十六夜。

 渚は暑くなるとエロくなる。この事実は収穫であり朗報であった。セックスのことばかり考えていると誤解されそうだが、正直、若い頃の恋愛なんてセックス抜きでは成立しない。僕はとうにおっさんだが、相手が22歳で「超」が付く美少女だ。22歳を「少女」と呼ぶのも抵抗があるが、低身長で無邪気な面を見せられれば「少女」と判じるのも当然と言えば当然であろう。身長があと15㎝高ければ「クールな美人」である。そして僕は「クール美人」が苦手だ。出会った日を憶えている。「絶対に僕とは縁が無いレベルの美しい人」だった。身長が低く、病院の喫煙所で並んでベンチに座ると、下から見上げてくるアーモンド形の美しい双眸。美しさの中にどこか幼さを感じた。渚は人生の「経験値」がまだ足りていない。いや、様々な「人生経験」があり、そのうちの多くは僕よりも深く知っていることもあるだろう。しかし、僕のような「スレたおっさん」から見れば、あちこち隙だらけで愛おしい。特にセックスに関しては初心だった。最初に誘ってきたのは渚だが、その行為を「武器として利用する」ことが出来るほど「スレてはいない」のが渚の経験値不足を物語る。セックスそのものも経験値不足だった。あまり過去のことを考えたくは無いが、元カレたちは下手糞で自己中心的な行為しか出来なかったのだろう。美しい相手に己が欲望をぶつけることは出来ても、それはあまりにも稚拙な行為だった。僕はそう思う。


せっかく、渚がエロい村娘になっていると言うのに、僕たちの夏は短過ぎた。デートの回数が問題で、お互いの街まで片道2時間はかかるので、週に1回とはいかなかった。僕はかなり仕事に忙殺されていたし、渚だって週休2日で、僕と休みが合うことが少なかった。夜勤明けで渚と会うことばかりで、コレは仮眠時間をたっぷり取れるので寝不足では無いが、いわゆる「デートコース」を考えて実行するにはやや疲れが出てしまう。「木曜日」は優先して休んだ。渚は土日も出勤と言うことがあり、シフトを自分で組んで勤務先に申告していた。大抵は日曜日は休んでいたし、あと1日をどこで休むか?と言うことだ。ソレが木曜日だった。


「洋ちゃん・・・暑い・・・」


夏の渚はひ弱い。二の腕のタトゥーを悟られないように、厚手の生地のロングTシャツを着ているから当たり前だ。生地が薄いと透けて見える。たまに薄手のブラウスを羽織ることはあっても、下にはやはりロングTシャツだ。2枚重ねてタトゥーを隠すので、涼しげに見えてもかなり暑いだろう。


「ちょっと付き合ってくれよ。買いたいモノがあるんだから」


 その日はいつもの部屋に直行せず、僕の買い物に付き合ってもらっていた。3つほど離れた駅のそばにカメラの中古店があった。僕はそこで機材を買うのだが、ちょうど欲しいレンズが出ていて、店のHPから予約してあったのだ。通販と言う手もあったが、仕事で留守がちで、時間があれば夜勤明けで寝ているので、配達待ちは煩わしい。店に行けばその場で手に入るのだから直接行くことが多かった。特に高いレンズでもなく、ただ滅多に中古品として出てこない、そんなレンズだった。

 渚はいつもの駅で待ち合わせて、そのままラブホ直行だと考えていたようだ。僕もそのつもりだったが、目的のレンズを3日前に発見していたので、デートのついでに買いに行くことにした。渚は僕の都合に合わせることには何の疑問も抵抗もしなかったが、暑さに負けた。

 改札前からまたホームに戻る。この時点でいつもはブンブンと勢いのあるしっぽが、ゆっくりとパタパタ・・・となっていた。電車に乗れば冷房はあると言うのが渚の希望。到着した電車のドアには「弱冷房車」のステッカー、渚はかなり打ちひしがれていた。渚にとって「弱冷房車」は敵なのだ。それでも「暑くは無い」ので多少の元気を取り戻したが、目的の店まで徒歩5分。もう渚のしっぽははためいていない。暑いなら離れればいいのに、なんでか渚は僕の右腕に掴まっている。


