第5話 足許が揺れていた時、眩暈だと気が付いた。

 衝撃!弱冠17歳の少女が栄華賞受賞

 最年少で受賞!

 浜川美知恵 井伏寛治 横山圭太 推薦

 エトセトラエトセトラ。頭の中がごっちゃになっていく。

 テレビや新聞の見出しはどれもありきたりなものだった。天才少女、光る原石、ゴッホの再来。それらしい美辞麗句で塗り固められたものばかりだ。

 月曜の朝、テレビをつけた時まっさきにヨシノの姿が映し出されていた。

 表彰台の上に立ちながらも、背筋をピンと伸ばし、すらりとした体で毅然と賞を受け取る姿は様になっていた。いつも見ている砕けた感じのヨシノとはまるで違かった。テレビに映っているのが、俺の良く知るヨシノだという実感がまるでわかない。

「ヨシノちゃんすごいわねぇ、こんどお祝いのお品もってかないと」

 朝食を運びながら、まるで自分のことのように喜んでいる。

 父は椅子に座ったまま新聞の一面を何やら熱心に読みふけっている。そこには当然のことに様に、芸能人たちの横に並ぶヨシノの姿があった。

「ふむ…ヨシノちゃんか、あの子は昔っからおてんばだったが、どこか光るところがあったよなぁ」

 表情を変えないまま、しみじみとそう言った。

「やだぁ、お父さんたら知ったふうなこと言っちゃって」

「いやいや母さん。私は昔っからそんな風に思っていたんだ」

 目の前の両親の会話がどこか遠く聞こえてくる。

 テレビの音はもっと遠い。

 ヨシノの顔は、彼方の蜃気楼のようだ。

「そうだ松葉。お前、ヨシノちゃんとあのあと連絡取ったのか?」

「いいや」

「せっかく、受賞したんだ。お祝いの電話位いれたらどうだ」

「ヨシノが忙しいって思ってよ。入れてねぇんだわ」

「まあ、それもそうか」

 あくまで普通に会話する。決して悟られないようにして、言葉を紡ぐ。声色を絶対に落とさない。何でもないみたいに、飯を口に運ぶ。

 いつもは少し甘く感じる白米が、この時何の味もしなかった。


 クラスに入ると、まるで沸き立つようにごった返していた。

 ヨシノの席に眼をやると、まるでミツバチがスズメバチを団子型に取り囲むように、人だかりができていた。

 主に女子たちだが、ヨシノに向かってあれこれと矢継ぎ早に質問を投げかけている。

「ねえねえ!俳優の拝島さんと一緒にシャン映ってたでしょ!どうだった、かっこよかった?」

「すごいね、もしかしてこのまま上京しちゃうの?」

「ヨシノちゃんすごい落ち着いてたけど緊張しなかったの?」

「めっちゃかっこよかった!私待ち受けにしてるんだよ」

「あ、私も私も」

 その輪に入れない男子連中も、遠巻きにヨシノを見ている。人の壁に阻まれてヨシノがどんな表情はしているのか見えないが、大方予想がつく。ちょっと困ったような顔で、それでも丁寧に接していることだろう。

