第10話 ファミレス

 翌日から学校に通った。

 別段何事もなく一日一日が過ぎて行って、やがて夏休みに入った。

 高校二回目の夏休みだ。これから40日間、いったい何をして過ごそうか。

 一週間程度筆を握っていなかったこともあって、久しぶりに絵でも描こうかなと思った。しばらく時間を空けていると書きたくなってくる。夏休み初日から描こうと思っていたのだが、初日、10時頃に目が覚めるとその気が全くなくなってしまった。

 ベットの上でただごろごろしながら、無為な時間を過ごした。

 結局、一週間程度そんな調子で過ごしてしまった。

 4時ごろまで起き、午後に起き、冷めた飯を食い。そして、遊びに出かける。ときどきカセットテープを聞いたり、映画を見たりして、暇をつぶしていった。

「あーしんど」

 そうつぶやいたのは深夜のファミレスである。

 以前俺はここで油絵のためのアルバイトをしていたのだが、目標金額を稼ぎ切ると半ばバックレるようにしてやめてしまったのである。しばらくはいきなりやめてしまった申しわけなさと、ひょっとして今俺がいったら料理に蟲や髪やつめや体液を誤入という名目で入れられるのではないかと恐れ、いけなかったのである。

 だが、今年の初めに勇気を振り絞って入ってみると、店内の従業員はおろか、店長すら一掃されていたのである。どうやら、ファミレスというのは、そういうものらしかった。

「しんどいって、なんだよ。どうせ、今日も夕方まで寝ていたんだろ」

「るっせえ圭司。ばか、カス死ね」

「いいすぎだよ松葉くん」ころころ小夜は笑った。

 俺は例のごとく遅くに起き、そして持て余した青年期の暇を手にぶらぶらと歩いていた。夜の街を散歩しているのは俺と徘徊老人と、あとはヤンキーぐらいである。きっと、都会のジュノンボーイが見たら驚くのだろうが、ここのヤンキーは未だにリーゼントに半パンなのである。

 この地域へは都会の文化が20年は遅れてやってくる。いや、ひょっとすると40年はかかるやもしれない。

 彼等は肩を怒らせて歩く、まるで喧嘩の相手を探す獣のようだが、ここら辺は子供の数が少ないためそういう相手に遭遇することも少ない。

 行き場のない身体の昂ぶりをむけようにも、掃きだめもないのだ。

 俺は歩きながら。

「そうだ、圭司を迎えに行ってみよう」とおもいたった。

 たしか九時ごろまでバイトのはずである。

 時間も丁度九時に差し掛かろうかという時間帯であった。さっそく、運送会社のところまで行ってみると、広々とした駐車場の奥に、煌々とした電気の白さを漏らしている事務所が見えた。コンクリート造りの、四角い建物だ。駐輪所の方へいき、圭司の原チャリを探した。彼の原チャリは、奥の隅っこでひっそりと待っていた。俺は、その上に座りながら星の数をひたすらに数えていた。

「結構数あんな。数え切れねぇぞこれ」

 端から見てくとなんだか目が痛くなる。

 結構数あると言えば、止めてあるチャリの数だ。其れなりの人数がまだ帰っていないらしい。

「大変だなぁ」

 また座りながらまっていると、事務所の扉が開いて誰かがこちらにやってきた。

 駐輪所脇の電灯に光あてられて、浮かび上がったのだ淡い茶色のロン毛だった。末端に行くにつれてふわふわとしている、犬みたいな毛だ。

 やがてそいつはおれの前まで来たところで、予約気が付いたらしく「うお!」と声を上げて飛びのいた。

「なんだ、なんだ」

「俺だよ。圭司」

 端は光が当たらないため、ほとんど影に埋まってしまう。だから俺が乗っているのに気が付かなかったのだろう。

「来ちゃった☆」

「…ウザめの彼女かお前は」

 それなりにつかれているらしく、ため息を吐いてきやがった。

 そっからの成り行きで、ファミレスに行くことになった。ほかの二人もさお王ということになり、小夜に電話を掛けたら二つ返事で行くという返事が返ってきた。彼女の家はファミレスの近くなため、歩きでもこれるが一応迎えに行くことになった。残るはヨシノだが、何回かけてもつながらない。

 かといって、時間も時間であるから家電に掛けることもできない。

 しかたなく、ヨシノとはまた別の機会にということになった。

 そうして、ファミレスに至る。

「うーむ、最近ヨシノの顔を見てない気がする」

「あ、私も。最近会えてないなぁ」

「そうか?一週間前に会っただろ」

 こともなさげに言ってくるので、俺は大げさにため息を吐いた。

「あー、お前はそう感じるかもしんねぇけどよぉ。俺とヨシノが一週間以上会わねぇのって結構珍しいんだぜ?」

「そうなのか?」

「ああ、ほらあれじゃん。小学校から中学校から高校で今の今までよ。ずうーーと一緒なわけよ。そうなるとさ、基本的に顔合わせるわけよ。だから一週間に5回は顔合わせるし、土日も一緒に遊んでたら、そらもうしょっちゅうよ。中学の夏休みも、去年の夏休みも基本的に一緒にいたかんな」

