第7話 最期の交渉
「少し長くなってしまうけど、いい?」
「もちろん」
「……ありがとう」
彼女は一度目を伏せてから、細波の音にかき消されないように俺に礼を言う。それでいて、俺だけ聞こえるような囁く声で言葉を紡ぎ始めた。
「私の家である水野家は昔、伝説上の生き物である人魚との間で結ばれた人たちの子孫なの。元々は、日本人じゃなくて外国人だったらしいわ」
「? 水野の先祖が、ってことか?」
「ええ、そうなるわ。だから私の目が青いのもそういう理由よ」
瑞帆は自分の瞳に指を差す。
日本人なのに青い瞳は珍しいなと、あの時の俺は彼女の瞳に引き込まれていたから、そんなことを考えている余裕もなかったな。
「ああ、だからか。瑞帆の目が宝石みたいに綺麗なのは」
「からかってほしくて言ったんじゃないんだけど?」
瑞帆は横目で睨んで来る、美少女の睨みも美人だな。
けど、そう言ったらきっと彼女は余計にからかっていると言われてしまうだろうから、それは言わないでおこう。
俺はストレートに、はっきりと水野に宣言した。
「いや、会った時にそう思ったから嘘は言ってないぞ」
「じゃあカッコつけてる?」
「男にはそういう時はあるだろうけど、俺は自分の気持ちに嘘をつきたくないだけだよ。こういう時の言葉は、冗談だとか言ってごまかす方が俺は嫌だ」
「………………まあいいわ、話を続けるわよ」
「ああ」
瑞帆は一度顔に片手を当てて、考えるそぶりを見せてから俺の方に視線を向けてそう告げた。
「私のように、先祖返りした人は何人かいるようなの」
「先祖返り?」
「わかりやすくいうなら、親よりも自分の先祖である昔の祖先の人の特性が体や内面に現れるということね。私の場合、普通の人魚と言うより本来の人魚としての姿が現れていると、昔とある人から言われたことがあるわ」
「そうなのか」
「ええ」
きっとその人物を今聞けるわけではないだろうから、もう少し瑞帆と仲良くなってから聞けるかもしれないなとは思う。
俺は続きを促すために、瑞帆に問いかける。
「でも、水野が人を簡単に信用しないっていう家訓は、先祖が人魚だったことと何か関係があるのか?」
「…………人魚と人間の間の子どもである私の祖先の人が、私のように人魚になれることがあったらしいの」
「ああ、それは俺も見たからわかってるが……」
「だからこそよ、私が、貴方をここに呼んだのは」
俺は水野のその言葉に、ゆっくりと口を開く。
頭が良くない俺でも、察せない話ではなかったのだ。
「それって……水野の祖先の人の知り合いや友人が、人魚にもなれることをバラされたことがあった、ってことか?」
「そうよ。私は親しい人を作らないように心掛けてきた、これからだってそう」
「みず、――――」
水野は横から俺を押し倒す。
馬乗りになって、彼女は俺にどこに隠し持っていたのか、俺にナイフを突き立てた。
「私は特別に思う人なんていない、現れるわけがない――――――だって、私も特別だと思える人なんて作らないと決めているから」
ひやっとした冷気が俺たちを包んだ。
俺は恐怖で、彼女は秘匿のために。
俺は、怯えることはせず彼女に静かに問いかける。
「…………俺を、殺すってことか」
「ええ、そうよ。私が殺さなくても貴方は殺される。私の秘密を知った時点で、今日まで生きていられたのが奇跡なくらいだわ」
「そっか――――――なら、君の期待になおさら応えたい」
「…………どういう意味」
水野は俺の首に当てているナイフの力を強める。
痛いとか、泣きだすわけにはいかない。
彼女を完全に、言いくるめられるような技術は持ち合わせていないかもしれないが、それでも、それでもだ。
「だって、昨日に君の秘密を知ったのに殺されなかったのは、君が殺されないようにしていてくれたからじゃないのか」
ぴくり、と彼女の体は揺れる。
しかしナイフを当てている刃はそのままだ。
これは交渉だ、無駄な賭けだが賭けるしか俺には他に道がない。
月明かりが彼女の黒髪を照らし、より彼女の瞳へと釘付けになる。
夜空の青よりも深みのある瞳は、俺にとってはどこか泣いているように見えたから――――だから、俺は彼女に抵抗する。
ナイフを通して、彼女の冷ややかな決意が伝わってくる。
けれど、俺は絶対に彼女に俺を殺させてはいけないと強く思った。
