Blue Moon.ー2
姫様は上機嫌だ。割と僕が我がままを聞き入れると知ったからだろう。僕は「関白宣言」を見送ったままだ。デートコースぐらいなら渚に丸投げしてもダメージは無いから大丈夫だったが、今回は若干の不安が残る。「ドライブ」に行きたいと言うのは割と普遍的な要求だと思うが、僕は「服薬の都合」で長時間の運転が出来ない。持病の悪化も怖いが、そんな場合は前兆が出るので大丈夫だと思う。とにかく主治医からも「運転は控えて」と言われている。助手席に渚を乗せて事故を起こすのも怖い。
車のアテはあった。僕が若い頃乗っていた4WDと同じ車種を同僚が持っている。奇遇なことに装備まで同じだった。社有車のバンに乗るたびにイライラが募るのは「見通しが利かないから」だ。4WD車は大抵「車高が高い」し、ドライバー時代に乗っていた4トン車も当然「遠くまでよく見える」から安心感があった。地面を這うように走るのは性に合わない。レンタカーで車種を指定すると料金が高くなりがちだし、同僚の車ならタバコ代程度で済むと言う皮算用もあった。社長の車は高級過ぎて困る。当然、貸してくれと言えば二つ返事で貸してくれるのだが・・・
デートの日は給料日あとの木曜日に決まった。車も借りることが出来た。代車として社有車を使ってくれ。
「遠くまでは行けない」とメールをしてみた。渚は気にしていないようで、「分かった」とだけ返信してきた。とりあえずどこに行こうか考えた。僕の住む市内から2時間圏内となると、本当に何もない。海まで行けない、観光地も無理だ。3時間圏内に広げればかなりの「行く先」はあるのだが、無理をして渚を危険に晒したくない。仕事中も寝る間際も考えていた。希望を訊いてみようかと思いついた。早速メールをする。
「2時間以内で行ける場所でどこがいい?」
渚からの返信は2日後。
「だったら洋ちゃんちの方をゆっくり走らない?」
なんといい子なのだろうか。コレなら全くの不安が無い。最悪、運転不能になっても渚を家に帰すことが出来るではないか。僕の住む市は結構な広さで、山際まで走るだけで1時間はかかる。周囲が山なので、一番遠い山を目指した場合のことだけれど。「市内巡り」は素晴らしい遠足になると思った。
当日、市内巡りと言うことで昼前に待ち合わせた。いつもの改札前ではなく、過疎っている南口のロータリー。小さな駅なので待ち合わせで不幸が起こるわけでも無い。ケータイ電話は「あらゆるデートシーンを変えた」と言っても過言では無かった。ソレまではいいとこポケベルだったし、その前はもう家電だったのだ。待ち合わせで行違えばもう会えないなんてこともあった時代から、随分と便利になったものだ。実は渚には「ケータイぐらいは持ち歩いてください」と叱られたことがあった。当時は財布だけ持ってふらふらと出歩くこともあり、そのうち「不携帯で捕まるぞ」と社長に脅かされたりしたものだが、ソレは免許証の話だと思う。
「大きな車ね。大丈夫?」
中々に失礼な小娘である。4WD程度なら「軽自動車感覚」で運転出来る。次は社有車の4トントラックで乗り付けてやろうかと思った。そして渚は助手席に乗り込めない。身長が低いので「どうやって乗ったらいいのか分からない」と言う椿事発生である。普通に160㎝もあれば、ドアを開けて右脚を突っ込めばいいのだが、渚の身長は145㎝だ。何故か頭から入ろうとして動きが止まった。
なにこの可愛い生き物?
「渚、ここ。ここ」
僕は助手席のピラーにあるグリップを指さして教えた。
「ここを左手で掴んで滑り込め」
「私、この車嫌い」
「車高が高いと運転しやすいんだよ。渚乗っけて事故りたくないし」
「あ、本当だ。見通しがいいねー」
「だろ。今度トラックにも乗せてやる」
「要りません」
渚はドライブドライブと繰り返し要求してきたが、乗り慣れていないことに気づいた。シートベルトをしないで澄まし顔である。「シートベルト」
「あ、どれ?」
「いや、左上にあるから引っ張ってくれ」
で、凄く邪魔。設定していなかった僕も悪いが、シートが前に出過ぎでバックミラーが見にくい。
「シート、下げてくれ」
「はぁ?」
「分かった。俺がやるから待っててくれ」
僕は車外に出て助手席側に回った。シート下のレバーを引き上げながらシートを後ろに押し込むだけなのだが、このままでは出発するのに30分かかる。
「うわっ!びっくりした~。コレ動くんだ」
「動かない車の方が珍しいけど」
「ふ~ん。私免許取れるかな?」
「無理っぽい」
「マジで?操作とか分からないと駄目なの?」
「シート位置を調整するとか、ハンドルの位置を合わせるとか基本」
「ハンドル?」
「ホレ」
「ハンドルが上がったっ!」
「大丈夫(笑)1回やれば憶えちゃうから」
「良かったー、いくらぐらいかかるかな?」
「合宿最短で25万くらいかなぁ。俺は昔取ったから18万で済んだ」
「おっさんだった」
「渚もいつかはおばさん」
「言わないで」
乗っていた車だがエンジンが違う。僕の愛車はディーゼルだったが、借りた車はV6ガソリンである。返す時に「満タン返し」は当然なのだが、満タンで60リットルは入るしなぁ・・・
