第5話 異世界の街へ
それから二ヶ月が経ち、今の生活にも慣れ始めてきた。それでも、姉上によりおもちゃは続いてはいるが、これはもはや俺は諦めている
そんな中でも体力作りは順調で、屋敷の中をある程度歩き回っても疲れて休憩することも少なくなった。
寝る前の筋トレは意外と効果的なようで、もう少し量を増やしてもいい頃かもしれないな。
「アレス様。本日は街へ行ってみませんか?」
「街に? いいの? 行ってみたい」
「それでは、馬車の用意を、アレス様はこちらでお待ち下さい」
「うん、ありがとう」
街か、ここからだとよく見えないし一体どんな感じなんだろう。
ゲームのような町並みでも、実際見るとでは違うんだろうな。
「セドラ!!」
「離せソフィ。私はアレス様の支度で忙しいだ」
「私達を置いて、二人で街に行くなんて許しません! アークに言いつけますよ」
「アレス様が街に行きたいと申されているのです。私はアレス様の専用執事。私がお仕えしているのは旦那様ではなく、アレス様唯一人です。だから、お前は屋敷でじっとしていろ」
何というか無茶苦茶な会話だ。
母上からすれば、俺と一緒に出掛けたいとは思うだろうけど……でもねセドラ、誘ってきたのはセドラだった気がするのだけど。言い争っているので……あえて余計なことは言わないでおこう。
「よりにもよってこの日を選ぶなんて、貴方図ったわね」
「さて、なんの事でございましょうか。私には分かりかねますので、それでは失礼します。奥様」
いくら何でも、あからさま過ぎる。それにしても、煽る必要がどこにあるんだよ。
今日という日がセドラにとって何か都合がいいのだろうけど……あー、母上泣いちゃっているよ。
これまで外に出掛けるということも無かったのだから、悔しい気持ちになるのも分かる。
俺も甘い言葉に惑わされて、家族のことをもう少し考えるべきだったな。
「今に見てなさいよ……セドラ!!」
それにしても、母上の言うこの日とは一体なんだろう?
この二人は本当に仲が悪いように見えるけど、父上はどう思っているのだろう?
用意された馬車に乗る……勿論抱えられてだけど。セドラの前で、何かを一人でやるなんて出来る気がしてない。
今はまだこうして何もかもが支えられているのを、甘じて受け入れるほかない。
「セドラ、窓から外を眺めててもいいかな?」
「勿論ですとも。ただ揺れますので、私めが支えてもよろしいですかな?」
「うん、おねがい」
「このセドラ。全身全霊を持ちましてアレス様を支えましょう」
「え、あ、うん」
セドラの大げさな対応にやっぱり戸惑ってしまう。
俺を抱えて膝を付き窓から見えるようにしてくれる。俺が言えば断ることはないのだろうけど、けど反省する必要があるよな。
屋敷から見えていた壁は、まるで城壁のよう丸く覆っている。門を抜けると家々が立ち並んでいた。
「ねぇ、セドラ。屋敷の周りはなんで壁に囲まれているの?」
「どこから説明すればよろしいでしょうか。この大陸は、全てグルドラリア王国が治めております。王国を中心として、五つの公爵領に分けているのです。ここはその公爵領の中心のローバン家。厳重な警備をするためにもこうして壁を隔てることで安全が保たれているのです」
警備目的のために作られたというわけか。
そこまでしないといけない理由はなんだろう?
「王国だけだと、管理できないから公爵が各々の領地を管理しているというわけか」
「さすがアレス様、ご聡明でありますな」
「ねぇセドラ。僕の家庭教師になってよ。もっと色んなことが知りたい」
「私に、でございますか?」
「もちろんだよ」
いや、あの、嬉しいのかもしれないけどさ、まず涙を拭こうね?
