第118話 アレスはやっぱりアレスだった

 俺はアレスとして生きてきた中で、今日ほどおかしなことは初めてだった。

 あの訳の分からない誓約書。強制的にサインさせられる。

 次にメアリの時のような事がなければ特に問題はないだろう。

 

 そんな事を考えて、ようやく眠りに付けるはずだった。


 それなのに、いきなり布団を剥がされた事で身構えようとする暇もなく、俺の体は宙に浮いて壁に激突する。

 朝日がそろそろ登ろうとしている時間。部屋の中は薄暗い、だけどゆっくりとこちらに近づいてくる、鬼の形相をした兄上がこちらを見ていた。


「兄上……悪いのだが、俺はこれから寝ようとしていたのだけど?」


「なるほど、永眠がご所望なのか?」


 俺は軽くホコリを払い、言われる前に正座をして頭を下げていた。

 前世で土下座の経験もないのだが、こちらに来てからというもの何回しているのかもう分からない。

 そんなに悪いことをしてきた覚えはない、と思っている。

 それなのに毎度毎度こうなってしまう。何と理不尽な事か……結果的に悪い方向になっていることもなく、むしろ良い方向に向かっている。それをそろそろ理解してくれると助かるのだけど。

 今の兄上にそんな事を言っても通用しないだろうな。


「僕がわざわざここに来た意味はわかるかな?」


「先日、帰った時に兄上に挨拶をしていなかったから?」


「おや? 寝ぼけているのかな? それとも本気でそんな事を言ってるのか? どっちなんだい?」


 寝ぼけるも何も、まだ寝ていないのだけど……どういうことなんだ?

 ああ、なるほどそういうことか……あの時には父上しか居なかったな。


「ロイたちのことですか? あれはですね、今後の先を見据えれば重要なことです。幼い冒険者が育っていくことで、ダンジョンに対して抑え込むのではなく攻略を念頭に……」


 兄上はゆっくりと剣を鞘から抜き取り、剣の腹で頬をペチペチ撫でている。

 はっきり言って生きた心地がしない……怪我は皆あまり気にしていないし、子供たちは多少強引な手だったが、誘拐ということでもない。

 だったら何に対して怒られている?


「頭に血が上っているのなら、血を流せばスッキリできるかもしれないね」


「いえ、結構です。十分冷静だと思います」


 投げ飛ばされた段階で、目は十二分に覚めているし、頭に血が上っているのはむしろ兄上じゃないか?

 あんな音がしたにも関わらず、この部屋に誰も来る様子がない。

 あの三人なら、夢の国だろうけど……クーバルさんたちは、兄上の話に承諾済みというわけか?


「兄上……」


「何かな?」


「わ、分かりません」


 俺が諦めると、はぁ、と大きく息を漏らしていた。

 剣を鞘に戻してコツンと叩かれるがそれほど痛いものじゃない。


「全くアレスには困ったものだよ。ヘーバイン公爵家から昨日の夜に使者が家に来たよ」


「わざわざ?」


「そうだね、わざわざ使者を送ることになったようだね。怪我をしていたにもかかわらず、夜になったら忽然と消えていたそうだよ。それはもうすごい大騒ぎになったそうだよ」


 宿屋の話を何で兄上が?

 いや、ヘーバインの使者がローバン家に来たと?

 考えたくもない話だが、父上に俺はそんな事を何一つ言っていない!?


「ヘーバイン公爵が、用意していた冒険者たちの慌てようと、ダンジョンを二つも攻略した英雄の消失。事と次第によってはとんでもない問題になっていただろうね。何処かの馬鹿が……勝手に居なくなり、多くの人に迷惑をかけたのだよ」


「ええっと……」


 俺のことを敢えて名前を言わない当たり、兄上のご立腹度がわかるというものだ。

 なんて、分析している場合じゃないよな?

 あの時の俺は、まともな食事を取っていなかったのもあって、かなりまともじゃなかったし……何からどう説明すれば?