 ヨシノと本格的に仲良くなりだしてから、ほとんど一緒に生活しているようなものだった。朝だって、一緒に登校していたし、下校の時も一緒だった。土日だって二人一緒に遊びまわっていた。

 中学でとなると、ヨシノが陸上部にはいったため、少しばかり付き合いも減ったが、俺はおれで美術に入ったため、下校時間自体は一緒だったし、休みの日は一緒に遊んでいた。

 高校でもその生活にさほど変わりはなかった。

「だからよ。一週間会わねぇ時点で、なんか淋しいのよぉあたし」

「淋しいからってバイト先に来られちゃ迷惑だな」

「るっさいばか。うれしがりなさいよ」

「いやよいやいや、そんなのいやよ」

「ねぇちょっと聞きたいんだけど」

 二人でゲラゲラやっていると、小夜が変わった質問を投げかけてくる。いや、当たり前の質問なのかもしれない。

「ヨシノちゃんがいる前で、聞きづらかったんだけど、二人って恋人じゃないんだよね?」

「え?俺と圭司?そりゃもう、おまえーなあ?」

「きもいきもいきもいきもいきもいきもいもきいもきいもきい」

 俺が熱っぽい視線を投げかけると、身を震わせて「きもい」を連呼してきやがった。投げキッスで返すと犬の様な髪の毛を震わせてきた。

「そ、そうじゃなくて!」

 顔を真っ赤にして、声を荒げる。すこし、情熱的すぎたかもしれない。

「ヨシノちゃんと松葉くんだよ!」

「俺と奴?」

「あーそれは、俺も気になっていたところだ」

 俺はわざとらしく、ふーむ、と言って唸った。

 そうかそうか、おれとあいつか。

 ふたりをみると、結構真面目そうな顔をしている。

 たしかに、こういう質問はヨシノがいるときだとなかなかしずらいものだ。おもえば、二人が俺と遊ぶときは高確率でヨシノがセットになる。圭司と小夜とは結構長い事一緒にいるのに、こういう話は一度もしたことがなかったな。

 二人も、なんとなく気を使っていたのだろうか。

「付き合ってねぇよ」

「そ、そうなんだ」

 なぜか、小夜は少しだけ安心したような顔をした。ほほに桃色を少し残している。

 もしや、俺のことが好きでそんな顔を見せてくれるのかなー。なんて少しは思ったが、実際は全く違うだろう。

 俺の見立てだと、小夜がヨシノにあこがれてるのとも違う。いや、少し近いだろうか。

「ガキんころから一緒だから恋愛感情ねぇとか。そういうんじゃねぇんだけどよ。なんかヨシノとはそういうのでいたくねぇのよ」

「というと」

「ほら、恋愛だと関係性がすぐ終わっちまうだろ?そういうのでもいやだし、まあそもそもヨシノに対して恋愛感情自体全くないんだけどよ。なんつーかな。言葉で言いにくいんだけど、大切な奴ほど友達でいてぇんだよ。俺は」

 圭司も小夜はやたら真面目腐ってやがる。もっと、気楽に聞いてほしいものだ。

「正直、俺に彼女とかできてもヨシノのこと優先すると思う。それぐらい大事なんだ。だからこそ、友達の立ち位置でいてほしい。そういう青い関係でいてくれた方が、めちゃくちゃ綺麗ぇな気がする」

 きっと、小夜のあの顔は、この関係性がしばらくは保たれることに対する安心感からなのだろう。彼女でもない、あくまで友達。いや、大切だからこその友達。肉欲的なところから、道をそれて歩み続けるような間柄の心地よさってのは、正直痛いほどわかる。

 俺はコーラーをストローで飲んだ。

 炭酸のぱちぱちが喉を通ったら、恥ずかしさがこみ上げてきた。

「やっべぇはっず」

 何語ってんだ…おれ。

 激辛ラーメンの元を飲んだ時のように、顔が一気に熱くなる。

 ヨシノとの関係が何だ。そんなの普通に、付き合ってねぇ、っていえばいいだけの話じゃねぇか。なに、思ってたことそのまんま言ってんだ。

 恥ずかしさのあまり、髪を掻くふりをして顔を隠した。隙間から二人を除くと、小夜は何故か感心したような顔をしている。だが、圭司はなぜか満足したような顔をして、にやにやと笑っている。

