


 築三十年にしてはそこそこに、綺麗好きな姉さんの部屋は今時の女性と言った様に、きっちりと纏っていた。ベッドにテーブル、テレビに鏡面台。どれもしっかりと手が行き届いていた。


「悠くん、紅茶でいい?」


「うん、ありがとう」


 慣れた手つきで準備が進む。料理上手な姉さんにとってこれぐらいは朝飯前ってところか。無駄の無い動きを盗み見る。


 お湯を沸かし終えるとカップに注ぎ、ぶわっと香りが広がる。コーヒー派の僕だかたまの紅茶もいい。


 姉さんの部屋から月が見える。今日は満月だ。雲一つない晴天だったのでより輝きを増していた。


「大学はどう?」


 ティーカップを僕に差し出すと、小さな猫型のテーブルに対面する形で座る。座布団がウサギ柄で可愛い。


「うん、まぁぼちぼちかな?」


「この前の小テストは大丈夫だった?」


「……なんとか、ね?」


「ふふ、そっか」


 すうっと一口飲み込むと、姉さんは両手でカップを持ったまま、琥珀色の表面をじっと見つめていた。


「姉さんこそ、仕事はどう?」


 僕はさりげなくきいた。


 姉さんは都内にあるIT企業でエンジニアとして働いていた。僕の家系は姉だけ理系で、進んだ大学も都内で有数の名門国立大学だった。


 おっとりした姉の風貌とエンジニアっていうのは直ぐに結びつけるのが難しかったが、パソコンを前にした姉はいつもと別人で、さらさらっと処理する姿は尊敬しかなかった。


 今日は金曜日、そんな事もあって既に出来上がっているかと思っていたが、そんなことはなかった。どうやら一人で飲むのは違うとのこと。何が違うかわからないが、あと数ヶ月で僕も仲間入りが出来そうなので、自分で体感してみよう。


「そうねぇ、あ、ぼちぼち?かな」


「む、それじゃあ全然答えてない」


「悠くんも、ちゃんと答えてないよ?いいの?ブーメランだよ?」


 もっともな事を言われかえされてぐうの音も出ない。


 気を紛らわそうと紅茶を飲もうとしたらもう既に空だった。無言で姉さんがおかわりを待つ。やっぱり敵わない。


 無音も何だからと、姉さんはテレビをつけて某音楽番組に変えた。特に好きなアーティストがいる訳ではないらしいが、流行を知ることは大切よ?と姉さんが言うので僕もそれに従う。


 今流行りのアーティストたちスタジオに入ってくる。知っているアーティストは一組しかいなかった。流石に今時の大学生がこれじゃあ不味いと思う。


「下積みはあったとしても、やっぱりお金を一瞬で稼げるのかなぁ?」


 どんな人間でも必ず一度はお金持ちになりたいと考えたことがあるだろう。僕も一回でいいから豪遊してみたい。相手はいないけど。


「やっぱり、才能だよなぁ」


 こういう時必ず才能があればと思ってしまう。才能に対する対価を支払っても良い様な一握りの人がテレビの様な煌びやかな世界に出られる訳で、僕みたいな一般人じゃあ一生無理なのだろう。


 ぼんやりと眺めながら呟く僕にやんわりとした笑顔の姉さんがポツリと言った。


「そうでもないかもしれないよ?」


「え?」


「私の大学時代の後輩にシンガーソングライターになりたい子がいてね?今でも夢に向かってストリートで演奏したりしてるみたいなの」


 姉さんの大学の後輩っていうだけでパワーワードなのに、夢がシンガーソングライターって、僕ならきっと普通の道を選んでしまうのに、単純に凄いなと思ってしまう。


「その子が常々言っていたの、自分には才能がないから努力するしかないんだって」


「好きなことで努力出来るのは良い事じゃない?」


「まぁ、そうなのかもね」


 歯切れの悪い姉さんの答えが胸につかえる。好きで夢を追っている訳ではないのか?


「だから悠くんも、才能が無いからって一蹴するんじゃなくて、まずは色んな事に挑戦してみてほしい。今はそれを一番考えられる時期だと思うから」


 こういう時はしっかり姉さんの役目を発揮してしまうのが僕の姉さん。やっぱり敵わないなぁと思っていたら、続けた一言で通常運転の姉さんに戻る。


「辛くなったらいつでもお姉さんに相談してね?いっっっっぱい抱きしめてあげるから!」


「……遠慮しとく」

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