「Buckmoon」(2)
僕が京子に会いに行ったのは3日後だっただろうか?そんなに間を空けずに会いに行った。渚の親友で、わざわざ「キャバクラに呼び出す」なんて、それなりに大事な要件があるのだろうと察せられた。昼間に会おうと言わなかったのは、渚に気を使ったか、指名料ぐらいは稼がせろと言う意味なのかは分からない。
そのキャバクラは駅からさほど離れていないビルの3階にあった。かなり広い店だろうと思えたのは、1階に入っているテナントが3軒あったから。ワンフロアぶち抜きならばかなり広い。僕はエレベーターに乗って3階のボタンを押した。やや古いエレベーターは、それでも滑らかに僕を3階に運んだ。ドアが開くと目の前に黒服が立つ。慇懃に「いらっしゃいませ」と出迎え、僕は左手に持った傘を無言で差し出した。「ご指名は?」と、それなりに丁寧な口調で訊ねてくる。ワンセット4千円の店としては「マトモ」な方である。
「あゆさんは空いてるかな?」と僕。
黒服はインカムで短く会話をして「今はお客様に付いています。失礼ですがお名前は?」と僕を誰何してきた。「安元だと言えばわかるはずだけど」と僕は店を見渡しながら答えた。奥にあるのはVIP席だろう。ボックスになって3席ある。あとはオープンテーブルだ。10席はあるだろうか?余裕のある配置に見える。黒服は僕の前に立ち、入店はまださせてくれないようだ。インカムで連絡を取ったのち、「あゆさんでご案内いたします」と、やっと店に入れてくれた。「入店」と言っても、エレベーターを降りればそこはもう店内なのだが、奥に歩を進めるまで数分かかった。案内されたのは静かな席だった。周囲に他の酔客がいないと言う意味だ。VIP席にでも通されたら、安い店でも1時間で2万円は取られる。斥候役の女の子がすぐに隣に座った。京子が来るまでの繋ぎだ。水割りを作ると、あとはニコニコ笑っている。そこそこに可愛い子だが、話は合いそうにない。「名刺、くれる?」とだけ言うことにした。多分二度と来ない店だが、礼儀として名刺を頂く。そう言えば僕は水割りが苦手だ。すぐにボトルを代えてもらうことにした。焼酎のレモンサワー割が一番飲みやすい。こんな店でビールを頼むのは若干怖い。ビール1本が千円にも2千円にでも化けるのがこの手の店だ。ハウスボトルは一流メーカーのボトルに詰め替えた安いウィスキーか焼酎である。コレは好みで選べるので原則「無料」だ。セット料金に含まれている。レモンサワーぐらいは高くとも千円はしないはずだ。僕の財布にはまだ社長の3万円があるにはあるが、渚とのデートに使いたい。
「お待たせ」
京子がやってきた。斥候役の女の子はとっくにいない。京子はテーブルの上を見ると、少し考え込んでいた。「あ、ドリンクは1杯だけ頼んでいいよ。フードは1品でいいだろ。呼んだのは君だし」
京子は黒服を呼ぶと、スクリュードライバーを頼んで、あとはチキンバスケットを追加で頼んだ。
「一番安いのよ、このセット」と言う。つまり、一番安いカクテルと食い物を頼んだらしい。ありがたいことだ。「安元さんだっけ、遊びは知ってるんだね」
若い頃はキャバクラ通いをしたこともある。風俗遊びは継続中だが、渚と繋がっている間は封印している。この時点で僕は暗算している。セット料金と京子のスクリュードライバーとチキンバスケット。レモンサワーは追加する気は無い。大体だが7~8千円で収まるだろう。なんにせよ、この京子と言う女の子に使う金は無いのだ。僕は京子を観察した。黒のロングドレスに細い金のブレス。足元はこれまた黒いハイヒール。胸元はざっくり開いているが、インナーが見えている。つまり、かなりガードの硬そうなキャバ嬢である。爪は華美に見えるくらいで、この爪で引っかかれたら「ご褒美」かも知れないと思わせる程度には「いい女」だ。
