第4話 なんでもなくない日
「めーし。めーし、はーやくめーし!」
俺が勢いよく箸をカンカン鳴らすと、だいどころに立つ圭司はしっ!と唇に人差し指をあてて叱ってきやがった。
「あんまりせかしちゃ可哀そうだよ。松葉くん」
「いやいや、小夜。こうやってせかしてやんねぇよ。いつまでたってもこいつ運ばねぇんだから」
「今よそってやってるところだろ、全く。人に飯たかりにきやがって」
ボロアパートをイメージすると最初に出てくるやつ、それが圭司の自宅である。
六畳一間に台所、風呂とトイレは共同。アパートの廊下をあるくとぎしぎし軋み、土壁がぽろぽろと零れてくる。
築何年だかと手も検討もできそうにない、絵にかいたようなボロアパートである。
圭司は個々よりもずっと山の方にある村から、進学のために越してきたのだ。
圭司の住む村には中学校はあっても高校がない。県立の高校に進学するためにはこの街に移り住む必要があった。彼の生家は農業を営んでいるために、一人暮らしを余儀なくなされた。
このアパートは遠い親戚のものらしく、ほとんどタダ同然で住まわせてもらっているらしい。
その代わりに生活費は自分で稼いでいるらしく、水道光熱費食費などはすべてアルバイト代から支払っている。
同じ高校生とはとても思えない。
そんな彼に我々ふたりは飯をたかりにきたのだ。
「てゆーか、ヨシノのやつどうしてこねぇかな」
「予定があるんだっけ?」
「いんや、あいつの携帯に電話してもてんででやしねぇの。メールも帰ってこねぇし。せっかくただ飯にありつけるっているのによぉ」
「本当なら金とってもいいんだぜ?そろいもそろって図々しいな」
「ご、ごめんね。私の分まで」
小夜は圭司の冗談を真に受けたらしく、少ししゅんとした。圭司はこともなさげに笑った。
「小夜はあんまり食べないから、いつ来たっていいんだぞ。遠慮なんかするな、みずくさい」
「圭司くん…」
「あ!ずるいずるい、小夜贔屓だ!」
「お前とヨシノは馬鹿みてぇにくいやがるだろうが」
ぶつぶつ言いながらも、俺たちの前に作りたての飯を置いてくれる。大根の味噌汁に、鮭の切り身、卵焼き、そして山盛りのごはん。ご飯だけは実家から送られてくるためにいつも山盛りであった。
湯気が立っている。
そしてちゃぶ台の中央に大根おろしが大量に入ったボウル。
そのよこにポン酢を置いて、圭司も座り込んだ。
ご飯の甘い香り、鮭の子おばしい匂い、大根の辛い香り、典型的な日本食だ。
「大根たくさんだね」
「実家から大量に送られてきたんだ。早いうちにくわねぇと悪くっちまうわな」
いただきます、と声をそろえる。
圭司はボウルを掴むと、仲の大根おろしを卵焼きの上にこれでもかというぐらいぶっかけた。そしてそこにポン酢を垂らし、橋で大根ごと摘み上げる。ほとんど餅かってぐらい大根まみれのそれを一口で頬張った。
俺もそうして口に入れる。
大根の辛さと、卵の甘さの中を、ポン酢の酸味が走っていく。
そうして、一気に米を掻き込んでいく。その米を、みそ汁で流し込む。
小夜はさすがにそんな食べ方はせず、大口は明けず、あくまでも小口で食べている。
ヨシノとは大違いだ。
あいつは恐ろしいほどの早食いで、なおかつ食べてる最中に肘を張ってくるので書中ぶつかっては喧嘩になる。それに俺よりも量を食べやがる。
「あ、そうだ」
リモコンを手に取り、テレビをつける。
チャンネルを合わせあるあいだ、身体の底がしびれるような、妙に緊張した感じになってきた。
「うん?なんだ、なんだ」
「あ、これ。松葉くんがいつも言ってるやつ?」
「…そう、栄華賞」
この賞の生で今日は起きた瞬間から落ち着かなかった。
体の底からむずむずとしたかゆみがあって、それがよくわからないけども俺に今すぐ絵を描けって命令してくるみたいだ。
栄華賞。
50年もの歴史を持つ絵画のコンクールだ。
小学生からこの方、この賞の存在を意識しないことはなかった。コンクールに向けて絵を描いている最終、この賞の名前が浮かんでは消えていった。
長い歴史を持つ賞であるがために、その栄光は計り知れない。
ちょうど、文学で言うところの芥川賞みたいなもんだ。
地方のコンクールや、中学生コンクールで入賞を果たしただけの俺からすれば、何千里も遠い道のように思える賞ではあるが、どこか自分がその性に受かることを夢に見ている。そう、夢に見ているんだ。
自分が賞の台にたって、カメラマンから嫌ってほどシャッターを切られて、インタビューを受ける。ひょっとしたら現実になりえるのかもしれないのに、現実感がなく脳裏に映る。
テレビには第57回と栄華賞の式典が映っている。
当然、俺には関係がない。この賞にはエントリーしていない。
高校生になって、やっとこそ入賞するのがギリギリになったような人間の絵が、評価されるとも思えない。
この賞とは関係がない。
だが、見ずにはいられない。
まるで、毎年の恒例行事のようだ。
この賞の中継をやってる間、言葉にできない興奮がこみ上げてきて、テレビが終わると一気に覚めていく。そうして吐き気がやってきて、どうしようもなくなる瞬間がある。
いつか、俺もあそこに映れるのだろうか。
「松葉くん…」
「ん?なに」
「すごい怖い目だよ」
確かに目に力がこもっている。
「うん…なんか、変な感じだ」
この賞に落ちたわけでもないのに、こんなふうに感じてしまうのは何故なのだろうか。
「知り合いが落ちたとか、受かったとか、自分がどうのこうのとか。そういうの関係なしに、すっげぇ落ち着かねぇ。おれさ、いつかこの賞に受かりてぇんだよ多分」
そうだ、受かりたいのだ。
いや、受かるのだ。
それで専業でやっていきてぇ。
自分の好きなことだけでやっていきてぇ。
それだけなんだわ。
リポーターの長ったらしい前開設がようやく終わりを告げる。そうして、ようやくこの賞に受賞した人間が、舞台袖から現れる。
そのただ一人を待って、カメラマンたちが構えだす。
壇上に賞状をもったえらそうな主催者が舞っている。照明の堕とされた空間、赤いカーペットの床、観覧席に座る芸能人たち、厳かな空間と華やかな空間とが一緒になっている。
やがて舞台袖から一人の人物がやってくる。
ローファーを鳴らし。
小気味よく短髪を揺らしながら颯爽としている。
やけに真っすぐな姿勢。ぶれることの無い確かな足取り。
勝気な目と、細い首…そこには。
「ヨシノ…?」
三人のうち誰かが言った。
そこに映っているのは紛れもない俺の親友。
ヨシノだった。
その顔が笑った。
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