 席に座りぼんやりと外を眺める。

 なんだかきのうからしこうがにぶい。

 頭の中が動きをゆっくりにしている。

 やがてホームルームが終わり、授業が始まった。俺は依然変わらず、夢の中にいるような感覚でそれを受けていた。

 あいつ…本当に栄華賞取ったのか。

 現実感がまるでない。

 ちらりとヨシノの方を見た。

 すると目が合った。

 ヨシノはまるで俺がそうするのをずっと待っていたかのように、俺を見つめ続けていたのだった。

 何故だろうと思っていると、ヨシノは。

 少し笑った。

 その瞬間全身の体毛が障りと蠢くのを感じた。

 頭皮は虫が這っているようにざわざわと動き、全身の毛が逆立つ。脂汗が流れ、顔が思わず赤くなるのを感じた。そして腹の底が、消化不良の時のようにぐぐぐ、と煮えた。

 まるでどす黒いタールが、腹の底から湧き出ているようだった。

 だが、俺は。

 なんだ、なんだ、と軽口を言わんばかりに笑って答えた。

 ヨシノはすぐに視線を黒板にやった。

 俺はノートを見るようにして俯いた。そのまま、体中のざわめきが静まるのをじっと待っていた。


「松葉」

 呼ばれると、嫌悪感が胸に降りた。

 昼休みのチャイムが鳴り、描きかけの絵の乾き具合を見みるため、美術室に行こうとしている最中だった。

 振り返るとやはりヨシノだった。

「おうおう、なんだよヨシノ先生」

 また当然のように軽口をたたく。

 この時のヨシノはすこしすまなそうにまなじりを下げていた。それどころか、どこかきりだしずらそうにもじもじとしている。いつも大げさなぐらい堂々としているのに、どこか塩らしい。

 大人びた感じだ。一歩先へ行った感じともいえるのだろうか。

「先生はよしてくれよ、松葉」

 歩きながら話す。

「しっかし大したもんじゃねぇの?まじちびったわ。テレビつけたらお前がうつってて、栄華賞だろ?ゆめにおもわぬってぇこのことだよなぁ」

「私だってまさかとれるとは思っていなかったよ。だから―」

「あ、そうだ。お前インタビューの時に垣江アナといっしょだったよな。なあ、じっさいあってみてどうだった?めっちゃ美人だった?いい匂いしたか、ぜったいしたよな。いいなーおれもあいてぇよあんな美人とよ」

 がははっは、と笑って見せると、ヨシノも少しだけ笑った。

 日の差し込まない夏の廊下に、響くのはおれの笑い声だけだった。いや、二つ分の足音も、サイダーのラムネ瓶の音のように間延びして聞こえてくる。窓の外に広がる青空が、どこか硝子のように砕けそうだった。

 やがて美術室にたどり着く。

 先公からかりた鍵で引き戸を開けると、中に入った。滞った空気が、俺たちへ流れ出した。

「うわっあっちい、しかもなんかしめってんな。うわ、てれぴんくせぇ」

「松葉」

 振り返ろうとすると、ヨシノが身体を近づけていた。

 おかっぱの黒い髪が振れる。

 ヨシノの顔が近づいた時、彼女はおれの手を握りしめ頬を赤くしてこうはなった。

「君のおかげだよ」

 普段薄い色をしている肌に、桃のような色がともる。

「君がいてくれたから、私はあの賞を受賞できたんだ」

 握られた手が熱い。

 顔がすぐ目の前にあるせいか、少しだけ甘い匂いがした。シャンプーの匂いか、それとも香水の匂いか。

「もともと、絵にきょうみなんかなかった。でも、松葉がずっと熱心にやっているのを見ていると、なんだかすごく価値のあるもののように見えたんだ。だから一か月ぐらい前に、君に見様見真似で描いてみたんだ。そうしたら、どうだい?結果、こうなった。こうなってしまったんだ!」

 鷹揚がだんだんと上がっていく。

 その顔は、子供が自分の特技を見つけた時よりも、もっと純粋で根源的な喜びの表情なんだと思う。

「いままでキッと見つけてこられなかった。いや、たぶん君がいなかったら見つけられなかったんだと思う。多分、君の絵じゃなかったら私は絵を描かなかったし、君に出会わなかったらそもそも絵に関わることすらなかったと思う。だからね、松葉。君には本当に感謝しているんだ。

