第10話 彼女のとの契約
「……み、水野? 今なんて――」
「私と恋人になって、と言ったの。それ以外の言葉に聞こえた?」
「い、いやそれは――――」
水野は自信たっぷりに発言する。
波留人は瑞帆の言葉に思わず口ごもってしまった。
俺からすれば死ぬのも生きるのもどちらでも問題はない、しかしだ。
水野父の方に視線を向ければ鳩に豆鉄砲をくらった時にする呆けた顔をしていた。まるで、水野のその返答を予想していなかったのかと軽く察せる程度には。
しかし、それも一瞬で彼女のお父さんの視線が瑞帆すらも射殺さんとする眼光で俺たちに深海色の
「――――――それは、どういう意味かな。瑞帆」
水野父は水野を見据えながら静かに告げた。
それについては、俺も同意だ。
わざわざ彼女の恋人になる必要性が汲み取れない。
だって、俺に瑞帆に提供できるメリットは人魚と言う秘密をバラさないこと……それ以外、特別な物を彼女に献上するために用意する経済力も環境もない。しかも俺に彼女に恋人だなんて役割を全うできるような美形でも、知識量があるわけでもない男なんかより、彼女の共犯相手はもっと優良物件があるはずなのだ。
水野は俺の気持ちを無視して水野父に反抗する。
「お父様も、気に入った人間をむやみやたらに殺すのはいささか気分がいいものではないはずでしょう?」
「そういうことじゃないよ瑞帆。父である私が、秘密の共有をしている共犯者を、彼にする必要性がないのはそちらの彼も理解しているはずだ。それに彼本人は妹が無事なら自分の命を差し出せるような男なんだよ」
「そういう人だから、信頼できると思うのです」
「……信用ではなく信頼、か」
「?」
チラ、と水野父は俺の眼を見る。
俺は今の状況に置いてきぼりをくらったまま、二人の会話は先に進んでいく。さきほどよりも凄みがある眼差しで、水野父は水野に問いかける。
「じゃあ
「はい」
「…………?
水野と水野のお父さんの間に少しの沈黙が流れる。
何かまずいこと言ったか?
でも尾鰭って……魚で言うと尻尾のこと、だよな。
なんとなく、嫌な予感がする。
「単純な誓いの言葉さ。人魚の
「…………ちょっと待ってください」
水野父は、俺にもわかりやすく説明した。
水中にいるとすら錯覚させるこの現状の雰囲気に飲まれないと、俺は小さく息を漏らした。額に手を当てて、俺は思考を開始する。
水野は俺を生かそうとしてくれているから恋人になってしまえば水野はお父さんから何も問題がないと踏んだ、っと仮定しよう。
いや、想像できるのはそれくらいしか浮かばないから、憶測にも等しいが……だとしても、彼女はなぜか、俺を殺させまいとしているのに理解ができないでいた。
「青崎くん、行くわよ」
「み、水野――――!?」
「どこへ行く気だい?」
彼女は俺の腕を引っ張り、扉の方へと向かっていく。
制止するのはもちろん、水野父だった。
「そういうことですので、後は二人にさせていただいても構わないでしょう? お父様」
「……後日、誓約の儀をさせてくれるなら、いいよ」
「問題ありません、では。失礼します」
「お、おい、水野!」
水野に乱暴に腕を引っ張られながら、俺は水野父に頭を下げてから退室する。
長い廊下を歩いて、シャンデリアが飾られた中央階段を下りていき俺と水野は屋敷の玄関から出て噴水の所で立ち止まる。
俺が立ち止まったことで、水野は俺の方へと綺麗な顔を振り向かせる。
「どうしたの? 青崎くん」
「……水野、ちょっといいか」
水野は俺の手を離すの見て、少しほっとした。
やけに噴水の水音が俺の激情を沈ませようとしてくれている気がして、息を吐いてから水野に言った。
「何?」
「恋人は駄目だ。さっきの言葉を撤回してくれ」
水野は、俺の言葉に動揺を見せなかった。
いや、正確には俺がそう投げると察していたとさえ思えるほど、彼女の表情には色がなかった。夜空に包まれた俺たちは無言で、互いの瞳を見据える。
彼女と、恋人になるのがどんなアドバンデージがあるとか、打算的な考えよりも俺は倫理を優先した。
――――俺は彼女の将来を侵害するつもりはない。
きっと彼女には将来に何かを目指しているような素晴らしい人のはずなんだ。その先に隣に立つべき相手が、特別で素敵な誰かと恋をしていく彼女の恋人と言う存在が、俺なんかであっていいはずがない。
こんな、夢を諦めたヤツに。
こんな、自分を大切にできない奴に。
……俺が彼女にそれを願えるはずがないんだ。
秘密を共有する共犯者、という役割ならまだ許容できる。
別に俺と彼女は恋人なんて関係にならなくたって、色々できることがあるはずなんだから。
「なぜ」
「……俺たちは、共犯者のままでいよう。俺は、君の自由を奪ってまで生きたいとは思わない」
「……どうして、そんなに死にたいの?」
「死にたいとかじゃない。俺は自分の命のために君の特別を奪ってまで生きる理由がないだけだ」
「妹さんのこと、守りたいんじゃなかったの」
「妹の無事と今後のことを保証されているなら、俺は何も問題はないと言っているだけだ」
「貴方、大切な物以外本当に自分のことなんてどうでもいい人なのね」
「……あながち、否定はできない」
自分の身体を大事にしなかったから、こんな足になってしまったんだからな。
「でも、単純なことだ。俺は空っぽで、何もないと自覚してる……ただ、それだけだよ。将来性のない奴に同情したって無駄なだけだろう」
