第2話 計画


 ナザリック地下大墳墓第九階層の一角、アインズの自室。荘厳な寝台に深く腰を下ろした絶対支配者は、その手に持つ書物をゆっくりと読み進めていた。しんと静まり返った部屋の中、紙をめくる音だけがあたりに響く。


 時刻は深夜。慌ただしく過ぎるアインズの日常において、一人で作業ができる時間は限られている。日中は階層守護者から一般のメイドまでに行動の一つ一つを見られているために、心休まる時は少ない。そのため今は誰の視線もないプライベートな時間であった。


 もちろん、扉の外には八肢刀の暗殺蟲エイトエッジ・アサシンの気配があるのだが。


「なるほど、そういう展開か・・・」


 照明は消えていたが、特に文字を読むことに支障はない。闇にぼんやりとその姿を浮かばせながら時に顎に手を当て、時にくっくっと嗤い声を上げるその姿は、次の獲物を嬲る策を一つずつ思案しているかのようだった。


 アインズにとって、今やこの読書は日常的行為となっていた。


 自室では休憩していると階層守護者には伝えている。そのため最初は何かの物音がするたびに本を布団の中に隠して狸寝入りというお手本のような焦り方をしていたが、上司が休んでいる時に部屋にいきなり入ってくる部下はいないだろうし、そもそもアンデッドなのに狸寝入りは二重の意味でおかしいだろうと自覚して、以降は堂々と本を読んでいる。


 しかし、その至高の時を楽しむアインズの動きがピタリととまる。


 一際大きな笑い声を挙げたかと思うと見る間にそれは止み、先ほどまでとは異なった重苦しい空気が瞬く間に場を支配する。扉の外の八肢刀の暗殺蟲エイトエッジ・アサシンにもそれは伝わったようでわずかながら気配の色が変わるが、部屋へ入ってくるような事はない。


 アインズが何も言っていないということは、外での警護の任務を全うすることが最重要――そう彼らは考えているようだ。


「はぁ、ここら辺が潮時か・・・結構面白かったです、ペロロンチーノさん」


 アンデットの持つ感情の鎮静化が働き、感情が抑圧されたのだ。先ほどまでの笑顔――といってもアンデッドに表情はないのだが――はアインズからすっかり消えてしまった。


 昂った感情を無理やり調節される感覚は今でも慣れることはなく、内心酷く苛立ってはいたがそれを表には出さない。代わりに手にしていた本――『髑髏天使☆すかるちゃん』を部屋の脇に置いてある箱へと丁寧に閉まい、魔法による厳重なロックをかけた。代わりに取り出された文庫サイズの本を見ながら、アインズはため息をつく。


「そろそろこの実験も終わりにしないとな。守護者たちはよく働いてくれているけど、それでもやるべき事は山の様にある」


 何故、アインズが本を読んでいたことを隠していたのか。それは先ほどまで読んでいた本が『漫画』であったからだ。


 シャルティアを精神支配した、ワールドアイテムを所持している可能性のある何者か。自身の油断により招いてしまった事態、我が子とも言える階層守護者をこの手で殺させた見えぬ敵。一刻も早く探りあてたいのはやまやまだが、今のところ情報は無い。他にも、魔法を付与するスクロールの作成や、そもそも資金――特に守護者に払うための給金が全く足りないなど、ナザリックが抱える問題は山の様にある。


 それを考えれば漫画を読むというのは一見してこの状況にそぐわない行為ととれるだろう。ナザリック地下大墳墓を統べるものとして、またアインズ・ウール・ゴウンの看板を背負っている者として、これが現実世界ならば非難されるかもしれない。現実に即していうならば、大企業の社長が残業中の部下の前で遊んでいるようなものだからだ。


 無論アインズ自身もその自覚はあった。しかし、同時にこれは必要不可欠なことだとも感じていた。


 ついこの間まで無休で働いてくれていた階層守護者には申し訳ないとは思っているが、アインズは自身の感情がどれほど動いた場合抑圧されるのか一刻も早く測定したかった。元々ただのサラリーマンであった鈴木悟に降りかかる支配者としてのプレッシャー、ナザリックを運営する者としての日々の激務の中でたまっていくストレス、突然訪れる守護者達の行動によってオーバーフローする感情――その中で抑制されるものとそうでないものを把握することは最も優先されるべきものであったのだ。


 ただ、それらは大義名分――つまり表の理由であり、ユグドラシル時代の仲間が勧めてくれていたものをなぞりたかった、という側面もある。


 もっとも、物語のキモとなるシーンに近づくにつれ感情が抑圧されるため十全には楽しめてはいないのだが、それでもアインズは満足していた。


 そんなアインズにとっての至福の時間もこれで終わりを迎える。実験を重ねる間に大体のことは理解できた。これ以上はただの怠慢になってしまう。それに先ほども言った通りナザリックを統べる者として、これ以上の道草はできない。