「キミ、渚のことどう思う?」とストレートに訊いてきた。安元さん呼びから一気に「キミ」扱いになったが、そんなことをグジグジ言う男は遊びに向いていない。たとえ相手が20歳以上年下の「お水」でも、だ。
「どう思うって?」
質問の意図が計りかねた。
「あの子、綺麗でしょ。印象はどうなのかなって」
「抜き身のポン刀」
と僕は短く答えた。京子は一瞬の間をおいて、のけぞって笑った。
「ソレが分かってるならいいけどさ。あの子は意外と奥手でさ、しかも警戒心が強いの」
「そうかな?」
「そうよー。だからびっくりしてるの。あの子がATフィールドを解くなんてって」
「えーてぃー?」
「アレ?知らないの、エヴァンゲリオン」
「名前なら知ってるけど、観たことは無いなぁ」
「観た方がいいよ。ソレであの子のことがもっとわかるようになるから」
「アニメだよね」
「そーそー。あの子はね、ユイってキャラに似ているから」
「ユイ?」
「観れば分かるよ。あの子は”絶対”的な存在になる」
「なる?」
「キミ、渚にぞっこんでしょ?」
「・・・」
「大丈夫だってっ!ここで話したことは渚にも言わないから」
「それなら言うけど、俺は渚に惚れてはいるが警戒もしてる」
「なんでー?」
「あんな綺麗な子が俺を好きになるわけがないから」
若干の間を空けて京子がぽつりと言う。
「呆れた。あの子を信じてあげられるのはキミしかいないと思うよ」
「どういう意味で?」
「あの子は孤独なんだ。人を寄せないから仕方ないんだけどね、キミには心を開いてる」
「俺のことが好きってこと?」
「ソレは分からないなー」
と京子は意味深に笑った。
「キミ、何歳?」
「42歳だ、もうおっさんだな」
「アハハ、終わったーーーっ!」
「俺もそう思うから警戒と言うか、渚を信じ切っていない」
「電話番号。何かあったら電話して。でも何も無ければ電話しないで」
京子はそう言うと、ケータイの番号を僕に教えた。僕も教えようとして、メモ用紙に手を伸ばした。テーブルの上にはメモパッドと瀟洒な金色のボールペンがある。
「要らないよ。非通知にしてなければ出るから。こんな商売してると電話は大事なの」
「君もガードが硬そうだけど?」
「まーね、ここ1年ぐらいは男もいないよ。あ、私を口説くと渚が怖いわよぉ」
「馬鹿言え」(笑)
店の黒服がテーブルの横に膝をつく。セットのお時間終了だ。当然だが僕はワンセットで帰るつもりだったので延長は無い。チキンバスケットは京子があらかた食べつくした。
「支払いは私にツケといて」
「かしこまりました」
黒服が立ち上がって定位置に戻っていく。
「チェックは?」と僕が訊くと、京子は「呼びつけたのはこっちだから奢っておくわ」とだけ言うと立ち上がった。お客様お帰りの合図だ。
妙な気分だった。多少なりとも京子と遊んで、支払いをせずに黒服に見送られると言うのは。そして、チキンバスケットを思い出し、吉野家に寄ってから帰ろうと心に誓った。
渚にメールをしたのは2~3日後だった。何となくだが、京子の匂いがするうちは連絡することが憚られた。物理的に香水の匂いとか、店の匂いがするわけではない。ただ、頭の隅に京子のイメージがある間に渚に連絡することは不誠実に思えた。もしも神様がいたならば、あの頃の僕に「はい10点」と言いながら、10点と書かれた丸い紙を渡してきただろう。
「元気?」とだけ送る。「今度はいつ会える?」なんてガッツいたことはもう少し後にする。返信があったのは2日後だった。
「ごめん、忙しかった。安元さんは元気してた?」