「…………わからないでしょう!? そんなこと!!」
「ああ、言えたよ。足を怪我してなかった俺なら」
水野は、俺の言葉を聞いて黙り込む。
苦笑しながら、俺は自分の中で潜めていた本音を水野に晒していく。
「将来の夢を持っていた時なら、水泳選手になるという夢があった時の俺は、心から誇れてた。でも、もうそんな俺はいない。二年の大会が終わったある日、俺は剥離骨折を起こして水泳部を辞めた」
「…………っ、でも、水泳に関する仕事を将来の夢にもすることができたはずでしょう」
「……ああ、その通りだ。その通りだよ。否定のしようがない。真っ当な正論なんだろうな、それは」
「ならっ」
「でもな、なれないと突きつけられた夢を追いかけようと頑張っても届くわけがない虚しさが、お前にはわかるか? 一番になりたいと願った夢が近くで叶っていく奴らを見て、怪我をしなければ届いたかもしれないと思う結果論がつきまとうこの気持ちが、お前にわかるか!? まだ泳げるお前に、わかるのか!!」
俺は抑えきれない激情を口にして、ハッと我に返る。
水野は、言いづらそうに唇を噛んでいた。
「…………それは」
俺は少し、彼女の表情を見て冷静さを取り戻す。
続けて、俺は彼女にも理解してもらえるように言葉を続けた。
「足を怪我していない俺なら命が欲しいってきっと君の足に縋りついてた。でも、妹の今後が保証されているなら俺の他の心残りなんて、もう何もないんだよ」
「――――――…………いいえ。貴方には、生きていてもらわなくてはいけないの」
「は? 何を、言って――――」
スッと彼女の顔が、俺の近くまでやって来る。
自分の首に彼女の白い指先が触れているのが服越しからでもわかる。
無理やりのその手で、俺を前屈みにして、彼女の顔が俺の顔へと近づいてくる、その動作はあまりにも一瞬ですぐに脳内処理できるはずがなかった。
何か唇に柔らかい感触が触れるのを感じて、瞬きをすると彼女はもう俺から離れていた。
「な――――――!!」
俺は現状が理解できず混乱した。
顔中に熱を感じて、波留人は思わず片手の手の甲を口に当てた。
「ど、どういうつもりだ水野!! なんで――――!!」
「私の秘密を知って、ただ自分が得をするなんて許されると思ってるの? 許されないでしょう、普通」
「と、得って、何がだ」
「貴方は、夢を諦めるための口実に私を出しに使ったと思われたって思ってもしかたのない当然の発言を今したのよ。理解できてる?」
「は!? 全然違うだろそれは! 既に夢を諦めているのに、口実もクソもないだろ!!」
「なら、生かして別な夢を追いかけてあげようとしている私の優しさに感謝して、私のファーストキスを奪った男としてカッコ悪く長生きしなさい」
「感謝も何も、お前簡単に自分の唇をそう易々と渡すんじゃない!! というか初恋の相手とか、好きな相手にするべきものだろう普通!!」
「……ハァ、忘れてるのね、ホント最低。この朴念仁」
「何か言ったか?」
「いいえ、何も」
……なんだか、水野ペースに流されている気がするのは、気のせいだろうか。水野は溜息を吐きつつ、俺に質問してきた。
「……妹さんの将来の夢とか、貴方は聞いたことあるの?」
「……画家、だったはずだが」
「画家とかを目指す美術系の専門学校なんて間違いなく倍率高いし、妹さんの将来をサポートするためには身近な相談相手が必要だとは思わないの?」
「い、いや……不由美は、ネットの友達がいると言っていたし」
「だとしてもよ、貴方の妹さんがもし不登校なことが多かったり、いじめにあっていたりするかもしれないんだったら貴方が死んだと知ったら妹さんが自殺する可能性は?」
「…………否定、できない」
不由美が不登校なことまで、知っているのか?
いや、でも水野には俺のことなんてほとんど話していないから、聞き出せることなんてできなかったはずだ。
……彼女のお父さんが教えたなら、また話は別になるけど。
「なら、貴方は生きていかなくちゃいけない理由があるわけよね? それでないなんて私かお父様に殺されて、本当にいいの」
「水野……その、俺は」
「恋人という言い方が嫌なら、今は共犯者でいい。呼び方なんて、些細なものだもの……互いに利害は一致している。互いの目的を果たすためにも、私を利用しなさい。共犯者、なのでしょう?」
彼女の澄んだ青色が、俺の考えていた思考の穴を突かれる。
不由美のことも、そこまで考えていたなんて思いもしなかった。
いや、単純に浅いプランを持っていた自分の不始末だとも言えるのだろう。
下手に今、彼女が不由美を助けてくれるというのなら、その好意に今甘えるべきなのではないだろうか。
「……っ」
「どうしたの? 拒む権利なんて、貴方にはないはずだけど?」
……下手に今死ぬより、不由美が将来的に約束されるまでの間だけの関係と思えばいいか。波留人は彼女の言葉に同意することにした。
「……ああ、頼む」
「じゃあ、よろしくね。青崎くん。いえ――――――波留人」
その日、俺と水野は手をお互い握り合って固く同盟を結ぶこととなった。
同時に俺は、彼女と一緒に予想もできない毎日を送ることとなる記念すべき日と俺は日記に書いてあったことを数年後の自分が驚くことになるとも知れず。
あれから、始まったのだ。
―――――俺と彼女との、泡のような毎日が。
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