ちなみに借りてきた時にはガソリンは半分だった。故意にやったわけでは無いだろうが、ほぼ丸々60リットル負担になりそうだ。燃費の悪さは覚悟のうえで借りたんだけれど。
V6ガソリンのフィーリングは素晴らしかった。NAでストレスなく加速する。手入れも行き届いていて操作系もスムーズだった。ついでに薄いスモーク(車検は通る)が貼ってあるので室内はちょうど良く暗い。
「洋ちゃんさぁ」
「ん?」
「片手ハンドル」
「あー、癖なんだよね、トラック時代が長かったから」
「トラックで片手?」
「イマドキのトラックは操作系が滅茶苦茶軽いんだよ」
「そーなの?」
「クラッチとかもうマニュアルの自家用車よりも軽い」
「半クラってヤツ?」
「トラックは半クラはしないけどね」
「なんでー?なんでー?」
「年間5万だ7万だと走るからクラッチが簡単に傷む」
「あ、マニュアルの方がいいのかな?」
「ATでいいんじゃない。今の乗用車はほぼ100%ATなんだし」
「ねぇ?」
「なんですか?あなたはどちて坊やですか?」
質問の嵐である、ゲームセンター嵐である。
「凄く速い・・・」
「速くないわ。制限速度ちょいだ」
「違うの、お父さんよりもなんかこう・・・軽く動くの」
「あー、運転は上手い下手が出るから。単にブレーキを踏んでないだけだ」
「ちょ、ちょっと待って。ブレーキを踏まないってなに?」
「踏む必要が無いから踏まない。予測運転って、自動車学校でも習うぞ」
「予測うんてん?」
「ほら、今抜いていった車がいるだろ?」
「あの車?」
「そうそう。ああやってちょこまかと車線変更しても信号2つ先で並ぶ」
「どうして分かるの?」
「あの車、さっきからその繰り返しだから」
「あ」
「な?どうせ並んじゃうんだよ、この混み具合だと」
「で、今日はどこに行くの?」
「市内でいいんだべ?」
「だべ」
「世界の果て」
「えっ?」
渚は疑いの目で僕を見ている・・・
「行けば分かるさ。世界の果て」
「まいっか。見てみたいし」
「遠いぞ?」
「嘘?」
「そりゃそうだろ、何せ世界の果てだからな」
「市内でいいのに」
「30分ほどかかる」
「うちよりも近い・・・」
その後も渚は色々と質問してきた。瞳がキラキラしている。最近は「新しいこと」をしていないから新鮮なのだろう。今度は座位で責めてみようかなと思った。
その壁画はとある施設にある。昔、精神科医療に「アートを取り入れる」ことが流行った時代。近在の美術アトリエが寄贈したもので、デカい割には安い物だった。描いたのもアトリエの人たちだから。A0くらいの大きさの木のパネルを8枚繋いだその壁画は、その病院の入り口横に飾られている。僕はその壁画を懐かしく思いながら深呼吸した。
「ここが世界の果てなの?」
「俺はこの病院に入院していた」
「ここは?」
「精神病院だよ。この壁画を描いたのは近所のアトリエの人たち」
「大きな絵ねぇ」
「所属している人たちが手分けして描いた。俺も参加したよ」
「えっ?」
「俺はそのアトリエに所属してるんだ」
「洋ちゃんは絵も描くの?」
「単なる暇つぶしだけどな。たまに通っては絵を描いていた」
「ふ~ん、で、洋ちゃんはどれを描いたの?」
「左下の方」
僕は壁画の左下の隅を指さした。渚は壁画の前を移動して屈みこんだ」
「この花?」
「そう、青い薔薇が3本」
「綺麗ね、青い薔薇って」
「ソレを描いたころ、俺は色々としんどくてな」
「でも描いたんだ」
「なんだろうね、俺はこの世界に絶縁状を突き付けるつもりだった」
「絶縁状?」
「その青い薔薇の花言葉は、不可能とか絶望だったんだ」
「なんだか残酷な言葉ね」
「俺はこの壁画の前で絶望と言うか、人生にこの先は無いなと思った」
「だから世界の果てかぁ」
「今はその花言葉も変わった」
「花言葉って変わるもんだっけ?」
「青い薔薇はこの世に存在しないから不可能とか絶望となった」
「そーなの?」
「今はバイオテクノロジーで、青い薔薇が開発された」
「マジ?」
「その時から、青い薔薇の花言葉は神の祝福とか、夢が叶うとかになった」
「へぇっ!」
「今、渚と一緒にいるから、神の祝福を一緒に見たいと思った」
「やだもう、気障ったらしい(笑)」
この市の西の果てには青い薔薇が咲く。僕はこの壁画の前で胸を張る。絶望はもうここには無いから。この先に進む必要もないから。ただ、やはりこの世界はこの場所でも僕に背を向けた。
「ここが世界の果てってこと?」
「そうさ。西の果て。北にはまた違った花が咲いている」
「知ってるの、北の方のこと?」
「見に行くか?渚に出会う前にその花をそこに置いてきた」
「行く」
僕は渚を乗せて、車を山際の方に走らせた。
そこにあるのは1枚の写真と短い文章だった。
果てに咲く花
世界はここで終わりだと
その花が告げる
この先に「世界」は無いと
君はその花を見てこう言った
じゃぁ、反対側の果ても見に行こう
北の果てから南の果て
南の果てから東の果て
笑いながら軽い足取りで
そう
この世界を規定するのは僕たちだ
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