「青い関係か…随分芸術家らしいことを言うようになったじゃないか。松葉」

「やめいやめいはずいはずい」

「わ、私すごくいいと思う。たぶん、ヨシノちゃんもこのままの関係でいたほうがいいって思ってるよ。それに、画家の先生みたいでかっこいいよ」

「小夜、そう言ってくれるか。でも悲しいかな。画家の先生は、ヨシノであって俺は先生と呼ばれるところにはまだ行っていないのよ」

 思わずうなだれてテーブルに突っ伏した。

「あ、あ、ご、ごめんね!松葉君」

 あわてて謝罪してくるがもう遅い。別にそれほどショックでも無いが、針で頭皮をチクリされたくらいには痛い。

「べつに、小夜はわくないんだよぉ。事実だし」

「そうだぞ小夜。本当のこと言って悪い事なんか一つ言っていないんだ。ほら、もっと言ってやれ。万年、夢見る青年」

「てめ、ちょうしのんな」

「だ、大丈夫だよ。松葉くんずっと頑張ってきたんだから、絶対にいつか画家さんになれるよ」

「おお、小夜ぉ」

「たくさん頑張れば、それだけ夢に近づけるよ!」

「おおお、えらく前向きな…」

「確かにな、画家で食って行けるかどうかは別として、努力すればそれだけ近づけるのは確かだ。自分の努力を一っ飛びで超えるやつもいるが、それだとしても努力さえしていれば近づける」

「おおお、今日はみんなやたらな優しいな」

「バカ、いつだって俺らは優しいだろ」

「小夜はそうだけど、お前とヨシノはそうでもないだろ」

 あれはまだ一年のころだったか。

 高校一年で出会った俺たちは、雪の降る草原に遊びに出かけた。

 一面の雪景色、夏の風景の写し差を忘れてしまうような銀世界だった。白くわたる中に、黒い木々が稲妻のように生えているのには、言葉を奪われた。まあ、実際は毎年見てる景色だけに、そこまで感動はなかったが。

 誰が言い始めることもなく、雪合戦が始まった。

 とくに勝敗のルールはなく、参ったといったらそいつがリタイヤというような感じだったと思う。最初にリタイヤしたのは小夜だった。ヨシノの投げた雪玉がカーブを描いて小夜の小さな顔を打ち抜いた。

 そのあと、小夜はしょぼくれて隅っこの方で雪だるまを作っていた。

「おうらぁ!松葉!」

 圭司が飛ばしてくる豪速球を交わしつつ応戦していたが、ヨシノの放つ変化球には手を焼いた。避けたと思った瞬間、スライダーが顔面を捉えて白い粉が顔面で破裂した。

 それにバランスを崩して倒れ込んだ瞬間、圭司の真ん中ストレートが俺の顔面へ吸い込まれていった。

「ぼふっ!」

 俺は立ち上がろうとしたが、次の瞬間には雪玉が飛んでくるため幾度となく地面を舐める屈辱を味わわせられた。

 そうなんども、なんども。

 そこで俺は気が付いてしまった。

 俺の知らぬ間に、ヨシノと圭司が結託して俺一人を狙って集中砲雪を浴びせていたのである。

「もう止めてくれぇぇぇ!」

 体を守るため亀のようにうつ伏せになったが、雪玉が止むことはなかった。むしろ前よりは酷くなっていく。

「うおおおおお!」

 叫び散らしながら、固くなっていると不意に雪玉が止んだ。ようやくリタイヤを受理してくれたかと、起き上がって振り返ったのが間違いだった。

 その影はすっかり俺を隠してしまっていた。

 先ほどまで、小夜が作っていた雪だるまの胴体を頭の上に抱え、今にも振り下ろさんとしているヨシノの姿があったのだ。その顔面は赤々と高揚し、白い息はハアハアと吐かれているのに、らんらんとした狂気の眼だけはこれ以上なく楽しげに笑っていた。

「卑怯だぞきさまままあああああ!」

 次の瞬間には、階段から月落ちたような衝撃が頭を貫いた。俺の頭に衝突し爆散する雪玉。俺の意識が、一瞬だけ吹っ飛んだ瞬間だった。

「うん、今思い出した。やっぱりお前ら優しくない」

「そんなこというなよ。松葉、いつも原チャリ乗せてってやってるだろ?」

「う、そうかもしれんが」

「ふふふふふ、優しいって言ってもらえた」

 小夜は何やら楽し気だ。本当に、ヨシノと同じ生物とはとても思えない。

 そのあとも、あれやこれやと雑談を交わしていた。そうしているうちにだんだんと夜も深まっていった。

 大体12時手前だっただろうか。

 店内に三人の客が入ってきた。何気なくそちらの方へ眼をやると、金髪ピッカピカの紙が目に入った。だぼだぼのボンタン服に、やたらと短い黒ジャケット。手にはめたごつい指輪。不良というものを顕在化したような連中だった。

