第3話 青空マーケット

「クソッタレ!」

 街頭ビジョンに向かって毒を吐くオレを、まわりの連中は〝イカレた危ないヤツ〟と思ったに違いない。オレから半径3メートル以内には誰も近寄ろうとしない。

 スクリーンの中では、いかにもお茶の間でモテそうなさわやか青年が歌っている。彼らは「青空マーケット」……オレ、田村カイが去年までボーカルをつとめていたバンドだ。


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 昨年、バンドリーダーの澤村ユキジからスタジオに来てくれ、と電話があった。早速行ってみると、バンドのメンバーが全員揃っていた。そして……スーツ姿の見知らぬオッサンがその真ん中に立っていた。

「あなたが……ボーカルの田村くーん?」

「ええ、そうですが」

 オッサンのオネエ言葉に吐き気を覚えたが、オレは必死でこらえた。

「実はねェ、ウチの事務所と青空マーケットが契約することになったのよ。ね、いい話でしょ?」

 はあ? 音楽事務所と契約するなんて話聞いてないぞ。オレのコワモテが一層険しくなる。

「あらー、浮かない顔してるわねえ。念願のメジャーデビューよ、あの内村麗二と組んでね。知ってるわよね? 国民的お茶の間アイドルの……」

 オレはオネエ野郎を突き飛ばして澤村に掴みかかった。

「テメエ、オレに相談もなくナニ勝手に話を進めてるんだよ!」

 澤村はオレと目を合わせようとしない。オネエ野郎はオレの手を澤村の襟からほどき、わざと軽い調子でいった。

「ねえ、怒らないでェ。あなたは好きなようにすればいいから」

「どういうことだ?」

「内村麗二と組むのはね、あなた以外のメンバーよ。だってあなた、目つきが怖いんですもの、お茶の間向けじゃないのよ」

 オレはオネエ野郎に殴りかかろうとしたが、バンドメンバーたちが必死でオレを取り押さえた。

「ふざけんなよ、オレなしで成功できると思ったら大間違いだぜ!」

 オレはそう言い捨ててその場を去ったのだった。


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 皮肉なことに、オレの捨て台詞とは真逆に青空マーケットは人気急上昇。一方オレはしがないフリーター。


 冗談じゃねえ。


 気がつけば、川渡中央駅のピアノの前にいた。誰も弾く人もなく、ただひっそりと息を潜めている。オレはそのピアノの前に座り、弾き語りを始めた。無性に腹立つこの気持ちを即興で歌にした。


〽︎クソッタレ!


◯◯野郎!□□野郎!



 名もなき通行人たちは、さも不快そうにオレをチラ見する。当たり前だ。こんな毒々しい騒音を喜ぶようなバカがいるわけない。ところが……ふと気がつくと、二十代半ばくらいの女がじっとこちらを見ていた。さも聴き入ってますと言わんばかりに笑顔を浮かべている。聴いてくれてありがたい、というより気持ち悪い。オレは歌うのをやめ、立ち上がって目の前の女に話しかけた。

「ちょっと、そこのお姉さん……」



「はい……?」


 女はキョトンと首をかしげる。


 スペックは……ライトグレージュのフレアスカートと同系色のパンプス。そしてふわっとした白のブラウス。肌の露出率は……だいたい15%くらい。決してエロくはないが、そこそこ女らしさはキープ。要するに……





 普通。





 それがオレが見た、彼女の第一印象だ。しかし気に食わないのは、「私はかわいそうなあなたを受け入れてあげる」的な上から目線の偽善者スマイル。


「悪いけど、気が散るからあっち行っててくれる? どうせあんたオレのこと、ふてぶてしいフリして本当は愛情に飢えたかわいそうなヤツとか思ってんだろ?」


「……すてきな歌ですね。なんていう歌ですか?」


 質問に質問で返すフレアちゃん。


「こんな歌あるわけないだろ。今オレがデタラメに歌ったんだから」


「デタラメでこんな歌が作れるなんてすごいですよ、天才だと思います」


 オレの神経は逆撫でされまくりだ。


「あのさ、オレの話、聞いてる? じゃまだからあっちに行ってって……」


「あ、すみません。お金払っていませんでした」


 フレアちゃんは500円玉をピアノの上に置いた。「これで聴いていてもいいですよね?」


 フレアちゃんはその上半身をピアノの上に預けて聴く気まんまんのポーズ。この時オレの体内の危険信号が作動した。これ以上相手をしていたら脳が破壊される。オレはピアノの鍵盤蓋をバタンとしめ、逃げるようにその場を去った。


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 それから、駅で弾き語りをするたびにフレアちゃんはやってきた。オレが歌いだすと必ず現れて、オレの歌に耳を傾ける。そしてその都度オレは冷たい言葉をかけ、さっさと歌をやめて帰る、その繰り返しだ。ある時、フレアちゃんの方が先にピアノの前で待っていた。オレは慌てて踵を返すが、なぜか彼女のほうが先回りして行く手を阻み、


