第9話 疑問
講義の態度を注意するのは基本目に余る時ぐらいで、少しぐらいなら大目に見てくれる。大抵の大学の教授は低燃費な生き物だから。もちろん個人的な見解です。
犬塚さんにおこぼれを貰う形で手に入れた席は、窓側から石亀さん、犬塚さん、そして僕の順に並んだ。
冗談で石亀さんが「悠馬真ん中ね」と言っていたが、犬塚さんに「梓はどうせ寝るからそのまま一番外。私が真ん中」とぴしゃりと静止させた。恐るべし犬塚さん。
授業はまだまだ中盤戦。
早く終わってくれという気持ちが今までで一番大きかったような気がする。正直落ち着いてなどいられないから。
高校生の時は女子と隣になってもこんなに緊張しなかったのに、何故だか今日は無性に緊張する。犬塚さんの隣だから?
いやいや、待て待て。思い返してみろよ。
犬塚さんとはあのペア授業の時に話すようになって、そこからはよっ友ぐらいな距離にはなって、時間があれば本の数秒間ぐらい話すようになっただけで、特に何もない筈だ。でも、今日はどうしてか最高潮に緊張している気がする。
今時の女子というのはみなこんな感じにラフでフットワーク軽めなのだろうか。だって僕の知っている男女の関係なんてそんなの。
「ねぇ、悠くん。男女の友情ってあると思う?」
昔姉さんがポツリと呟くように僕に訊いたことがあった。
この質問も良くある定番な質問だと思う。特に相手と男女の仲になろうと思っている時に、一定の指標になるような質問。
この問いにも当然答えなど存在はしない。有ると思ったら有るし、無いと思ったら無い。
無かったら悪い訳でもないし、有ったら良い訳でもない。
お互いがある同士ならそれでいいし、無い同士ならそれでいい。片方が有ってもう片方が無くたっていい。
それでもじゃあ何故この質問をするのか。きっとそれは今の僕にはわからない。
だから姉さんが突然してきた質問に、僕は直ぐに答えられなかった。どっちでもよくてどっちでもよくない。質問してきた姉さんは、いつもとはまるで別人で、中身のない解答は求めてないよと無言で圧力をかけられているようだった。
だからあの時、僕は考えた。自分がそうであるよりも、相手がどうであって欲しいかを。
あの時、姉さんは優しく柔らかく笑っていた。正誤がない問い。僕の答えは姉さんにとっての正解だったのだろうか。
犬塚さんの言っていた通り石亀さんはすうすうと寝ていた。本人曰くいつも全力で寝ているとの事。うん、お疲れ様。
僕もそんな石亀さんの後を追おうかなとも一瞬考えた。でも、なんとなく出来なかったし、したくなかった。
下を向いていた僕の視界に、すっと入ってきた。一人一枚配られたプリントの余白に、犬塚さんが文字を書いてよこした。
「寝ないの?」
質問を見た僕は思わず犬塚さんの方を見た。視線の先で犬塚さんはにこっと笑っていた。シャーペンでちょんちょんと質問の返事を促されたので急いで返す。
「今日は沢山寝て来たから止めとく」
僕の中では綺麗な文字でしっかりと丁寧に書く。そして偶然を装いそっと返す。そして犬塚さんがまたも何かを書いて僕に渡した。そしてしばらくやりとりが続く。
犬「ちょっと遅刻したのは寝坊?」
鷹「そんなとこ」
犬「何で寝坊したの?」
鷹「動画観てた」
犬「何の動画?笑」
鷹「色々」
犬「あやしいなぁ」
鷹「そういうのじゃないよ」
犬「じゃあどういうの?」
鷹「大した物じゃないよ、ほんと」
犬「なるほど。それで何を観たの?笑」
鷹「アニメです」
アニメというのを隠しきりたかったがどうやら犬塚さんの前ではそれは不可能だった。この後どのように返ってくるのだろうと不安に駆られる。
「最近のアニメって本当に面白いよね、私もついつい観ちゃう」「犬塚さんも観るんだね?」
ここでようやく僕が質問をする形になる。正直今まで、僕がずっと答えるパターンだったので、訊いたこっちは案外質問の答えが気になるものだ。
犬「うん、それなりに、かな?」
鷹「どうして疑問形?」
犬「内緒」
内緒の後、僕はどうやって続ければいいのか分からない。どうしたもんかと暫く悶々としていると、ひょいっと犬塚さんが質問をまた書き足した。
「たかおかくんは、男女の友情はあると思う?」
突然の角度の付いた質問。
僕はしばらくフリーズする。
書いた犬塚さんは僕の事を見ることなく下を向いたままだった。僕の視線に気づいていないフリをしている。
女性という生き物はやっぱりわからない。姉さんも犬塚さんも、僕にはよくわからない。よくわからないけどわかることも少しはある。
高校時代、僕はぼっちではなかった。僅かながらに友人は居たし、浮いていると言った存在でもなかった。
女性との付き合い方というのは相変わらずドヘタクソでしたけど、それでも話下手とまではいかなかったはず。
魚住は大半出席しないから僕は大半一人になる。それでも魚住は鬱陶しくても嫌いじゃない。一人の時間を過ごした後にあるちょっとしたスパイスのようなものだと思ったら、一人でもいいのかなとも思えるほど刺激的な奴なのだ。
だからこのぼっち時間も乗り越えられる。
きっと毎日魚住を浴びたら精神異常をきたしそうだからこれぐらいでいい。僕は案外一人の時間が好きなようだから。
でも、そうじゃない人は?絶対に誰かと必ず接しなきゃいけない人、人が寄ってきてしまうような人。例えば犬塚さんは?