 別に物珍しいというわけでもなかったので、構わずに話し続けていると。どうやら、俺たちを見てひそひそと話しているらしかった。さほど遠くもない席なので、なんとなく雰囲気で分かる。

 やがてその中の一人がこちらに向かってツカツカ歩いてきた。

 俺はそれを横目で確認しながら、「やるか!この野郎」と圭司と二人がかりで仕留める算段を立てていた。金髪頭がテーブルの前で立ち止まると「あ、どうもこんばんわ圭司さん」と挨拶をしてきた。しかもそのこわもてと、ガタイに似合わぬ声変わり直後の春梅の様な声だった。

「お、なんかトシキ君じゃないか」

「あれ、圭司くん。知り合いの人?」

「ああ、バイト先が同じなんだ。俺さっきあがったけど、今日は被んなかったな」

「あ、自分は明日です」

「へぇ入りは?」

「昼の十二時からです」

「あちゃー入れ替わりだ」

 くそ、言葉遣いから何までまるきり好青年じゃないか。特に「です」のアクセントがキチッとしてるところなんか、好印象を覚えてしまうじゃないか。

 俺はあえて怖い漢を演出してみようと、まゆをぐぐぐと寄せていた。すると、それをみた小夜が小さく噴き出した。自分が滑稽に思えてきたので、やめた。

「あ、えと。それで…」

 トシキ君とやらが俺と小夜を交互に見る。

「ああ、この子が飯仲、んでこっちのぼさぼさたれ目が花菱」

「よろしくね」

「よろしく」

 トシキ君はあはははといいながら頭を下げた。少し照れているようにも見える。

「あ、そうだ。圭司さんってたしかヨシノさんの知り合いなんですよね」

 俺ははからずしも、その言葉にピクリと反応してしまった。

「ああ、そうだが」

「もしよかったら今度サインとかもらってくれませんか?うちの姉貴が欲しいって言ってるんですよー」

 なんの悪気もなくそういう。

 圭司は頭をポリポリとかき、俺の方を指さした。

「それなら、俺よりもこいつに頼むんだな。こいつヨシノの幼馴染だから」

「あ、そうなんですかー」

「…おう、そうよ」

 じゃあ、お願いしますと彼はぺこりと頭を下げた。そう丁寧に言われるとなんだか断るのも悪い気がしてくる。

 しかし妙な気分だ。

 親友のサインをもらってきてくれと頼まれるのは。

 それだけヨシノが有名人になったというわけなのだろう。狭い町だから、そういううわさはあっという間に広がってしまう。

「いいよ、じゃメルアド教えて。連絡するわ」

「あ、はい」

 そうしてトシキ君とメルアドを交換した。

 今度暇なときなど突然大量のメールを送り付けてやろうか。

「あ、そうだ。この間、自分ヨシノさん見ましたよ」

「そうなん?」

「はい、なんか駅前だったんですけど。めちゃくちゃおっきい風呂敷抱えてましたね」

「…」

 めちゃくちゃ大きい風呂敷か…。

「なあ、トシキ君。それって四角くて薄くなかった」

「え?あ、はいそうでしたけど」

 絵か…。

 きっと、油絵や何やらの類だろう。

 以前、なんども運ぶための重ね止めを手伝ってもらっていたので、一人でできるようになってしまったのだろうな。

 しかし、絵か。

 賞を受賞してからまだ数週間そこらなのに、随分と次回作の発表が早いものである。きっと、ここ一週間あえなかったのも、最後の仕上げに入っていたからなのだろう。絵の注文でもあったのかな、それとも次のコンクールに向けてか、あるいは画壇に発表でもするのだろうか。

 あれこれ考えても、尽きない。

「そうか」

 声が落ちる。

 トシキ君はあきらかにテンションの低くなった俺を見て、少し狼狽えたが小さく頭を下げて元の席に戻ってしまった。

「松葉」

「んだよ」

「やっぱ立ち直れてないだろ」

「んーいやべつにー。たーだ、うらやましいなーとおもーてよー」

 俺は少し笑ったが、二人は笑ってくれなかった。

 そのあと、しばらくだべっているうちにまたいつもの調子が戻ってきた。三人で1時頃まで、話し合い。そろそろ眠くなってきたということで解散することに決めた。

 小夜を送り、圭司に送ってもらっている最中、ヨシノのことが頭にはなれなかった。俺がこうやっている間に、あいつはあいつなりに道を歩んでいっている。俺がどこにも行けていないのに、どこ吹く風と歩んでいる。

 波に例えた人生だが、俺の波だけデカすぎだろ。


 

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