第110話 一応怪我人なのだが?
チェルは一つ一つ食器を丁寧に洗っている。俺もそれに習って洗っているのだが、そんな事をしている余裕はない。
こうしている間にも、空腹感は常にあるし気が紛れることもない。
グーグーと鳴っている事で余計にイライラとしてくる。
「ちゃんと洗ってくださいよ」
「何で俺が……こんな事になっているんだ?」
俺は飯が食いたかっただけなんだが……金も払うつもりなのに。
一体何が駄目だと言うんだ?
一分一秒でも、もう一度あの肉を味わいたい。
昼時ということなのかもしれないが、流し台には多くの食器が残っている。
あの親父が何でこんな事を指示した?
なんで、洗い物をしてから飯なんだ?
「そうか……そういうことかよ!」
流しにある食器類を前に、水魔法で作り出して水で覆う。
水流を起こし、汚れを取り除く。別の水球に入れてよく洗い流して風魔法で一気に乾かす。
魔力糸を使い一枚ずつなんてちまちまとやっていられない。
そう、あの親父は言ったんだ。これが終わったら飯だと……ならさっさと終わらせればいい。
「ふぇえぇぇえ!?」
チェルが持っている物も、放り込み洗い物をすませ、開いているテーブルにへとどんどん積み重ねる。
数分で全ての食器を洗い終えた。
「すごいです」
「終わったら飯だな」
そう言うと、チェルは困ったような顔をして首を傾げていた。
指差した方向には、まだ食器が大量に残されていた。
「何だこの量は……チェルは、そこに置いてある食器をまず持って来い。洗いは俺がやるから」
「は、はい」
飯だ飯だ。こんなのさっさと終わらせて飯にするんだ。
ホールにもまだ食器は残っている。二回目の洗い物を終えて、ホールへ戻り空席になっている所の食器を、魔力糸を使って流し台に運んでいく。
その不思議な光景を見て、残っている冒険者達は持っていたスプーンやフォークを落としていた。
変な噂される事を考えれば、こんな事をするつもりはない。しかし、今はそんな小さいことよりも飯が優先だ。
腹が減っているというのに、ほんの少し食っただけでお預けにされるとかどんな拷問だよ。
「おい、どうなっているんだ?」
「わからねぇ……」
「てめぇら! 食い終わったのなら、さっさと食器を出しやがれ!」
親父さんが俺を止めに入るが、俺にとっては今やることをやったらそれだけでいい。
チェルの小さな体では、食器を持ってくるというだけでも時間がかかる。
「チッ。チェルは洗い終わった食器を片付けろ。ホールにあるものは俺が運ぶ」
「ちょっと待て! 何をしているんだ!」
「見て分かるだろ!? 言われたとおりに、洗い物しているんだよ!」
洗い物を全て終えると、チェルと一緒に食器を片付けていく。全てが終わってからホールに席に付き机をバンバン叩いてチェルを呼ぶ。
「チェル。飯だ飯だ! これでもう文句はないだろう!」
やっとまともな飯が食える。
とりあえずさっきの肉と、後はどんな料理が出るんだろうな。
「お前、いい加減にしろよ?」
「言われたことならやっただろ? いいから飯だよ。腹減ってんだよ」
「自分がどんな状態なのか、分かっていないのか?」
「ちょっとした怪我人? 見ての通りピンピンしているから何とも無い」
同意するかのように、腹の虫も音を上げている。
何よりの証拠が、この空腹を訴える音だ。
腹が減っていて食えるということは、元気な証拠だろう? 違うか?
「何バカなことを言っているのかしら?」
「は?」
後ろを振り返ると、ビキニアーマーを装備した戦士風……冒険者だろうか?
それにしてもだ、ムキムキマッチョなら少し前に見飽きているというのに、どう見ても顔立ちはおっさんにしか見えない。
これならまだアスタロトのほうが救いがある……ビキニアーマーを着るおっさんに色々突っ込みたいところが多すぎる。
「アルルさん」
「あんたがアルル?」
「はじめまして坊や」
これほど気色の悪いウインクが存在するのだろうか……全身に鳥肌が立ち、大きく身震いをしてしまう。
駄目だ見るな。
これ以上見ていると食欲すら消え失せてしまう。
「あ、あんたが助けてくれたんだな。ありがとう、いくら払えばいい?」
「そんな事よりも自己紹介するべきじゃないかしら?」
ローバンの名前は伏せたほうがいいのだろうか?