お目当てのレンズを購入して、いつもだったら他にも何かないか探すのだが、今日は渚がいて、しかも暑さに負けている。サッサと店を出て水分を摂らせることにした。この駅にはスタバがある。

 渚はスタバに入ると、「私、アイスティでいいや」と言って、そのまま店の奥の席を確保しに行った。相変わらずこの店の注文方法(呪文)が分からないので、アイスティとアイスコーヒーで押し通した。余計なトッピングは要らない。席に飲み物を乗せたトレイを持っていくと、渚はテーブルに突っ伏して死んでいた。


「ほら、頭上げないと飲み物が置けないから」

「うー・・・」

「とにかく水分補給しろ」

渚は既に水を飲み終えていたが、アイスティも勢いよく飲んだ。

「おかわり」

姫様は我がままだ。僕はまたカウンターまで行かされた。今日はこのあと、渚を逝かせまくると心に誓った。

「落ち着いたか?少しはマシになっただろ?」

「ホント、夏って嫌い」

「俺は好きだけどな」

「じゃぁ夏も好き、暑いのは嫌い」

渚の身体が冷えるのを待って、僕の住む街へ帰ることにした。


「洋ちゃん、おんぶ」

「おんぶしたら密着して余計に暑いだろう?」

「おんぶー」

「子供かっ!」


渚が溶ける前にいつもの部屋に行くべきだ。駅のホームの床を見て、「弱冷房車」の表示を避けた。親切なことに「弱冷房車」の車両を案内してくれているのだ。当然、目の前に停まったのは・・・「弱冷房車」であった。


「最近、増えたんかねぇ?」

「もー、本当にJRって余計なことばかり・・・」

「まぁいいから。駅に着いたらさ?いつか食べたとんかつ弁当を買おう」

「あ、あのお店、美味しかったでしょ?」

「かなり美味しかった。渚に教えてもらわなかったら知らないままだったな」

「でしょ?でもこの暑いのにとんかつって・・・」

「あっさりしたものがいいかな?」

「食欲はあるの。体力つけないと」

「なんで?」

「洋ちゃんが悪魔だから」

「搾り取るくせに・・・」

「あ、私、立ち食い蕎麦が食べたいっ!」

「なんでまた・・・」

「サンドイッチ買わなくていいから立ち食い蕎麦」

「美味くもない、不味くもないってレベルだぞ」

「そうなの?」

「駅によって違うけどな。美味い立ち食い蕎麦なら小淵沢駅とか」

「どこソレ?」

「山梨県」

「遠すぎる。なんで洋ちゃんはそんな駅のことを知ってるの?」

「若い頃、毎年のように星を見るために登った山があるんだ」

「へぇ」

「バスは3時間に1本。バス待ちの時間が長過ぎて、必ずそこで蕎麦を食ってた」

「バスで登るの?」

「登山したいわけじゃないから、峠までいければいいんだ」

「ふ~ん」

「俺んとこの駅の蕎麦は60点ぐらいかなぁ?」

「不味くは無いんでしょ?」

「どちらかと言えば美味い方だ」

「じゃ決まり」


 女性が立ち食い蕎麦を食べる機会は無いだろう。僕と一緒なら大丈夫と言う考えらしく、他にも「ココイチ」とか、ラーメン店の名前を出していた。そのうち連れて行こう。暑さが過ぎたら。

そして渚は食券機の前で固まる。慣れていないようだ。もちろん、ありがちな失敗もした。なんでこの暑いのに普通のキツネ蕎麦の食券を買ってしまうのか?僕は仕方なく、自分で買った「冷やしキツネ蕎麦」の食券を譲ることになった。


「熱いのと冷たいのって、食券が違うの?」

「冷たい蕎麦の方が高いんだよ」

「なんで?」

「冷やす手間の分じゃないかな?」

「ごめんね?」

「いいよ、俺は熱い蕎麦も好きだから」


この蕎麦はサンドイッチの代わりだ。そう、いつもラブホに行く前やラブホで食べる「軽食」と同じ。運動前に重めの食事はしないのが、僕たちのルールだ。

駅ビルにあるとんかつ屋でとんかつ弁当を2つテイクアウトして、ホテルに直行する・・・もう渚は溶けかけている。


「来ないでっ!」

「へへへ、お嬢さんよぉ・・・」

「いや、来ないでってばっ!」


 僕は絶対に渚の匂いを嗅ぐことにしている。今日はもう汗びっしょりになっていたので、渚の身体は芳香を放っている。街中をちょっと歩いただけで、もう匂いがしていた。

 汗臭いから駄目と騒ぐのだが、押し倒して胸に顔を埋めてしまえば抵抗は止む。今日は押し倒すまでの抵抗が激しかっただけだ。そして、渚の匂いを嗅いだら、ぼくのこかんのチェンソーがぎゅるぎゅるし始めたが、シャワーを浴びないとこの先には進めない。


 事後の気怠い雰囲気。渚は僕の腕の中。僕を見上げながら渚が喋る。たまにデレて僕の胸に鼻を押し付けてクシュクシュする。凄く可愛い。


「ねぇ?」

「ん?」

「さっき、洋ちゃんは星を見に行くって言ってた」

「ああ、もう10年以上は行ってないけど」

「私も見たい」

「もう今じゃ色々変わっただろうな」

「何が?」

「泊るのはいつもバンガローだったけど、あの頃でも老朽化が酷かったし」

「無いのかな?」

「多分無いな。半分キャンプ状態だったし」

「一人で?」

「いや、いつも3~4人で行ってたなぁ」

「ふ~ん」

「高校の頃の天文部の合宿で行っていた場所で、その頃の仲間とよく行ったんだ」

「キャンプは出来ないの?テントとかで」

「峠に民宿があるな。そこから更に歩いて1時間の場所だから」

「だから?」

「民宿に泊まれば楽は楽だろう」

「行こ?一緒に行こ?」

「渚は連休、取れる?」

「うんっ!連休する」

「じゃ、8月の終わりに行くか」

「8月の終わり?」

「そうだよ、新月じゃないと星がよく見えないから」

「詳しいね」

「天文部だと言っただろう」

「分かった。持ち物とかどうすればいいの?」

「特別なモノは要らないよ、冬服だけあれば」

「冬服?」

「防寒具だよ、峠と言っても標高はかなり高いから」

「寒いの?」

「1回目の合宿の時、俺は舐めていてな」

「うん」

「余りの寒さに寝袋に入り込んだ」

「寝袋っ?」

「持っていくんだよ、合宿の時に」

「ホントにキャンプなんだね」

「先輩たちは冬装備だったから自由に動き回ってた」

「夜とかどうしたの?」

「夜が活動時間じゃん?寝るのは昼間だから暑いくらいだった」

「夜は寒いのに昼間は暑いの?」

「そりゃ、空気が澄んでいて標高が高いから、直射日光は強い」

「バス、3時間に1本って言ってたよね」

「ああ、バスじゃなく車で行こうか」

「ドライブ?」

「道は分かってるから、またあの車で峠まで駆け上がればいい」

「8月の終わりね?約束だからね?」

「約束を破ったことは無いじゃん。あと、天気が悪ければ延期」

「そっかー、星が見えないと意味ないもんね」

「晴れると凄いぞ」

「何が?」

「星の見え方が街中とは全然違う」

「ホント?」

「そう言えばプラネタリウムに行かなかったな、あんな感じなんだ」

「プラネタリウムを知らないんですけど?」

「じゃ、先に本物を見ることが出来てラッキーだな」


 昼過ぎに食べた蕎麦は意外と腹持ちがよく、とんかつ弁当を食べたのは夜になってからだった。

当然、渚は「洋ちゃんは鬼だ・・・」と、目を腕で覆いながら呟いて、更にとどめを刺された後だった。

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