人の心はよくわからない。父さんや母さん、姉さんや凪紗などの家族の本当の心なんて僕は一挙手一投足で理解できるのだろうか、理解してきているのだろうか。
だから、この質問はどんな答えでも良い、というのが答えなのだ。だからどちらでもいいのなら、感じたことを思っている事を答える、それが答え。
「有ると思うし無いとも思う。でもそれが好きな相手だったら、僕と同じ方であってほしいなとは思う。それと、偽って疲れるぐらいならあるって言われた方が僕は嬉しい」
そう書いて僕はやっぱり眠る体制に入る。
僕は人づきあいが苦手だ。だからこそ明確な答えが欲しい。
でも曖昧な方が良い関係の人たちもいる訳で。そう思うと本当に人間関係は難しい。一生判らん。
最初の文は僕の本当の感情で、後半の文は犬塚さんに当てた言葉。
きっと気づかれていない。気づかれないような文章にしたつもりだけれど、上から目線過ぎるような気もして平常心で居られる気がしない。
となったらやる事は一つ、答えの近くにやっぱ寝ると小さく書いて狸寝入りを始める。
最初から薄々気づいていたけれど、犬塚さんの笑顔は柔らかいけれど、冷たい。笑顔に底が無くて、あの一緒にいた男子学生に向けた笑顔が本当?石亀さんに向けた笑顔が本当?それとも僕に向けた笑顔が本当?。
わからないから僕にとっては苦手な笑顔だ。
考えてもわからなかったので諦める。諦めて寝る。
イヤホンでも持ってくれば良かったかな?自分の心臓の鼓動が五月蠅くて、狸寝入りも辛かった。
「いやぁー良く寝た!」
「梓、途中いびき聴こえてたよ?」
「え!?マジ???」
外側の席で爆睡していた石亀さんが大きな伸びをする。僕も確かに彼女のいびきが耳に届いていたけど、大きくてバレそうになったらその都度犬塚さんがツンツンと起こさない程度で指摘をしてあげていたので、問題にはならなかった。
「悠馬も寝てたんだから大目に見てよ、萌香―?」
そう言って僕に肩を組んでくる。彼女はきっと男女の友情はあるというのが伝わってくるのでこれはこれで、まぁ良しとしておく。
「もう、梓。鷹岡くんを巻き込まないの」
「はーい、ママ」
「ママじゃありません」
そういってスルっと僕から腕をどける。
「なになにどしたの?」
僕らの背後から男の声がしたので一斉にそちらを向いた。
今時の量産型男子学生のような典型的なマッシュルームヘアーが特徴的な彼、話から神郷くんと言うらしい。
そんな彼がタイミングを見計らったように僕らの話に入ってくる。
「ママがどうのって」
「あぁ、萌香は母性が出てるよねって」
「ふーん、お前もそう思ってんの?」
そう言って彼が僕の方を見た。まぁ、こうなるよな。
彼は確か魚住曰く犬塚さんに好意を寄せているらしい。魚住情報だけど。
しかし、僕を見る顔から察するに、魚住の推理はあながち間違ってはいないようだった。
ここで下手に油注いでしまうのは危険だと思った僕は、帰る方向とは逆の方へと体を向ける。
揉めるのも嫌だし、上手く返せる技量も無いので、冷たく素っ気なく答えて、その場を後にした。
「思ってない。それじゃ」
鷹岡くんと呼ぶ声がする。
あぁ、頑張ろうとしたらこれだよ。
これなら一人の方が本当に楽な気がしてきた。
「一人で浮かれて、諭して、怒って。一番関わりたくない人は、僕自身かもしれない」
一人が良いって言っておきながら、誰かと関わろうとした罰だったのかもしれない。
最後の彼の表情はどう見たって汚物を見るそれと一緒だった。話の途中だったと言えばそれまでかもしれないが、そうじゃない。
僕が女性なら接し方は絶対に違ったはずだ。明確な敵意が宿っていた。僕らを下に見ているあの目。僕はきっとしばらく忘れられないだろう。
僕の鳴らないはずのスマホから通知音が鳴る。通話アプリに数人しか登録していないうちの一人、魚住だ。
「今日はどうした?一緒に帰ろうと思っていたのだが」
「ごめん」
「いやいや構わない、なんせ新作ゲームの発売日だもんな!」
そう言われてハッとする。
朝もそう言えば寝坊しながらも今日の発売日を楽しみに登校したような気がする。それすらも忘れる程、僕は参っているのか。弱いな、僕。大したことじゃないだろ?
待ちきれなくて帰ったと嘘だが本当の短文を送り、ついでにスタンプを押してスマホを閉じる。
隣駅の駅前にある家電ショップの三階。
最近では家電製品だけではなく、子供のおもちゃやプラモデルなど売り物の幅を広げつつあったので、普通に時間が潰せるような場所になったと思う。
ゲームコーナーで大々的なポップで宣伝されていたのが今日の僕のお目当てのソフト。宇宙からやってきた地球外生命体を古き良き武器で狩るというシンプル且つやりごたえがあり、友達と協力プレイも出来るので最近人気がジワジワと出始めている。
「お、まだ残ってるな」
棚には残り数個と言ったところだろうか、まだ残っているのを確認した。
やはりそこでも一~四人プレイ可能!とポップが目に飛び込んでくる。残念ながら僕にそんな友達は居ない。精々魚住ぐらいで、それ以外は居ない。
手に取って直ぐに購入して帰宅しよう。そう思っても中々踏ん切りがつかない。何を気にしているんだ僕は。
犬塚さんと学食前ですれ違った時と似たような感覚が僕を襲う。名前は分からない。でも確実にその時に比べたら大きくなっているこの感覚。なんだろう。
「どうしたの?」
「・・・っ!」
死角からの抑揚のない機械のような声の持ち主。
「猫崎さん」
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