第8話 寝坊
鷹岡悠馬十九歳、寝坊しました。
ぼっちのやってはいけない事の一つ、それは寝坊。
何度も何度も説明しているが、ぼっちというのは基本一人だ。話すべき相手は魚住はいるけどあいつはノーカウント。大学の有益な情報を持っている友達がいない。そうなると自らその情報を奪取しなければならない。
席の後ろは体育会系の明るい人たちが集まる。そこで盗み聞きをして情報以上のものを手に入れる。一年間でそのスキルを培い養って来た。
でもこの方法には根本的にとある条件をクリアしなければならない。それは、早起き。
誰よりも早く登校することで、早く来たから眠いという風に思わせなければならない。間違っても狸寝入りをバレてはいけないのだ。
僕の次に来る人が例えその明るい人たちの友人じゃなくてもいい。ただ、目撃者になってくれさえすればいい。
いつかどこかで、そう言えばあの人このまえと、どこかでポロっと話を出してくれればもう十分なのだ。
そんなぼっち学生鷹岡悠馬、二回目になりますが寝坊をしました。
昨日、魚住がおすすめの深夜系アニメを僕に熱く語り、試しにということで一話を一緒に観た。よくあるラブコメだが作画も綺麗でストーリーもしっかりしていた。その時は、魚住が一話の時点で号泣していたので、そっちに気を取られていたが、家に帰宅し改めて観たら、これは大変。どっぷりとハマってしまったのだ。
二話、三話と観ていくうちに止め時を見つけられなかった。その結果、最終話の途中で寝落ちして、スマホ片手に起床したという訳だ。起きたら既に二限目が始まる三十分前だった。
僕は大学まで全力疾走をした。
途中で止まる事は最早許されない。足がちぎれそうになっても、いやちぎれてでも向かわなければならない。
こういう時に限って講義は必修科目。科目を落としたら留年も有り得る。流石にお金を出してもらっているのに、自分の怠惰で留年しましたなんてのは口が裂けても言えない。何事も無く卒業することが僕の取り合えずの目標なのだから。
信号以外にノンストップで走る事十五分。僕の目の前に大学の門が見えた。
こんなに走ったのは何時振りだろうかとその場で立ち止まる。空気を吸っているのに全然体に入ってこない。呼吸を整えるために大きくゆっくり深呼吸をする。
スマホの時刻を確認すると現在十時三十五分。
二限目の担当教授は授業中の態度こそ注意はするが、出欠席に関してはとやかく言ってこない。というのも本人も学生時代よく寝坊したことがあるからだとのこと。
それならこんなに必死にならなくてもいいのではと思うかもしれないが、出欠席と単位とはこれまた別の話である。
単位というものは気を抜いていると掌中から滑り落ちていく。
彼らは気まぐれで繊細で、それでいて恐ろしい。
勉強したからと言って確実テストで点数を取れる保証はない。しかし、大半の講義での成績の付け方は決まって不明瞭。出来なかった科目が成績がいいなんてよくある話だった。
講義の最初には必ずと言って、どのような成績配分かを説明される。
「テストが大事だよ」だったり「出席点が半分以上を占めるよ」、「何点取れればいいよ」とか。
我々学生が出来ることと言えばもう、教授の言葉を信じるしか他にない。しかし、
「た、たたか、鷹岡っ!」
「どうした、魚住」
「Dだ」
「Dだね」
「ど、う、し、て、だ!」
「いや、そんなこと知らん」
「鷹岡ぁ!」
「だから何?」
「こっちもDだぁぁぁぁぁぁぁ!」
「知らん」
昨年の魚住くんを例に取り上げてみよう。
魚住くんは毎日ちゃんと講義に参加したものと、参加していないもの二つがあった。
一つは出席点重視型の講義。
「まぁ基本的に参加していれば落ちることはほとんどないでしょう」
この言葉を鵜呑みにした魚住くんは一応の定期テストで、ほぼほぼ白紙で提出したそうだ。
そしてもう一つは定期テスト重視型。
「講義に参加しなくても大丈夫です。配るプリントに全て書いてありますから」
この言葉を鵜呑みにした魚住くんは大事な定期テストで、完全解答で提出したそうだ。
しかし両方単位を落とした。
一つは余りの点の低さ、もう一つはプリント外からの問題。これが落とした理由。出席点で百点は出ないし、プリントには全ては書いていない。
なので僕は信じないことにしている。ちゃんと出席し、ちゃんと言われた部分を覚えて臨む。ぼっちにはこれぐらいしか出来ないのだから。
ギリギリセーフで講義室に駆け込むと、もう既に学生たちで部屋はいっぱいだった。
後から来る人を注目しちゃうあの現象に名前をつけてほしいほど、今僕は注目されている。遅刻もギリギリしていないのに。
いつものぼっち席を見る。やる気のない僕のような学生たちが屍のように鎮座する。いつもの僕もきっとあんな感じ。ただ、ぼっちの使命を果たすのみ。
空き席は無いかとさらっと見回す。
ああ、こういうのは苦手だ。楽しそうに話すみんなを見るのも、楽しそうにしているみんなに見られるのも。いつからこんなに苦手になってしまったのか。
「鷹岡くん?」
不意に後ろから僕の名前を呼ばれた。
モスグリーンのパーカーに綺麗めな白のロングスカート、黒のスニーカーがカジュアルさを忘れさせない。一瞬で目を奪われた。
遅刻した僕の後ろに犬塚さんは居た。
「犬塚さん」
「鷹岡くんも今来たところ?」
「う、うん」
「席、決まってる?」
「え、いや、その、決まってない」
「そっか」
そう言って僕についてきてと言った犬塚さん。すれ違ったときに香るコロンの香りが控えめなアクセントを醸し出す。
犬塚さんの後ろについていくと、今日は窓側の席にあのド派手な人が既に陣取っていた。グループで居た時のあの男の人はいない。ちらっと見ると犬塚さんを視界に入れられる後ろの席で他の男子学生と話していた。
「おっ!萌香間に合ったかー!」
「うん、なんとかね」
「そかそか、って、ん?」
そう言って僕の事をじろりと一つ見てきた。
「あぁ、そのこちら鷹岡悠馬くん。出席ギリギリだったから席が空いてなくて、ちょうど三人席で一席余るし、いいよね?」
「ほうほう。うん大丈夫!よろしく悠馬!」
「よ、よろしく」
呼び捨てされたことに突っ込むのを忘れるぐらい、緊張しながら授業を受けるはめになった。
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