 部屋に備え付けられた大きな寝台に、しっかりと腰を据える。先ほどの漫画と入れ替わる様にして手にしたのはビジネス書だ。


 日中、階層守護者やお付きのメイド達の前で読む本とはレベルも全く異なる、所謂ハウツー本である。故に、アインズにとってそれほどこの作業は苦痛ではない。何より小難しい単語があまり出てこないし、わからないことがあればすぐに辞書を使って調べられるのが良い。


「さてと、昨日はどこまで読んだんだっけな・・・えーと、どれどれ、『企業の社長が身分を隠し、自分の企業にバイトとして潜入してみた』か」


 その内容は、タイトルの示すまま。特に意外なこともなくアインズの想像通りだった。


 大企業の社長が変装して自分の会社でこっそりとバイトをし、最後には従業員にそれを公開するというもの。その会社が腐っているならば、自分より年上の社長扮するバイトに対して従業員はつらく当たるだろう。普段のデスクワークではなく、肉体労働を社長が行えばミスは当然発生するものだ。しかし、この企業の従業員はミスを責めずに共に乗り越えていく。最後に社長が自らの本当の立場を公開すると、共に働いた仲間として彼らは涙を流しながら抱き合うのだった。


「なるほどなぁ。上は末端の状況をしらないことが多いけど、こういうことができるのが本当の上司だよな。部下の仕事も、人柄も信頼する。俺の働いていたところは、そりゃもう酷かった・・・」


 このように成功すればまだいいが、自分の会社の部下から社長である自分が無能のような扱いを受けたらどう思うだろうか。優秀過ぎる部下を抱えている今のアインズには、とても他人事とは思えなかった。


「でも、そうだよな。自分の会社で何をしているかぐらいきっちり把握していないと運営なんてできるわけない、か」


 うんうん、とアインズは感心し深く頷く。しかし、すぐにその動きはピタリと止まる。


「・・・うん?」


 何か、自分の言葉が妙に引っかかるのは何故だろうか?アインズは手を顎に当てて考える。


 ――自分は何か忘れてはいないだろうかと。


 階層守護者の仕事内容は大体把握している。アウラ、マーレはダミーのナザリックの建設、コキュートスはリザードマンの村の運営。デミウルゴスは聖王国陥落の手はずや、スクロールのための牧場経営。アルベドにはデミウルゴスと同じく書案の作成と、外交の際に使節として出向いたり、その他にも魔導国の法律を作成を命じている。考えは途切れることなく、すらすらと思い出せる。問題ない。


「俺が仕事に関われているか、うまくかじ取りができているかっていうのは疑問だけど・・・」


 階層守護者に関しては、大きな問題はないだろう。アインズが直接命令を下しているし、顔を合わせる機会も多い。何かあればすぐに気づくことができる。セバスが裏切りを企てていると聞いたときは焦ったが、離反の兆しは彼らにはない。


 しかし、階層守護者に命じられて働いている他の者はどうだろうか?プレアデス率いるメイドたちならいざ知らず、他の守護者のもとで働いている者達は?


 その多くはアンデッドだが、彼らの中には食事や睡眠を欲する者たちもいる。しかし実際のところ、アインズは彼らが何をしているかは知らない。


 彼らは果たして今の業務をどう思っているのだろうか?もしかすれば、過酷な業務をギリギリのところで耐えているのかもしれない。今までは問題なかったから、ではこの先も大丈夫だろうというのは愚か者の発想である。


「シャルティアの一件以降、ナザリック強化のために仕事を増やしたからな・・・」


 アインズは前述したような者たちには休息を適宜とらせるようにと階層守護者に命じた。彼らはそれに従っているだろう。しかし、そういう事ではないのだ。幾ら休憩があったとしても、そもそもの業務内容に不満があった場合、休憩すらも苦痛になってしまう経験はよくあることだ。


 例えるなら仕事のない日曜日であっても、翌日から始まる仕事に対してマイナスの感情を持っていた場合、休日全てをぼうっとしてしまい気づけばもう寝る時間。翌朝から始まる業務に対して酷い倦怠感を感じつつ就寝――という経験はないだろうか。


「直接聞いたってナザリックのために働けることが本望です、とか言いそうだしな・・・だめだ、考え出したら不安になってきた」


 ナザリックでの業務内容の把握。それは現状において最重要事項としてアインズは認識した。骸骨であり、アンデッドでもあるのにアインズはないはずの心臓がバクバクとその鼓動を早めるのを感じていた。行動は早い方がいい。


 寝台を降り、考えを纏めるために執務室へテレポートしかけた手が止まる。


「いや、アルベドに聞けばすぐにわかるんじゃないか」


 しかし、すぐにいやいやと首を横に振る。今更皆の仕事内容知りませんでした、なんて言えるわけがない。とすれば、バレないように潜入、そして調査するしかないだろう。ちょうど読んでいた本の真似事ではあるが、前例があるというのは素晴らしい。


「・・・まずは計画を練るために宝物庫、か。最悪、パンドラズアクターに私の代わりを務めるように頼まないとな」


 アインズはゆっくりと寝台から降り、早足で歩く。その行き先は、宝物庫。アインズがこの世界で割と、絡みたくない者が守護する領域だった。

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