第11話 美しき絵
魚から柘榴の実が垂れていた。
絵であったが、眼球には写実主義的なところがあった。人の眼をくりぬいたような眼球が、生き生きと濡れていた。
その美しい白い腹に、横一つ切込みが入れられていた。ぷっくりと膨れた腹に沿って開かれたところから、ルビーのように輝く柘榴のみが零れ落ちていた。
魚はニジマスだった。
魚には残虐な仕打ちがされいたが、決してそれはサディスティックな意図や、グロテスク的な要素を前面に押し出してはいなかった。むしろ、その対極にあると知らしめたいがために、描かれているようだった。
絵の中央には木の机が置かれていた。
魚は、初夏から深緑にかけての青もみじのうえに置かれている。
その上に、魚を日から隠そうと緑の楓が生い茂っていた。背後には、うっすらとであるが清流が描かれている。
穏やかで、しかし煌びやかで、いろいろなものを寸前で触れて話してしまうもどかしさの様で。
生きていることが不思議に思えるような絵だった。
眼が行くのは魚だが。
それ以外にもう一つある。
その机の後ろに、人が立っているのだ。
楓に隠されてその上半身はよく見えないが、胴体や手足の短い処、腹が可愛らしく膨れているところなどを見てみると、5歳ぐらいの子供のようだ。股間はテーブルに隠されているため、その性別までは判断のしようがない。
魚はあくまで前菜だった。
初めに魚に眼が行き、そして後ろの子供に眼が行く。
その過程を経て、初めてその絵が完成するように思われた。
彼女が何故その絵を描いたのか。
いや、描き得たのか。
最初にその絵を見たのは雑誌だった。
本屋でたまたま見かけた本の表紙に、ヨシノの本名が書いてあった。だから何気なく取り上げて、ぺらぺらとめくった。初めの10ページ目だったか。
絵の絵の写真が、一ページにまるまるのっていた。
その絵を眺めて、そうして自分が捨て去ったあの絵のことを思い出した。おれはかんじょうにみをまかせ、あの絵を蹴り上げてから、美術室に行っていない。画材道具はあらかじめ持ち帰っていたから、わざわざ行く必要もなかった。
この絵に描かされているのは、俺が蹴り上げて殺したあの魚そのものだった。
自分の枝からよくわかる。
俺は魚を描く時、目は人形のように大きく、そして艶めかしく書いて、肌の模様はぼかして描く。でも、それ以上に俺の枝と思った理由は、その再現の忠実さだ。俺の癖を真似して描いたのではなく、俺のあの絵を模写したという方が正しかった。
あの絵を描いたうえで、さらに自分なりに変えたのか。
「…」
そうではなかった。
そうは感じなかった。
変えたのではなく、飲み込んだように感じた。
俺の絵を描き、その絵を周囲の絵で飲み込んでしまうような印象を受けた。
「ヨシノ、何がしてぇんだよ…」
雑誌を元あった場所に戻すと、背中に冷たい汗がにじんでいた。
脳みそが一気に冷たくなり、どろどろ溶けだす気がした。
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