第4話 勤労
「ありがとうございました」
僕は不慣れな接客で精いっぱいの笑顔を向ける。
時刻は夜の九時。朝型でも夜型でもない僕にとってこの時間はそろそろ眠気が襲って来る頃。誰もいないところで思わず欠伸が出てしまう。
この時間になると本屋に来るお客さんの数はまばらになり、実質立っているだけで賃金が発生しているようなものだった。
本屋に来るお客さんは比較的穏やかな人が多い。僕が接客の為にありがとうございますというと返事を返してくれる人が多い。それだけでも本当に嬉しい。
本屋でアルバイトを始めてもう一年になる。
本好きだった僕が、何か好きなものでお金を稼ぎたいと考えていた時に、あろうことか魚住がここを紹介してくれたのだ。
魚住は実家暮らしで、大学の隣駅であるここから歩いて数分の場所に家があると言っていた。そう言う事も有り当然ここも家の近くという事になり、募集していたことを教えてくれたという訳だった。
「鷹岡くん、猫崎さん、今日は二人とも上がっていいよ」
にこやかに僕らに話しかける男性、彼がここの店主の飯島さん。
渋めの声がダンディーさを醸し出し、白髭が大人らしさを演出する。若い人たちにも至極丁寧に接してくれる姿を見て、僕もこんな風に齢を重ねていきたいなとしみじみ感じていた。
僕はお言葉に甘え退勤することに。そして僕の半歩後ろで静かに佇んでいた、
この本屋は僕らを含めて四人で回していた。と言っても開店日時が週の後半の木曜から日曜日までの午後一時から九時までの週四日だけだったので、四人で事足りるというのが現状だ。
僕と猫崎さん、そして店長と店長の奥さんの四人が働いており、僕は木曜から土曜の午後六時から九時、猫崎さんが土曜と日曜の同時刻。残りは全て店長と奥さんが回していた。
流石に申し訳なかった僕はもっとシフトを増やしてくださいと店長に相談したが、店長曰く、奥さんと仲良く仕事がしたいのだよと優しい笑顔で語ってくれたので、これでいいのだと理解する。
「猫崎さん、駅まで送るよ」
「ん」
僕と猫崎さんの会話はこれが通常運転だった。
僕が何かを訊いたら猫崎さんが単語で返す。猫崎さんから話し掛けてくるときは基本、短文で要点だけを簡潔に述べるといったもの。
例えば、今日あった出来事を話そう。
今日はなんと珍しく、うちの店に迷子の女の子がやってきて、店内で大声を出してお母さんの名前を泣きながら叫んでいた。
僕は迷子を見るなりテンパってどうしようとウロウロしていたら、後ろから猫崎さんがスルっとやって来て
「レジ、おねがい」
そう言って子どもの手を取り店内奥へと子供を連れて行った。
時間的にも子供にとっては遅い時間という事もあり、警察に電話しなければならないかななんて考えていた時に、奥に消えた猫崎さんがまたもやスルっと姿を現して言った。
「連絡した、近くのスーパーにいるらしい」
なるほど、確かに本屋の近くに激安スーパーがある事を思い出した。
しばらくして、女の子を迎えに母親が本屋を尋ねに来た。母親は少し髪が乱れ、急いでやってきたのがわかった。
僕ら二人にお礼を言って去ろうとした時
「ねこのおねーちゃん、バイバイ」
天真爛漫な女の子の笑顔を見たら僕までも頬が緩んでしまった。
「失礼します」
気が付いたら僕よりも先に支度を済ませた猫崎さんが、バックヤードに入ってきた店長に挨拶をして退勤しようとしていた。
僕も急いで鞄の中に詰め込んで、猫崎さんの後を追う。
特別二人で帰るのがルールとは決まってはいないが、一応僕も男だしこれぐらいはしないといけないと思った。そう思った僕は、毎回ではないが猫崎さんと帰宅時間が被ればこうして駅まで送っていた。
今日はなんだか少しだけ肌寒かった。体に当たる風の冷たさに勢いを感じた。四月は毎年こんなに寒かったっけと思案する。
そういえばと思って僕は疑問に思っていたことを猫崎さんに投げかけてみる事にした。
「今日、どうやってあの子の親の連絡先がわかったの?」
連絡したと言っていたので、その時は深く追及しなかったが、帰っていく女の子は何も持っていなかったように思える。スマホなどの連絡手段を持っているならまだしも、持っていなかったのにどうやって。
雲の隙間から差した月光が猫崎さんを照らす。極め細やかな黒髪が光に反射し、重い前髪の間からスッとこちらを見て言った。
「弟も迷子になったことがあったの。その時と似ていたから」
どうやら同じシチュエーションに遭遇したことがあるようで、要はその時と同じ対応をしたってことだよな?
そうかなるほどと思ったのと同時に遅れてやってくる姉弟関係情報。
「弟、いるんだ?」
「妹もいる、二人ともまだ小学校低学年」
「へぇ」
猫崎さんは名前の通りという訳ではないが、基本一人を好むらしい。僕もどちらかと言えばそっちに分類されるのだが、僕以上に人とのコミュニケーションが苦手だと言っていた。
基本的に口数が少ない。本当に伝えたいことを完結に。
こんな時、話下手な僕を呪いたかったが、今更頑張っても治る様なものではないので、やっぱり諦めた。
歩くこと数分、駅の前まで到着する。
あのあと一言も言葉を交わしていないという事は内緒にしておきたい。
「ありがと」
素っ気なくお礼を言った猫崎さんは、スタスタと改札を潜りホームへと向かって行った。
彼女の背中に向けて「気を付けて」とだけ言って僕もその場を後にした。
女の子に見せた猫崎さんの笑顔は、控えめでそして優しく温かかった。普段弟や妹たちにも見せているあの笑顔が本当の猫崎さんなんだと思うと、心の中でほんの少しだけ、羨ましいなと思った。
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