第42話

 幾つものあばら家にガソリンを撒いた。

 村全体のガソリンの揮発性で鼻がどうにかなるくらいだった。もう、暑い昼が過ぎ。夕暮れの時間になっていた。羽良野先生は涙を流しながらライターを取り出した。

「もう終わりにしないと……」

「これで最後よ……」

「お父さん。お母さん。おじいちゃん……ごめんね……」

 そんなとりとめのないことをこぼしながら羽良野先生は、村の端の一軒のあばら家に火を放った。


 村田先生が急に散弾銃を撃ちながら叫んだ。

「早く! 村の人たちが起きてしまった! 農耕車から子供たちを助けたい!」

「待って! 羽良野先生。どんなに悲しくても……命は粗末にしたらいけないって、おじいちゃんが言っていたんだ!」

 しばらく、羽良野先生はぼくの言葉が耳に入っていないかのように、次々とあばら家付近の藁に火を点けていった。

 火炎が村を襲う。

 地獄の業火のような火炎だった。

 その炎はバラバラの子供たちごと村中を包みこんでいく。


 一本の何かがぼくへ向かって、飛んできた。

 ぼくのお腹に突き刺さると、あばら家の奥から、異変を察知して起き出した村の人たちが、手に手に農具を取り出し這い出て来た。それと、農耕車の座席にあった子供たちの腕や顔や手が火炎の熱によって動き出し、ぼとぼとと地面に落ちて、それぞれの顔は口を開け。助けを求めるかのように声を発した。

「歩君! 大丈夫!」

 羽良野先生の声を聞いたようだけど、ぼくの意識はどんどんと遠のいていった。


 気が付くと、ぼくの体は走っている羽良野先生に抱えられ、雑木林を物凄いスピードで突進していた。

「ほれほれ。ほれほれ」

「ほれほれ。ほれほれ。ほれほれ」

「ほれほれ」

 お腹から血が大量に出ている。

 羽良野先生の肩から後ろに首をやっとのことで向けると、村の人たちが大勢追ってきていた。

 幾つも飛んでくる農具が羽良野先生の体を傷つける。

 それでも、羽良野先生は息を切らして、ぼくを抱えながら全速力で走ってくれた。

「ぐっ」

 大原先生のくぐもった声が時折聞こえる。

 見ると、羽良野先生の背中には幾つもの折れた錐が随分前から突き刺さっていたようだ。


 村田先生も酷いけがで、それでも、逃げながら後方へ散弾銃を幾度も撃って援護していた。

 暗闇と化した林はおいでおいでと踊り出す。

 まるで、迷いだせ、迷え、迷うんだ、といっているかのようだった。

 どうせ、ぼくは逃げおおせられるとは決して思わなかった。

 ぼくはただ悲しい歌を歌い続けるだけだ。


 再び、目を開けると、ぼくの目の前には羽良野先生が倒れていた。

 背中から大量の血を流し、死んでいるかのようだった。

 もう動けないんだろう。

 ぼくは今度は口で悲しい歌を羽良野先生のために歌ってやった。

 羽良野先生の破損している背中からは、心臓などの内臓が見え。もう、生命らしき活動できるエネルギーのようなものが宿っていない。

「残念ながら……。歩君。羽良野先生はもう動くことができなくなってしまった。でも、悲しむことはないんだよ……。もともと死んでいたんだ。200年前からね。私もだが……いや、この街全部だな……」

 村田先生の悲しく鳴るテープレコーダーの声に、ぼくは悲しい歌を口ずさんで、その場を後にした。


 真夏がこの世とも思えないような忌まわしい事件とともに過ぎ去ろうとしていた。

 ぼくの心の中で口すさんだ悲しい歌も、もう歌うことは無いんだね。でも、父さんと母さんは、あそこにはいなかったのかな?

 では、どこへいったのだろう?

 杉林の獣道を歩いて、村田先生が吐血しながら話しだした。

「この街から出なければね。そう、遠くへと……」

「村田先生はどうやって、あの村へ来たの?」

「車だよ。看護婦長と一緒にね。看護婦長は君のお父さんとお母さんを乗せて、一足先に帰って行ったんだよ」

「え!?」

 ぼくは驚いた拍子に、後ろへ転倒しそうになった。

 空腹感は消えたけど、この体には生命という名のエネルギーはないに等しい。後ろへ倒れるとそのまま動けなくなってしまいそうだった。

「言うのが遅かったかね。でも、仕方ない。さて、この道を真っ直ぐ降りていけばいい」

 そういうと、村田先生は散弾銃の弾込めをしながら、咳き込んだ。


 べっ、と血を吐いたテープレコーダーのような声の村田先生は、どこか遠い目をしていた。

「君の心の旅ももう終わった。後は警察や大人に任せればいい。さんざんだったけど、これもこの街では起こりうることなのだよ」

「え? 真相? まだあるんだ」

 枝葉が靴の隙間に入っていたけど、ぼくは気にしないで歩を進める。

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