俺を支えているのが優先だから、涙を拭くことはしない。ハンカチを持っていなかったので、袖で涙を拭うと、それもまた嬉しそうに微笑んでいた。
「すごい。こんなにも家があったんだ」
「ええ、ローバン領の中心街アルライトでございます。他にも幾つかの町や村がございます。機会がありましたら、このセドラが全身全霊を持ちましてご案内いたしましょう」
「う、うん。その時が来たらね」
これぞまさしくファンタジー世界。ゲームやアニメで見たような町並み。
町に広がる石畳で作られた道を馬車で移動する日が来るなんて。
見る光景すべてが初めての物で、童心に返った気分だった。
「セドラ、セドラあれはなんだろう。あっちは何かな?」
「逸る気持ちもわかりますが、もう少しだけお待ちして頂いてもよろしいですかな」
店構えからして、それが何なのかはわからない。だけど、入ってみたい、けどセドラが来るまで待たないといけないし。
何やってんだよセドラ置いて行っちゃうぞ。
「お待たせしました。ささ、参りましょうか」
「何してるのさ……」
「アレス様? どうされました?」
馬車から降ろされるまでは良かったが、準備を済ませたセドラは俺を当たり前のように抱きかかえる。
「降ろして、歩きたいんだ」
「申し訳ございません。ですがせめてお手だけでも」
「分かってるさ、行くよセドラ」
それからは色んなお店へと立ち寄り、見えるもの全てが、今まで見たことが無い物に溢れ、俺の心を躍らせ続けている。
子供の頃に初めて二人で遊園地に行った時みたいに何をするのも楽しかった。
そんな楽しい時間も、俺の体力の少なさが邪魔をしてくる。
「セドラ」
「お疲れになりましたか?」
「うん、ちょっと眠くて……」
「アレス様。もしよろしければ私めが抱えて差し上げます」
「ありがとう、セドラ……」
「おやすみなさいませ、アレス様」
* * *
「おや? あの馬車は?」
「これはこれは、お帰りなさいませ旦那様」
「セドラ……アレス? そうか、楽しんできたようだね、アレス」
アークはアレスの頬を軽く触り、少し触られた程度で起きる様子もなく、口元を綻ばせていた。
「はい、街を歩くアレス様の勇姿は今も瞼に焼き付いています」
「それにしても二人だけとは……ああ、なるほど、そういうことか。二人は今日は茶会だったね。図ったね、セドラ」
「何を今更ですよ。ですが、こうしてアレス様と共に過ごせることを、私達はどれほど心待ちにしていたことか……」
「そうだね」
セドラがアレスを見つめる目に、アークの視線もアレスへと移っていた。
長い間屋敷から出ることもなく、ただ毎日ベッドの上で過ごす日々。苦痛に顔を歪め、苦しむ姿をセドラは毎日見ていた。
苦しみから逃げるように感情も次第に無くなっていく。呆然と天井を見つめる姿にどれだけ心を痛め続けたか。
そんなアレスは、だらしなく口を開けたまま、セドラの腕の中で眠りこけている。
「セドラ。君も今日は楽しかったかい?」
「勿論でございます。アレス様と二人で出かけるなど……これほどの喜びは未だ嘗て味わったことはございません」
アレスは毎日元気な姿を見せてくれる。
そのため、セドラには欲が出ていた。
「ですが、今はこれからの成長が楽しみで仕方ありません」
「そうか、そうだね……おかえり、アレス」
屋敷の玄関が勢いよく開かれると、ソフィが怒った顔をしてセドラに詰め寄っていく。
「聞いてください、アーク。あ……」
「セドラ、次は二人をちゃんと連れて行くんだよ。いいね」
「かしこまりました。一番は頂けましたので」
「あっはは。セドラにはかなわないな」
数日経っての日のこと。
「セドラ、貴方は何を抱えているのかしら?」
「はぁ、ソフィ。これは、私の部屋に、飾るものだ。なんで、お前なんかに、見せるわけ無いだろ?」
「くっ」
ソフィからの手を回避しつつ、開いている手からは額にデコピンを食らわせていた。
「どうしたんだい? おや?」
「旦那様、ソフィをなんとかしてくださいませ。私の飾る絵画が大層お気にめさないらしいので」
「全く……セドラは。その絵を私にも見せてはくれないのかい?」
「い、いえ。これは……」
「いいから見せなさい」
セドラは渋々ながらも、包まれた布をほどきそこには一枚の絵画。
アレスがただ寝ているというだけの絵画。しかし、ローバン家にとっては、誰もが待ち望んでいた姿で寝ている。
苦痛を浮かべる顔もなく、片方の足は布団からはみ出し、当の本人からすればなんとも格好の悪い寝相にもかかわらず、満足気に寝ている姿。
「なななっ……なんですかこれ」
「セドラ。流石にこれを独り占めというのは、随分と酷いことをするんだね」
「私達の寝室に飾るべきです。アーク、貴方もそう思いますわよね」
「うん、そうだね。私もそうしたいところだけど……フィールがね」
アークの視線の先には、フィールの目は絵画を確実に捉えており、今にも飛びかかりそうな雰囲気を醸し出していた。
絵画をかばうセドラの背中に、フィールは飛びかかりぎりぎりと首を絞めあげていた。
「お、お嬢様……分かりました。次回はお嬢……」
「私です! 私が一番だ!!」
「ごふっ」
「セドラ、大丈夫?」
「はい、なんとか」
セドラは取られまいとして両手を上げるが、フィールによる全力の突進から繰り出された拳を受け倒れ込んでいた。
手から離れた絵画を落とさず奪い取った後、部屋の隅で一人だけで見ていた。
「もう少しだけ私にも見せてくれないかしら? ねぇ、フィール」
「ああ、アレス。私のかわいいアレスーー」
アレスの知らない所で、お昼寝絵画はフィールのベッドの脇へと飾られその日は何時間もそれを眺めていたという。
「今日は姉上は来ないみたいだね」
「それは、そうでしょうな」
「元気ないみたいだけど、大丈夫?」
「お気遣いありがとうございます。本日はどうされますか?」
「勉強。お願いします、先生」
これも十分に役得だと思うセドラだった。
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