第13話 昔のこと

 飯仲啓二とヨシノが出会ったのは昨年のことである。

 圭司の出生地は現在住んでいる町から、山を五つほど超えたあたりに存在する集落だった。あと10年もすれば限界集落となり果てるだろう村に生まれた圭司は、自分に近い年ごろの子と遊ぶことは一切なかった。

 小学生から、中学生に掛けて、集落の中央に位置する分校に通っていた。周りの子らは自分よりも都市の低い子達ばかりであり、その中で育ったため必然として兄役の様な立ち回りをすることになった。

 そういう境遇が、彼を逞しくも誠実にしたのか、それとも田舎の空気が育てたのか。ともかくとして、面倒見のいい性格になった。

 高校進学となると、いつまでも自分のいる集落にいるというわけにもいかない。

 となれば、親元を離れて遠くで暮らすことを余儀なくされる。

 幸いにも遠くに住処を貸してくれる親戚がいたものだから、家賃の問題は解決したが。それ以上に、不安になることがあった。

 圭司は、自他ともに認めるほどに立派な体躯をしている。

 肩から腰元に掛けてがっしりとしていると、長い腕には程よく筋肉がついている。上背もそれなりにあるため、一見してひ弱な印象はうけない。

 だが、親元を離れるという当然の恐怖と、全く知らない環境で、今まで触れあわなかった同年代の子達と一緒に生活をしなくてはいけないということが、彼を苛んだ。受験勉強をしている最中、ああ、いやだいやだ。と布団の中でぶるぶると過ごした夜が何度もあった。

 親があまり裕福でないことから、県立の高校に通うことはほとんど確定していた。

 彼が早くに起きて、こたつにあたたまりながらべんきょうをしていると、家の戸が開く音がする。首を伸ばしてそちらを見やると、父がショベル片手に黙って雪かきに出ていくのが見えた。

 いままでは、「おうい、おまえもやれ」といってこたつから引きづりだされていたが、今年は決してそんなことを言わなかった。

 今までは、夜遅くまで起きているとわざわざ部屋を叩きに来て、もう寝ろ、と言ってきていたのに、今年はそんなこと全く言ってこない。

 圭司の身体が温かくなっていた。こたつの性ではない、それいじょうに温かい何かを感じていたのだった。

 受験当日は父に車で送っていってもらった。

 車に揺られながら参考書を必死に読んでいると「酔うから、やめい」と言われた。外の景色を眺めながら、頭の中で英単語を復習していた。帰ってその方が、頭の中に張ってくるように思われた。

 その日の山は眠っていた。雪の下に隠された。

 白い景色の中に自然と自分が吸い込まれて幾夜だった。

 受験会場につき、車を降りようとすると父があたっしゅボードから何か取り出してきた。それを何も言わずに突き出してくる。とってみると、お守りというにはあまりに不格好な布の塊だった。

 二つの布を合わせて、そのなかに綿を詰め込んで出鱈目に縫い付けただけのものだった。

「うん」

 圭司はただそう言って受け取った。

 父親は、黙って頷いた。

 会場の門を抜けながら父親が中卒ですらないことを思い出した。

 

 高校受験はあっけないほど順調に終わった。成績発表の日、自らの受験番号を握りしめながら高校に向かった。周りには自分と同じような人たちがたくさんいる。皆一様に不安そうな顔をしていた。

 だが、そんななかにはへらへらとしながら仲間とつるんでいる奴らがいた。

 自身があるのか、それともないから笑うのか。

 恐らく後者なのだろうと思いながら歩いていると、目の前に変な奴がいた。

 寝癖を直さずにそのまま来たのか、頭のあちこちがぴょんぴょんとはねている。そして、まっすぐ歩くのではなく、よたよたと千鳥足なのか、それとも偉ぶって歩いているのかよく分からない歩き方をしている。

 圭司はすぐに追い抜かそうと、すれ違ったのだが、その時鼻を異臭が突いた。思わず鼻にしわが寄る。

 なんだ個の匂い…板金屋の濃い匂いだ。

 横目でじろりと見ると、そいつはいかにも寝不足と言った風に、目の下に大きなクマを作っていた。どんよりと濁った黒い目に、嘲るようなまなじり、そして薄い唇。自堕落な生活をしていることが、ありありと現れた人相だった。

 こんな奴もいるのかと、足早に過ぎようとしたとき、そいつの手先が見えた。

 なんてきれいな手をしているんだと思った。

 手に青い血管が一つもなく、赤みがかったところもなく、毛穴なんてまるでなく、まるで受験日に振っていた雪のように真っ白で美しい手だった。そして、その手先が色とりどりに彩られている。

