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あんな事を言ってしまって気まずくなるかと思いきや。朔楽はこちらが拍子抜けするほどにいつも通り接してきた。
いや、むしろいつもより積極的だった。
〈ジャケットのデザイン考えてみた!こんなのどう?〉
時にはお世辞にも上手いとは言いづらい絵で作画のイメージを送ってきたり
〈高校の卒業文集の表紙描いたのも歌音だったよな。俺はあの時の絵も好きだな〉
こちらが照れてしまうくらい真っ直ぐに褒めてきたり、かと思えば
〈変顔してみた。何かインスピレーション湧きそう?ってかインスピレーションってよく聞くけどどういう意味なんだろ〉
どんな意図で送ってきたのか全くわからないものもあったり
〈これ懐かしくない?アルバム見てたら虫歯予防の絵画コンクールで歌音が市長賞獲った時の写真出てきた!〉
それ一体何年前の話よって写真を送ってきたり。
誰に対しても、何に対しても、こうと決めたらいつも真っ直ぐ突き進む。
そうだ、これが朔楽ってやつだった。
ここまでされて何も思わないわけがない。
ちょっと前まで視界に入れるのも辛く感じて、クローゼットの奥に仕舞い込んでいたスケッチブックや絵の道具一式を引き出すと、真っ白なページを開いて向き合う。
まずは何でもいいから描いてみようと思った。
いきなり難しい事をしようとしなくていいんだ。
だってどんな事でも、始まりは小さな一歩。些細な物事の積み重ね。
初心に戻ってみよう。まだ絵とも呼べない線と図形の組み合わせを楽しく描いていたあの頃に。
机の上のペン立てから鉛筆を一本引き抜くと、最初に目に付いたクマのぬいぐるみを描いてみる事にした。
あのぬいぐるみは、中学の時に朔楽がプレゼントしたくれたものだった。
誕生日なのに熱を出して学校を休んだ私に、こんな日に友達と会えないのは淋しいだろうと、私が好きだったキャラクターのぬいぐるみを持ってお見舞いに来てくれたのだ。
小学校の修学旅行の時は、お土産屋さんで男子がこぞって何とか刀って木製の刀を買う中、兄弟もいないのに朔楽は二本買っていた。
二刀流だとか言い出すのかと思っていたら、なんとその一本は私用だった。
「殺陣ごっこしようぜ!」
どうやらおじいちゃんの家で見た時代劇に感銘を受けたらしく、結局私はその後しばらく謎の殺陣ごっこに付き合わされたっけ。
朔楽といると、時々無茶苦茶な事もあるけど、それも含めて楽しい事ばかりだ。
今まであったいろんな事を思い出しているうち、絵を描く事もまた楽しく思えるようになってきた。
だけど肝心の朔楽のCDジャケットのイラストは何も思い浮かばない。
気分転換と休憩がてら、部屋の窓を開けた。
すると、開けた窓から聞き慣れた声が小さく聞こえてきた。朔楽の歌だ。
隣同士だから、時折こうして朔楽の歌が風に乗って届く事がある。
音のない世界にいる私が、今唯一聞こえる音。
不思議といつも、その時の私の気持ちに寄り添ったメロディが多くて、本人に言った事はないけれど、今まで何度もこの歌声に背中を押されてきた。
不意に。鮮烈なイメージが頭の中で広がった。
強い風がぶわりと正面から吹き抜けたようだった。
今見えたものを形にしたい。
紙に描いて残しておきたい。
こんな感情は久しぶりだった。
うずうずと体の奥底からどんどんイメージが沸き上がる。ペンを取らずにいられない。
感じたばかりのイメージを忘れないうちに、少しでも鮮明に残しておきたくて、夢中になって線を走らせた。
「……出来た」
完成したのはスケッチブックいっぱいに広がる世界。誰も見た事がない空想の街の景色。
ほとんど殴り書きの勢いで描いたから、全体的に荒さが目立つものの、満足のいく絵が出来た。
ふとスマホを見ると、メッセージの通知を知らせるランプが点滅している。
差出人は朔楽だ。
〈歌音、どう?やっぱりまだ絵を描く気にはなれない?どうしても辛いなら無理強いは出来ないけど、歌音は自分が思ってる以上に絵が好きだと思う。それに俺はやっぱりどうしても歌音の絵がいい。初めてのCDは歌音と一緒に作りたい〉
こういう事を躊躇わずに言えてしまうのは相変わらずでもあり、流石朔楽と言うべきか。
〈今から行く〉
一言だけ返信をすると、描いたばかりの絵を持って外へ出た。
隣のインターホンを押そうとしたタイミングで、玄関のドアが開く。
“期待”の二文字を目だけで雄弁に語る朔楽にスケッチブックを開いて差し出すと、今度は忽ちクリスマスプレゼントを開けた子どものような顔になった。
ありがとう!絶対にこの絵にしてもらえるように、めっちゃアピールしてくるから!
朔楽の口がそう動く。
「よろしく。任せたよ」
久しぶりに思いっきり絵を描いたら、ここ最近心を覆っていたもやもやまで晴れたように感じた。
なんだか今はとてもすっきりした気分だった。
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