「元気だよ。まだ忙しいの?」
「大丈夫。電話していい?」
「いいよ、このまま待ってる」
この日はすぐにメールのやり取りがあって、直電してくると言う。渚はこう言う子なのだ。
「元気?」
「ソレ、メールでも言った」(笑)
「あは、そーだよねー。でも気になるの、安元さんが元気かどうかって」
「ありがたいことで。俺だって谷口さんが気になってるけどね」
「ねぇ、もう名字じゃなくて名前でいいよ?」
「渚さん?」
「やだもー、渚って呼んでっ!」
「じゃ、渚も俺のことを洋ちゃんって呼んでくれ」
「え~と・・・洋ちゃんさん?」
何だこの可愛い生き物は。
「まあいいや。慣れたら洋ちゃんで」
「うん、慣れたらそう呼ぶ」
「今度はいつ会えるかな?」
本当に渚を誘うのは毎回、清水の舞台から飛び降りる覚悟が必要だった。もうすぐ梅雨明けで、今年の夏は暑くなるとニュースで読んだ。
「今月はね、丸1日空く日が少ないの。25日ぐらいでどうかな?」
「渚に会えるならいつでもいい。あと、2週間の余裕をくれればシフトを空けるんでいつでもいい」
「じゃ、25日に駅前で・・・」
「12時で」
「うんっ!」
「今度は晴れるといいな」
「ねー。雨だとどこにも行けないし」
だからホテルだと言いたいが、神様に「お前、20点減点な?」と言われる。
電話も割とあっさり目の関係だった。僕は電話を切った後、今月の給料を計算し始めた。支払いを済ませてもお小遣いは確保出来そうだ。社長に3万円を返しても大丈夫だ。金の貸し借りは綺麗にしておくと「次の時に楽だ」と言う、人間のクズ的な思考をしていた。僕は渚のためならクズにだってなろう。忙しくなってきたようだ。仕事も忙しいが、先ずは「ユイ」の正体を探らなければならない。渚=ユイなのだから当たり前だ。コナン=新一よりも大事な事実だと感じていた。実はエヴァンゲリオン自体は知っていた。パチンコで物凄く人気があったのだ。今では15代目のモデルがまた大人気になっている。当時のエヴァンゲリオンのパチンコは確率が1/400に届こうかと言うほどの激辛スペックで、その代わり当たればすごく出るらしい。僕が贔屓にしていたカメラ店のすぐ近くにパチンコ店があって、そこで打ったことがある。2万円入れて当たらなかったから、僕はエヴァンゲリオンが嫌いだった。そう言えば、登場人物に「渚カヲル」と言うホモがいたなぁ・・・パチンカス親父に最も愛された男キャラである。出てくれば必ず確率変動で当たるのだから、愛されるに決まっている。僕の可愛い「渚」も愛されることが決定付けられていたわけだ。しかし、赤いアスカって子と、青いあやまみレイと、あとはおばさんばかりじゃなかったか?主人公は「乗るから帰らない」中二男子だったはすだし。僕の認識はこの程度なので、コレはもうアニメを観るしかない。幸い、ストリーミング配信で観ることが出来た。今思えば、アレは違法アップロードだと思うが、当時はそんな知識も無かった。
全部観終わってもちんぷんかんぷんであった。やけに難解なロボットアニメだと言うのは理解出来たが、なんで人類が最後にはオレンジジュースにされたのか分からないし。ここは「ヲタクのスーパースター」である社長に聞こう。多分知っているはずだ。
社長と雑談出来る機会は意外と少ない。僕は日勤の残業者と交代で夜勤に入り、朝は大抵早く出てくる工場長と交代する。交わす言葉は「何かあったか?」「特になし」だけって日も多い。幸い、渚に会うまで日数がある。虎視眈々と社長の登場を待った。残業者がいない場合は社長が待っているからだ。朝は雑談する暇は無さそうだし。
すぐにチャンスは訪れた。社長が事務所兼検品室で、暇そうに椅子を揺らしていた。
「なぁ社長」