 赤、緑、黄色、蒼、手先を虹色の水溜りにぽチョンと付けたようになっていた。

 …言葉にしにくい奴だな。

 第一印象はそうだった。

 やがてボードに張り出された自分の番号を見て、胸をなでおろした。合格したという喜びよりも、良心に負担を掛けずに済むという安心感の方が強かった。ほっとした瞬間だった。

「おーなんだ。てめぇも受かったのかよぉ」

「なんだとはなんだ。ていうか、寄るな馬鹿。なんか匂うぞきみ」

「あー出がけに描いてたんだけどよぉ。オイルぶちまけちまったのよ」

「きたないなぁ。ちょっと離れてくれよ」

「嫌よ、一緒にいてよん」

 少しくぐっていながらも、それなりに通る低い声だと、凛とした少年のような甲高い声がまじりあっていた。振り向いて見ると、さきほどのくさい奴が、なにやら隣の女子と楽し気に話し合っていた。

 隣の女子の顔が、やたらと中性的で、凛々しかったのを覚えている。

 合格はっっ票から少し経って入学となり、緊張を抱えながら教室に入った。教室に一歩入ったときに感じたのは、まとまりだった。おそらく、クラスメイトのほとんどが顔見知りなのだろう、それなりにグループのように湧かれてはいたが、互いに親し気な空気間を出していた。

 圭司はそもそも、同年代の奴らとうまく話せるのか?という不安を持っていたために、最初は旨く話しかけられなかった。

 朝のホームが終わり、授業が始まり、そして昼休みになっても彼は独りで机に向かっていた。そもそも、彼の顔に少し険があるのと、がっしりとした体つきのせいで誰も話しかけようとはしなかったのだ。

 周囲の人間も、別にそれほど圭司に興味を持っていたわけではなかった。

 どうすっかなぁ。

 自分から話しかけようか…。そうとも思ったが、なかなか行動に移せない。もし、話しかけてうまく言葉が出てこなかったから、変な奴だと思われてしまう。そうなれば、より一層仲良くなるのは難しくなる。

 変な奴に…。

 そうだと思って顔を上げた。たしか入学式の時、あのペンキ臭い変な奴も一緒だった。

 探してみるとすぐに見つかった。

 あの時よりは目の下が薄くなっていたが、まぎれもなくあいつだった。クラスの男子と肩を組みながら、げらげらと大声で笑っている。女子数人とも楽し気に話し合っていた。

 あいつなら話しやすそうだと思っていたが、どうやらそうでもないようだった。

 あの時あいつの横にいたのは恋人なのだろうか。

 涼しさの中に鈴をころがしたような印象の人だった。さらりとした短い髪に、猫のように大きな目。少し釣り目がちで、黒目は小さい。目元や口元が、爽やかに薄い色をしていた。

「なあ、君」

 微かに線香のような匂いがした。振り向くと、短い髪が揺れていた。

「一人で何をやっているのかな?」

「い…いや、別に」

「ふうん、そっか」

 突然話しかけたられたものだから、圭司は少し動揺した。

 彼女は腕を後ろにしながら圭司の眼を覗き込んでいた。

「中学で君みたいなやつみたことないな。どっからきたの」

「あ、えと半部別ってとこからきたんだけど」

「ああ、山間の集落だろう?君、随分遠いところから来たんだなぁ」

 話しかけてきてくれたのはうれしいのだが、どうにも意図が読めなかった。俺に脅威を持ってくれたのか、それとも一人で寂しそうにしている奴がいたから善意で話しかけたのか。

「お、ヨシノぉなにそいつ」

 よたよたと猫背で歩いてくる奴がいた。それは油野郎だった。

「ん、おお松葉か。聞いてくれよ、彼半部別から来たらしいよ」

「半部別って何?」

「こっからずっと山に入ったところにあるしゅうらくだよ」

 男はふーんと言いながら、腰を曲げて圭司をじろじろと見た。濁った眼だったが、近くで見ると随分と透き通っていた。圭司はすこしヒクつき、身体を後ろに引いた。人を値踏みするような視線に、嫌悪感を抱いたが、男がにんまりと人懐っこい笑顔を浮かべると、すっと腕を回した肩を組んできた。

「お前、めちゃガタイいいな。なんかやってたん?」

「何もやってないけど…あ、畑仕事はやってた」

「それだけで、こんな筋肉つくかよ!」

 そういいながら、べたべたと身体中を触ってきた。最初、陰険なイメージを持っていたが、関わってみるとかなりフレンドリーな性格であった。

 これがヨシノと松葉との出会いだった。

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