第8話 夜の車内にて
……見た感じ、水野が男になったらこういう美形になるだろうな、という印象を抱くオールバックの男が俺たちの前に現れた。
背後には、ボディガードのような男も控えている。
俺は、水野がぎゅっと服を強く掴んで無言でいるから、俺は察して男性に声をかける。
「貴方は?」
「ああ、はじめましてが先だったね。私は瑞帆の父だ」
「水野の、お父さん? お名前は……ここでは無理、なんでしょうか」
「ああそれがわかるとは、君は賢いね。ぜひ我が家に来てくれるかな」
「…………拒否権は、ないってことですよね」
ニッコリと、笑顔って紙切れを張り付けてる笑い方だ。
大人がよくする社交辞令と言っても差し支えない、心がこもってない彼の笑みに、俺は男の勘と言うヤツが反応している。
…………きっと、もし俺がこの人に言う言葉をたった一つでも間違えれば、俺の命は次の日の朝日など拝めないと。
「そう受け取ってもらえると、大変ありがたいね」
社交辞令のつもりでも、目が笑ってないですよ。
「水野、俺は君の父親の車に乗ってもいいか」
……俺は、笑わず水野の父親から顔を背けているわずかに震えている彼女に耳打ちする。本来なら背中か肩に手を添えてやりたかったけど、きっとそれは彼女の父親が許さないかもしれない予感がしたからでもある。
「…………ええ、お願い」
「――――――わかった」
俺の胸にもたれるようにしていた水野は俺からゆっくりと離れ、父親の方へと歩いて行った。
水野が彼に近づくと甘みも含んだ優しい声で彼女に尋ねた。
「何を話していたんだい?」
「彼がお父様たちの車に乗っていいかと聞かれました」
「そうか、お前は前の方の車に乗りなさい。いいね?」
「……わかりました」
「
「はっ」
水野は碓氷と呼ばれたボディガードのような恰好をした大男に連れられ、海岸の道路に置かれてある黒塗りの外車の二台あるうちの一つに乗せられる。夜だからか、同化してしまいそうな色だというのに月明かりの青みが映えることもなく、無機質な印象を感じさせた。
車が動き出すエンジン音が響くと、彼女が乗った車は先に行ってしまう。
水野の父親は煙草をスーツのポケットから取り出して一服する。
白い煙が彼の唇から吐き出され宙を浮く。
風向きが、俺向きの方ではないからかあまり煙草の煙は来なかったが、それでも苦い香りが俺の鼻にやってくる。
昔、父さんが煙草を吸っていたことがあったから平気だと思っていたが、ひさしぶりに嗅いだせいか、思わず鼻に手の甲を当ててしまう。
「さて、それじゃあ私たちも行こうか」
「……はい」
水野と同じ
水野を見ていた瞳は水から蜜に変わったとするなら、俺に対しては尖ったナイフより冷たい氷でもできているんじゃないかとすら感じるほどに。
そして、俺たちは
◇ ◇ ◇
車の運転席にはさっきの大男のボディガードより細身の男が座り、俺と水野のお父さんが客席に座る。まだ煙草の臭いがする気がして、手で払うなんて行為はさすがにできないから我慢する。
水野のお父さんは優雅に座って、窓枠に片肘をつけて耳元に手を当てながら俺に話しかけてきた。
「君は、あの子に気に入られているようだね」
「出会ったばっかりですよ。俺と水野さんは」
俺は水野のお父さんの顔を見ず、ボディガードさんの頭の方をずっと見る。
少し嫌味がかった口調で聞かれるとばかり思ってたけど、冷静なんだな。
車内にかかる音楽などなく、ただ静かな無音というBGMが流れている。
水野のことを水野、と呼びたかったがもし呼んで彼の気を少しでも損ねたらたまったものではない……しかし、死ぬことが確定しているならどうしてわざわざ水野の家に連れて行かれているのだろう。
不由美なら、俺がいつも夜に散歩をするのも知ってるから、勝手にもう眠っているだろうとは思うから不安はない。
俺の人生最期の日だというなら、拷問されて殺されるって展開は嫌だ。
せめて殺されるなら、最高の美女の手で殺されるか、海で溺死して死ぬのどちらかが俺の理想とする死因だ。
……まあ、とりあえず流れに身を任せよう。
生きれるのなら、それはそれでいいのだし死ぬなら死ぬでそれでいいのだから。
「君はあの子のことをどう思ってる?」
「親友からは、優等生としてのスリーワードというものを獲得したすごい女性だと聞いています」
「スリーワード?」
「才色兼備、成績優秀、スポーツ万能の三つだそうです」
「ああそうか、君の親友は目がいい。私はそうなるようにあの子を学校に通わせているのだから嬉しい限りだ……けれど、君の意見を私は聞いてるんだが?」
水野のお父さんは、横目で俺を見る。
おかしいな、まるで冷凍庫の中に入れられた魚ってこういう感覚なのだろうか。俺はお得意である鉄仮面を武器に表情に出さないよう努める。
「……会ったばかりですが、とても気遣いのできるいい女性だと思います」
「ほう、それは何があってそう感じたのかな」
「暑いと喚く俺に濡れタオルを貸してくれました、異性にすぐそうできる女性はあまり多くないと思いますので」
「……それはそれは、あの子も優しい子だと痛感できる話だね」
水野のお父さんは、夜空に浮かぶ月が綺麗な窓の方に顔を向ける。
……なるべく下から目線というつもりで言ったつもりだが、どうだ?