「社長と呼ぶな」
「デトはエヴァンゲリオンとか詳しい?」
「エヴァ?アニメのエヴァか?」
「そう。観た?」
「当然だろう。俺はエヴァのファンだ」
「知りませんでした」
「で、何が訊きたいんだ?」
「ユイって出てっ来たっけ?」
「お前、エヴァを観たのか?」
「観たさ。でも分からないんだよ」
「何が分からないんだ?」
「ユイの正体と言うかなんというか・・・」
「エヴァ自体は知ってるんだな?」
「だから、観たけど分からないってっ!」
「んじゃ説明してやる」
ここから社長の熱い語りが始まって、凄くいい暇つぶしになったのはありがたかった。夜勤は暇なのである。
「エヴァって言うのはな、搭乗者がエントリープラグに乗り込んで、エヴァに挿入されて初めて動くんだ」
「パイルダーオン」
「あ?」
「いや何でもないです、続けて」(チッ、アニメの話になると熱くなる男だ)
「で、乗り込む乗務員は”チルドレン”と呼ばれる。そして、どのエヴァに乗るのかも決まっているんだ。エヴァとシンクロしないと動かせないってことだな。俺の嫁が乗っているエヴァのコア、つまり心は碇ゲンドウ(いつも眼鏡をいじっているおっさん)で、初号機のコアが「ユイ」なんだ」
初耳であった。
「弐号機のコアは秘かに回収された使徒だろう。3号機はロスト。4号機はまあ搭乗者その者が使徒なんで規格外だ」
コイツは何でこんなに詳しいのだろう(テレビ放映版準拠)
「で、ユイは?」
「分からん奴だな、ユイはシンジの母親だ。テストとしてエヴァの起動実験中に初号機に取り込まれた。だから初号機はシンジとだけシンクロするし、大した訓練も無しにあれだけの性能を出せるんだ」
つまり、渚=ユイ説だと、渚は僕のお母さん?
「なぁ、ATフィールドってなんだ?」
僕はこの際だからエヴァをよく知ろうと思った。色々と難解なストーリーは好きだ。
「絶対的不可侵領域」
ソレは知ってる。パチンコでも出てきた。当たらないけど。
「このATフィールドが話のキモを握ってるんだ」
知りませんでしたぁっ!
「ラストシーンは知ってるんだよな?」
「オレンジジュースになってた」
「アレはジュースじゃねぇ!ATフィールドは人の外郭を作るものでもある。精神と言い換えてもいい。で、ゲンドウがユイに再会するために全てを原初に帰そうとした結果だ」
「はい?」
「心の障壁も人体の、なんだその・・・外観も全て消そうとした。そうすれば初号機に取り込まれたユイも出てくると考えた。エヴァも心があるからな。使徒も同じだ。何もかもリセットすることが人類補完計画ってことだ」
「俺は今ポカンとしているが」
「すべての障壁が取り除かれた時、人類は融合することになるから液状になった」
「えぇ・・・でも最後にシンジとアスカは残ったじゃん」
「初号機の中で護られていたシンジ。シンジが望む世界にはアスカが必要だった」
「要約すると、お母さんに護られながら、シンジが選んだ相手がアスカだったってこと?」
「そう言うことになる」
「でも、シンジが好きだったのはあやまみじゃないっけ?」
「綾波レイな?シンジは父へのコンプレックスで綾波に魅かれたが、愛では無かったってこと」
「アスカは?最後に”気持ち悪い”って言われて終わるのって酷くないか?」
「アスカは最後にメンヘラ化していたしな。まあ新たな世界でやり直すんじゃね?」
「あ、碇ゲンドウは失敗したわけですかね?」
「いや、初号機もATフィールドが無効化されたので、ユイと再会したはずだ」
さて困った。まさか渚が僕のお母さんになるなんて・・・
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