「何が言いたいの」
「俺に会わないようにしていたのは、俺が俺を殺そうとする連中に見つからないように、わざとあの場所以外に会わないようにしていたんじゃないのか?」
「――――――つまらないジョークね、口説き文句にもならないわ」
少し、水野の声が震える。
俺は淡々と言葉を続ける。
静かに波打つ海辺で、この状態を他の人に見られないためにも、はやくしなくては。
「俺を殺すというなら、その時は君の秘密を誰かに告げた時にしてくれないか」
「死にたくないだけじゃない、貴方」
「そうとも受け取れるかもしれない。確かに、友人になら話しても、と少しくらいは思ったりはした。でも――――」
「でも?」
「それが、君の望む未来が、俺を殺すことだとわかった――――でも君が俺を殺す理由にしていいのか?」
「その程度の言葉で、私が揺らぐとでも?」
「俺が死ぬのは別にいいんだ、ただどうしてもこの場で俺を殺すというなら君か誰かに不由美の面倒を見てほしい。ちゃんとした契約書を君の両親とさせてほしい」
「貴方、意外に強欲なのね……」
「その願いさえ叶えてくれると誓ってくれるなら、死んでいいよ」
「――――――貴方、本気?」
瑞帆の瞳は、大きく見開く。
ああ、そうだろう。でも誓約書のところまでなら、汚らしい命乞いだ。
きっと彼女の先祖の人の知り合いや友人も、こういうことを言ったとしか思えないだろう。俺には妹がいるし、正直死にたくないという気持ちの方が強い。
でも、それは不由美が無事でなくなるなら、と言う意味でしかない。
俺は妹以外の未練なんてない、自分になんの価値もないと知っているから。
泳げなくなってしまった自分に、特別な価値なんてもう持ってないと分かっているから。ああ、強いていうなら不由美にカッコつけた理由で泳げなくなったんだって、言っとけばよかったかなって、後悔くらいか。
「ああ――――――俺は本気だ。君の手で殺されるのはちょっと嬉しいかもだけど、でも、君の手で殺すのは正しいことじゃないとは思う」
「……私が殺せなかったら貴方は、近くで控えてる殺し屋に殺されるだけなのよ」
「ああ、やっぱり。結局死ぬんだな、俺」
「どうして、そこまで悟りきっているの? これから死ぬのよ!? 貴方!!」
波打つ波が、俺の心臓の音よりも静かで、心地がいい。
それに綺麗な少女に、俺の最期を看取ってくれるのは嫌じゃない。
生きる理由なんて、たったそれだけしかない自分にはここで終わるのも悪くない。
「言ったろ? 俺は、妹が無事ならそれ以上のことはない。ただ、親友がなんの事情も知らずに俺の死を知られるのは、申し訳ないとは思うけど……アイツなら、分かってくれるって信じてるから」
「じゃあ、貴方は妹さんが保護されれば自分が死ぬのは別にいいと、そう言いたいの?」
「ああ、それ以上の願いは俺にはないよ――――それで? どう殺してくれるんだ?」
俺は彼女に最大限の笑顔で答える。
水野は、震えた声で、だんだんとナイフも震え始めるのを感じた。
「――――――貴方、馬鹿よ。自分の命より、他人のことしか考えてないの!?」
水野は、震えた手でナイフを落とし俺の服を掴む。
ただ、自分の生に絶望してるだけ、っていうのが正しいんだけどな。
「だって、未練って奴があるとするなら妹の今後のことくらいしかないんだ。俺の親友は、死んだ理由は後で自分なりに考えてくれるよ」
「貴方ね――――!!」
「いい奴だから調べようとしたりするかもしれないけど、殺さないでやってくれるか? アイツ、将来はゲーマーになる夢があるからアイツの将来、俺が原因で潰されるのは嫌なんだよ……あ、未練はやっぱり二つだったな」
「――――――貴方って人は、本当に」
波の音に交じって、パンパンと、拍手のような手が叩く音が聞こえる。
もしかして、誰かに見られたかという不安が一瞬過った。
「――――やぁ、こんにちは。青崎波留人くん」
夜の色にも負けてない真っ黒なスーツを着た男の人が、向こう岸からやってくるじゃないか……誰だ? この人。繊細なリズムで耳を撃つ波の音に合わせて、その男の澄んだ声はやけに耳に残った。
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