「うん、君の言葉に、どうやら嘘がないようだ」
水野のお父さんは、窓枠に肘をつくのやめて、両腕を組んだ。
「…………どうして、ですか?」
「ん? 何がだい」
水野のお父さんは、ひどく落ち着いている。
いや、異常なくらいに冷静なのが違和感しかない。
ありえない。だって、彼女は人魚の家系なのだと言っていたのだ。そう簡単に信用をしていてくれるのなら、水野は俺を殺そうとなんてしないに決まってる。
絶対に彼には何か裏があるんだと、馬鹿な俺でも思ってしまうのは必然だった。
「水野さんは、人を簡単に信用しないという家訓があると言っていました。それは、昔の貴方たちの一族が秘密をバラされたからだと聞いています」
「ああ、そうだよ。だから、もし知られてしまったら知られてしまった本人がその人物を殺す、というのがワンセットなのが我が家での家訓さ」
「……それなら、貴方の娘は殺人罪で法で裁かれます。少年院に入れられるだけじゃないですか」
「私たちのそういう者たちの社会があるとは君は、どうして思わなかったんだい?」
「…………え?」
水野のお父さんは、罠にかかった獲物を見ている時の顔のように愉快気に笑う。
社会? 人魚の? ……いや、そういう者たちの、社会?
「どうして私たちの家系の者が、他の人々に皆殺しにされなかったと思う?」
「それは、みんなに知られないようにひっそりと暮らしていたからじゃ、ないんですか」
「それはある。けれど、君のように神秘を知らない者たちと神秘を知っている者たちとの社会があるなんて話は、君のような学生が好きな漫画にはなかったとでも言いたいのかな?」
「それ、って……」
まさか、そんなのあり得るのか?
そういう社会があるなら、バラした人は、神秘、という側の人たちに社会的に抹消されてきていると、彼は言いたいのか?
冷房が効いた車の中だというのに一気に冷や汗が噴き出てくるのを感じた。
俺は、知ってはならない常識を、知ろうとしているのか?
「っぷ、あははははははは!! 君、面白いなぁ、はは」
…………?
な、なんで笑うんだ?
俺はさっきまでナイフの尖った冷たさすら感じていた彼の瞳が、水野にも向けていたものと近い物に変わったことに、驚きを隠せなかった。
「怖がらせてごめんね。あの子は生真面目なんだ。生粋のね」
「そ、それって……?」
「確かにあれは私が君を試すように仕向けたさ。もし君が最低なクズなら、本気で殺せとも言ったよ」
「……素直に思ったことを言ってよかったです」
水野のお父さんは笑い転げている。
俺は少し、肩の力が抜けた。
彼の笑い声で緊張の糸を切らされてしまったと言っても不自然ではない。
「まあでも、娘が口説かれたことに関しては少し気に入らなかったけどね」
「……すみません」
「いや、いいよ。娘との会話で君が言った言葉に一切の嘘の音は聞こえなかった。それだけで十分だよ。私としては、君のような人間とあの子が会えたことが喜ばしいのだから」
「……? 嘘の、音?」
「ああ、これで君が嘘をついているかどうか聞いていたんだ」
水野のお父さんは、片手に握られていたであろう小さい法螺貝を見せる。
ただの貝殻のようにしか見えないが、それで嘘発見機のように聞き分けていた、ということか?
じゃあ、窓枠に肘を付けていたのもそういうことなのか……?
「我々水野家に代々伝わる品でね、これで聞きたい相手の言葉の意味が音でわかるんだ」
「そんなものがあるんですね」
「ああ、とても重宝している。君がいい人で本当に良かった、もし嘘の音が一つでも聞こえていたら私が君を殺していたところだよ」
水野のお父さんは、とても優しい笑顔でとてもブラックな発言をぶつけてきた。
……いや、とにかく信じてもらえるようで、よかった。
でも、俺の寿命が延びてしまったことは、素直に喜ぶべきなのかどうかよくわからないけど一応いいことにしておくか。
そうして、水野のお父さんとはたわいない話をしながら、水野の家の方にボディガードの人は安全運転で移動して行った。
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