 説明じゃなくて、言い訳が通用してくれる相手だと良いのだけど……使者が来ているのなら、あの時の誰かが包み隠さず話しているのなら、言い訳をするほうが危険だ。


「加えて、宿屋ではかなり横暴を働いていたとか報告されたよ。助けて貰ったにも関わらず、だよ? 信じられる? こんな話、ありえないよね」


 俺の言い訳じみた説明を出来ないように、兄上は確信めいた言い回しをしてくる。

 あれはその俺も少しは悪いところがあったと思う……だけど、中途半端にしかくれない彼奴等だって悪い。なんて言おうものなら、何が待っていることか。


「アレス。いつも言っているだろう? 人の話はちゃんと目を見て聞きなさいって」


「は、はい」


 兄上は、人を殺すような目で俺を見ている。普段であればともかく、そんな顔をして何を言っているんだよ!

 ローバン家に使者が来ていたということは、ここまで兄上が知っているのなら、この話は父上にもきっと知られているはず。

 家族だけではなく屋敷にいる全員だと考えるべきだろうか?


「面白いことに、この話はこれだけで終わらないんだ。この後もすごいのだよこれが……金ならあるからと言って、大金を見せびらかしたりもしているんだって。お金さえあれば、何でも思い通りになると思っているのだろうね?」


 目を見ろと言う割には、もう少し目つきというものを変えて欲しい。

 目を少し反らすと、頬を掠めない程度にナイフが通り過ぎ、後ろの壁からカツンという音を立てた。


「そうそう、この話を聞いたヘーバイン公爵は、大層ご立腹とのことらしいよ。良かったね、今すぐにでもご息女と召集しろとのご命令だよ」


「すぐにとは何時頃を指すお話でしょうか?」


「何でそんな事を僕に聞くのかな?」


 今すぐというのは今であって近日ではないのだろうか?

 俺としては寝たいし、あいつらだって今は当然寝ている。


「明後日まで時間をください。あの三人はさっき寝たばかりで、流石にこれからだと可愛そうです」


「なるほどね。わかったよ、もし約束を破ったらあの首輪を付けるからね」


 あの頃の悍ましい記憶が蘇ってくる。

 兄上だからこれが冗談に聞こえないのが恐ろしい所だ。姉上様と一緒になって、嬉々とした様子が目に浮かんでくる。


「むしろ破ってくれたら、イリーシャも喜ぶだろうね」


 やっぱり……敢えて小声で漏らしていたけど、これは俺に聞かせるように言っているよな。

 兄夫婦の玩具になるのはもうゴメンなんだよ!

 兄上に明日の夜までには来るようにと言われ、部屋から出て行った。

 布団をズルズルを引きずりながらベッドへ戻る。今思えば……窓からじゃなくて普通に帰れば良いんじゃないかと、どうでもいいことを考えているとすんなり眠ることが出来た。




 レフリアとロイたちはそのままシルラーン家に残るとして、俺たち四人でローバン家へ向かったのだが……兄夫婦は俺のことなんて見向きもしない。

 そればかりか、執拗にチクチクといじめられていた。

 兄上は姉上の結婚式の話をわざわざ持ち出したり、三人も言わなくてもいいのにと、俺のしでかしたことを事細かく言い合っている。

 俺がここに居なくても良くない? と、何度も思ったが、それを許してくれる人がいるはずもない。


「アレスさんって酷いんですよ。私が胸が小さいからって、あからさまな顔をしたんですよ」


 そんな状況にも関わらず、パメラがとんでもないことを暴露する。

 どう考えても、今言うことじゃないだろ?

 お前達もあの首輪を付けろっていいたいのか?


「アレス君はそんなことまでしていたのね。お仕置きが必要かしら?」


「してないしてない」


 俺が否定した所で、ここに居る誰も信用してくれないが、ミーアだけは俺を悪く言うことがなくて安心していた。


「アレス様は、婚約者という者がありながら、見ず知らずの女性と一夜をともにされるのは当たり前なのでしょうか?」


「め、メアリさん? あれは貴方のせいでも……」


 あ、ミーアの様子が少し変わったような……その事についてはちゃんと説明したよな?

 兄上は剣を抜き取り、姉上様は例のブツを持っていた。


「違う違う。誤解だというよりも冤罪だ」


「証人がいると言うのに冤罪なんてありえないよね?」


 俺の罵倒大会は夜遅くまで続き、隣で俺の頭を撫でてくれていたミーアだけが救いだった。

 だけど、その笑顔が少しだけ怖いと思ったのは気のせいだと思いたい。

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