 君が私の一番の友達でいてくれて、本当にうれしいよ」

 いつもの視線だった。

 いつも通り、俺よりも少しだけ高い処から見下げてくる。そうやって話しかけてくる。

 見下げられているのは本当だ。だが、それは身体だけの話で…。

 まさか自分の一番の部分から、見下されるなんて思ってなかった。

「ふふふふふ、うれしいよか。俺だって嬉しいぜ。ああ、でもくやしいな。まさかヨシノに先越されちまうなんてよぉ」

「ははは、君追いついてくれるのを待ってるよ」

「せいぜい首長くして待っててくれよ」

 握りしめた拳の血が滲んでいることは、悟られなかったようだ。


 ヨシノが去った後で、イーゼルに掛けられた自分の絵を眺めた。

 去り際のヨシノはこんなことを言った。

「本当は、ありがとうって言葉すら、言い出しずらかったんだ。なんだか君を裏切ってしまったみたいに思えたから」

 裏切ったか。

 裏切りとは全然違う。ただたんにヨシノが先に行ったっていうだけの話だ。それだけの話で済んでしまえば、どれだけ良かっただろうか。

 あらためて自分の絵を見て、ヨシノの絵と比較する。

 このキャンパスには、一匹の白魚に蔦が伸びている絵が描かれている。去年の夏、ヨシノたちと釣りに行ったとき、何気なく魚の腹を見た時に思いついたのだった。

 思いついた瞬間、言葉にできないことを表せるような気がしていた。

 だが、描き上がりまじかになってみると、その表したいことがどこにもないことに気が付く。自分が表現したかったものが、そこにないことがようやくわかった。

 対してヨシノの絵はどうだったのだろう。

 あの絵は、まるで虹の洪水だった。

 赤から紫に至るまでの無限の彩色、緑から青に至るまでの彩色、そういったものが一つの形となって、鳥となっていた。ただ単にカラフルな絵と言ってしまえばそれだけだが、それだけの絵が大賞に受賞するわけがない。

「あいつの絵、すごかったな」

 キャンパスの中央に描かれた鳥が、押し迫ってくるような絵だった。

 時々、俺が絵を描いているとヨシノが遊びに来た。

「やあ、見に来てやったぞ」

「帰れ帰れ、集中力なくなっから」

「連れないこと言うなよ」

 そういって、適当な椅子に座り込んでひたすらに俺の作業を見つめているのだった。

 俺の邪魔をしないためか、そういうときだけはずっと黙っていてくれていた。

 退屈じゃないのかと聞くと、「松葉の筆の運びを見ているのはなんとなく面白いよ」と意味不明に返してきた。

 きっと、ああいう瞬間に俺の技術は盗まれていったんだ。

 もっとも、盗んで価値があるほどのものではないとは思う。

 賞に受かったのはおれのおかげでも何でもない。

 あいつに天性の才能があった。それだけのことだ。

「なんだよ…これ」

 あいつに…才能が。

「それだけで、割り切れる分けねぇだろ―」

 感情に任せ、イーゼルを思い切り蹴り上げる。

 かけられていたキャンバスが空中を舞い。描かれていた魚が、川から飛び出てきたかのように身を翻していった。そのまま床に落ちるとそれからは、音がしなかった。 

「最悪だ」

 俺は今感じている感情に、名前を付けることが出来なかった。


 教室に戻ろうと、廊下を歩いているとき声を掛けられた。

 その声がヨシノでなかったことに、俺は安心した。

「ねえねえ、松葉君」

 クラスの女子二人組だった。それほど親しいわけでもなかったが、話さない中でもなかった。そういえば、さっきヨシノを取り囲んでいた中に、二人がいた気がする。

「んだよ、告白?」

「うわ、キモ。そうじゃなくてさ、松葉君っていっつもヨシノちゃんと一緒にいるよね」

「うん、そうだけど」

「えー、じゃあさ」

 その言葉を本人から言われるのと、他人から言われるのとではまるで違う。他人から言われた言葉というのは、とどのつまり周囲から自分がそういう関係だと思われているということを指すから。

 だからきっと、その言葉を無意識のうちに恐れていたのだと思う。

「ヨシノちゃんに、絵を教えたのって松葉君だよね。すごいじゃん!有名人の先生だよ!」

「ははは」

 力のなく笑うことしかできなかった。

 自分の中で背けたい事実が、再び立ち上がる。

 逃げようもなくなってくる。

「あ、わり。ちょっと便所」

「うーわ、まじでモラルないわー」

 そう笑いながら言い。二人と別れる。

 俺は人のあまり来ないトイレに駆けこんだ。そして、個室に入ると胃からこみ上げていたものをすべてぶちまけた。朝から何も食べていないはずなのに、かなりの量が出てくる。それと共に、涙と、鼻水も流れ出る。

 糞女ども

 吐きながら壁を拳で叩きつける。

 全部、全部、糞だ。俺はそれ以下だ。

 やがて胃が空になると、出るものも出なくなった。

 手洗い場のか髪の前に立つと、先程より少しばかり頬がこけていた。

「ちっゲロくせぇ」

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