「今日は歌わないんですか?」


 などと満面の笑みでぬかしやがる。


「ああ、そういう気分じゃねえんだ」


「そう、残念。今度また聞きにきますね!」


「絶対くんな!」


 と釘をさす。にもかかわらず、オレが駅に歌いに来ると、彼女もまたやって来た。


 さすがに気味悪くなり、音楽仲間の安西キヨシにそのことを相談した。キヨシはヤリ手の女性企業家のヒモで、彼女の家の中にレコーディングスタジオを持っている。青空マーケットがメジャーデビューする前は、いつもそこでレコーディングしていた。


「オレもたまにそこでピアノ弾くけどさ、そんな女見たことねえな」


「つまり、オレが演ってる時だけ〝出る〟のか……」


「……で、カワイイの? その子」


「なに期待してんだ、普通だよ」


「いや、その言い方はカワイイんだろ。でもオレが思うに、その女、オマエの妄想じゃねえの?」


「はあ? あのウザさはマジリアルだぞ」


「オマエさ、ガキの頃から冷たくされて育ってきたろ。だから、心の底でそういう風に慕ってくれる女を求めてたんじゃねえか? それがきっと幻になって現れたんだぜ」


「ありえねえ。オレの妄想のひきだしにフレアスカートを履いた天然ウザ女はいねえよ」


「ともかくその女、オレにも会わせてくれよ」


 そうしてキヨシはオレの弾き語りに同行することになった。ところがその日に限ってフレアちゃんは現れなかった。


「ほらみろ、やっぱりオマエの妄想だ」


 勝ち誇るキヨシにオレは言い返せなかった。しかし百歩譲ってあれが幻だとしても、オレの心の底があんな女を求めていたとは絶対に認めない。


 ところがそれ以来、オレが駅のピアノで弾き語りをしてもフレアちゃんは現れなくなった。やはり安西の言うように、あれは幻だったのか。


 とにかく、せいせいした。


 ……嘘だ。心が寒い。一人であることを痛烈に感じる。いつの間にか彼女がオレの歌を聴いている状況に馴染んでいたのだ。もっといえば、そこに安堵を感じていた。さらにいえば、……とてもさびしい。


〽︎もう一度、君に会いたい


 そんな女々しい歌さえ作ってしまうほど、オレのメンタルは湿っぽくなった。


 ふと気がつくと、目の前に一人の少年が立っていた。また幻か? そう思った時、少年はオレに話しかけた。


「あの……ここによく女の人が来ていませんでしたか? いつもフレアスカートを履いている……」


「ああ、来てた来てた。もしかして君、知り合い?」


 少年はコクリと頷いた。「僕の姉です」


 姉……とにかくこれで彼女が幻でないことはわかった。


「でも、最近来てねえけどな」


「今、姉は入院しているんです」


「入院!?」


 少年が言うには、フレアちゃんは現代医学では治療の困難な病気で入退院を繰り返していたが、オレの歌を聴いて勇気づけられているうちに、状態がよくなってきたそうだ。ところが、最近になってまた病状が悪化し、今では予断を許さない状況だという。


「医者の話では今夜あたりが山だと……それで、あなたの歌を姉に聞かせてやりたいんです。もしかしたら、それで乗り越えられるかもしれない。だから、あなたの歌を録音させてくれませんか?」


 少年は懐からスマホを取り出した。録音するつもりだ。


「話はわかった。だけど、そいつはいらねえよ」


「え?」


「オレが直接行って、君の姉さんの枕元で歌ってやる!」


 オレは驚いて目を丸くしている少年の手を引っ張り、無理矢理タクシーに連れ込んだ。


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 一年後……。


 オレは相変わらず川渡中央駅のピアノで弾き語りをしている。去年と違うのは、フレアちゃんの弟がオレの歌を聴きに来るようになったことだ。


「田村さんて青空マーケットのボーカルだったんですよね。ぶっちゃけ、内村麗二より田村さんの方が全然いいっすよ」


「内村か……アイツも人妻に手ェ出してマスコミにすっぱ抜かれて、アホだよな」


 そのスキャンダルのせいで青空マーケットの人気は急降下、予定されていたCMタイアップもキャンセルされたとか。


「それはそうと……新しくCD作ったんだ。これ、向こうにいるお姉さんに聴かせてやってくれないか?」


 少年はオレからCDを受け取ると、しばらくそれをじっと見つめた。


「……わかりました。姉もきっと喜ぶと思います」


「サンキュー……オレ、そろそろ帰るわ。じゃあな」


 CDを大事そうに抱える少年を背に、オレは川渡中央駅を後にした。


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 去年、フレアちゃんの病室に駆け込んだオレは、彼女の耳元で大声で歌った。驚いた看護師たちは慌てて止めに入ったが、オレは構わず歌い続けた。あとでオレは病院の偉い人からコッテリ絞られたが、フレアちゃんは、ヤマを越えて奇跡的に回復した。


 そして現在、彼女はその病気のスペシャリストの治療を受けるためにアメリカにいる。そのうち徹がオレのCDを届けてくれるだろう。その時また、彼女が天然丸出しの笑顔で聴いてくれるかと思うと、オレは笑いがとまらなかった。


第3話 おわり

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