適当偽名でも別にいいか?
「俺の名前は、イースだ」
「イース? 家名は?」
「それは名乗りたくはないんだよ」
「あら、そうなの?」
何度も何度も顔を覗き込んでくるのだが、そのたびに視線をそらす。
こいつの目的は何なんだ? 寝ていた俺をこんな所に運んだりして、貴族に対して恩を売るつもりなのか?
「まあ、元気そうで良かったわ。ここに運んでから四日も寝ていたのよ?」
「四日? 四日も寝ていたというのか?」
昨日かと思っていたのだが、どうやら俺の勘違いのようだったらしい。
もしあのままずっとあそこに居たとなると、今頃かなりやばかったかもしれないな。
「そうよ。それよりも何があったの?」
「助けて貰ったことには感謝をしている。だけど、俺にだって言えないことはあるんだ」
俺が持っている殆どの金を机に並べる。
百万ルーリはあるとは思うが……アルルはこの金を前にしても動じることもなく鼻で笑っていた。
「それは何のつもり? もしかしてお礼だったりするの?」
「足りないというのなら、後日倍は出そう」
アルルは手の甲を頬に当てて、ため息をついている。
俺からすればこの金よりも、俺から持ち出したロンギヌスの行方が優先だ。
あの部屋には、制服はあっても槍の姿は見えなかった。
俺を助けたというこいつなら、その所在を知っている可能性は高い。
「どういうつもりだ? クソガキ」
甲高い声は一変して、やたらと低い声に変わる。
目つきも変わり、俺を威圧してくるが……色んな意味で目を合わせられない。
俺としては、槍を回収してからさっさと公爵家に戻る必要があるというのに……。
「喧嘩を売るというのなら相手を選べよ? 俺が持っていた槍を何処にやった?」
アルルの威圧を押し返し、こちらからも殺気を込めて威圧する。
近くに居たチェルは持っていたトレイを落とし、俺を睨みつけていたアルルも戦意喪失していた。
一息をついて、威圧を無くすと二人も同じように息を吐いている。
「それで何処にあるんだ?」
「アレならちゃんとした所にしまってあるわよ」
「この金はやるから返してもらおうか……」
「それはまだダメよ。ちゃんと傷が癒えたのなら返してあげるわ。お金もいらない」
「せめてこのぐらいなら受け取ってくれ。助けてくれてありがとう」
そう言って差し出したお金を、アルルはやれやれと言った様子で受け取った。
チェルにも迷惑をかけた分とお礼を含めて金貨を一枚だけ手渡した。
「とにかく腹が減ったんだけど……」
「後三時間は駄目ですよ。何も食べていなかったのですから……」
チェルはそう言って、袖を引っ張っていた。
断食をした後なら、そういうこともあるのだろう。チェルや親父さんはそういう事を気にしているのだろうが、俺としてはそんな事を気にする体ではない。
「そうよね。いきなり何でも、そんな体でガツガツと食べるのは良くないわよ?」
「ふ、ふざけるなよ……さっきの親父だって洗い物が終ったら飯くれるって」
「誰もあんな事をするなんて、思っていなかったですよ?」
俺はテーブルに項垂れていると、気になったのかアルルは、俺が何をしていたのかをチェルから事情を聞き出していた。
色々と文句を言われるが、頬杖をついて聞き流していた。
そんな中、店の扉が開き見知った面々が現れすぐさま顔を反転させた。
「やあ、アレス君。目が覚めたんだ」
「大丈夫だったか? アレス?」
「ひっさしっぶりー、だね?」
何でコイツラがここに……いや、ヘーバイン公爵領だからしょうがないか。
俺の偽名はなんでこうも簡単に意味を無くすんだ?
呪いなのかこれは?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます