第2話 俺の日常
とりあえず、俺は
黒い両扉を抜けて受付の人に頭を下げてから、最近の新作の小説をピックアップした棚が近くに並んでいる。
「お」
俺は思わず足を止めた。
とある作品の絵を見たからもあったが、作者名に惹かれた。
本棚の近くまでやってきて、その本を手に取る。
表紙は、大空と白い鳥が描かれている。
タイトルは「
作者は
この人は本当に青に関する表現が多彩でいいんだよな、処女作の「繭色の瞳」や代表作の「海色の人魚」も読んでいて面白かったし。
……っと、いかいかん。
脳内ではしゃいで、ずっと立ちっぱなしになってしまっていた。
ちらっと横目で周囲を見渡すと他の利用者の人は本に夢中だし、受付の人も気にせず仕事をしているようで安堵した。
俺は適当にテーブルが置かれてある近くの椅子に座る。
俺が座った席の方にはあまり人がいなかったので勉強を始めるのにも都合がいい。鞄を開いて筆記用具と古文の田中先生から出された宿題のプリントを置く。
「…………よし」
シャーペンを構え、消しゴムを隅に置き古語辞典と教科書を開く。
草部先生のオリジナル宿題に、悪戦苦闘しながら俺は問題を埋めていった。
「えっと……源氏物語のここの部分は、ん。これで合ってるのか」
主語の意味なり、使う例を挙げろとかの問題を出してくる草部先生は素直に言って面白い問題を作ってくれるから、非常に
ある程度埋め終えたので、他の宿題がないか鞄の中を確認する。
「あー……こっちもあったか」
鞄の中に図形なり、何度なりと書かれてあるプリントが目に入る。
面倒くさい数学教師の田中の宿題があったことに気づいて気分が下がる。
株価が暴落してショックを受ける資産家の気分とはこのことか……なんてボケると、いつも突っ込みに回ってくれる千種がいないことに気づく。
「……しかたないよな」
……勉強会、また今度あそこの喫茶店で開くか。
とりあえず数学の宿題は家に帰ってからやることにして、余った時間を波田野先生の新作を読み
表紙と背表紙の間に挟まった紙たちを、一枚一枚ゆっくりと捲っていく。
中にある一つ一つの言葉たちを見逃さないために。
そこからは、波田野先生の言葉の海にゆっくりと思考を飲まれていった。
一つ一つの言葉でできた文字たちを見逃さないように言葉の海に浸る。
俺は小説を読む時に感じる海にダイブする感覚が一番好きだ。図書館は静かだからこそ、この穏やかな波を味わえる最高の場所だと自分は勝手に認識している。
何時間か経った頃、スマホから着信音がしたため確認のため電源ボタンを押すと、ラインで不由美から連絡が来ているではないか。
『お腹空いたぁ、お兄はやく帰ってきてぇー!』
といった内容が一〇分ごとに最初に来ていたようだが、最後らへんは三分置き、二分置き、一分置きとに来ているようだ。
嫌な予感がすると、スマホの画面が切り替わり電話モードになったため、慌てて拒否してラインにコメントを打つ。
『妹よ、待て。今図書館にいるから待て。待ってくれたらプリンをデザートに付けよう』
と、打つとラインがすぐに既読になり、「ほんとー……?」と返信が来る。
俺はタップして不由美の言葉に同意のメッセージを送る。
『もちろんだ』
『じゃあ、激辛カレーはナシだよ?』
『アイロンがけをきちんとしてくれるなら激辛にはしないって言っただろ、
『えぇー? だってぇー……』
『嫌なら今日の晩御飯は俺は作らないぞ』
駄々をこねる妹にはっきりと宣言する。
不由美は渋々口にした。
『うぅー……わかったぁ。待ってるからね』
『おう』
『遅くならないでね? 千種兄が見せてくれる漫画みたいな、異世界転生とかしないでよ?』
『じゃあ不由美、お願いがある』
『何?』
『冷蔵庫の中身教えてくれるか? 教えてくれたら、もっとはやく帰られるから』
『……うん、電話でもいい?』
『五分後から電話をかけてもらっていいか、まだ図書館の外に出てないんだ』
『わかった! 待ってる。それじゃあ、五分後にかけるから、絶対かけるからね!』
『ん』
妹の催促が入り教材と文具を鞄に詰めて、肩にかける。
まだ読み途中だった小説は、また次回読むことにしようと決めて元の定位置に戻してから念のためもう一度スマホを見る。
返信が来てないのを見て、五分後まで大人しく待っているのだと確認した。
「………………よし」
波留人はスマホをズボンのポケットに入れる。
甘い誘惑につられやすい妹で助かったとは思うが、今回も頑張って学校に通ったのだし、プリンを俺に黙って食っても怒らないでやるか。
象牙色の図書館から出て、俺は真っ直ぐ急ぎ足で店に向かう。
ぶぶぶとスマホがバイブしたのを感じ、電源をもう一度入れ直し色々と面倒な操作をタップして終わらせてから、不由美の電話に応答する。
『お兄、図書館出た?』
「おう、出たぞ」
『じゃあ今から冷蔵庫の中身言ってもいいの?』
「まだ店についてないからダメだ」
『うぅー! お兄足治ったんだから走れるでしょー!?』
「慌てなくても晩飯は逃げないし、兄ちゃんは陸上選手を目指した覚えも陸上部にも入った覚えもないぞ」
『ぐぬぬぅ……!! わかったよー! もう!!』
不由美と話をしながら、小学校から少し離れた海上大通りにある
海上町市民たちの間ではワダさんという愛称で知られた店だ。
涼しくなってきた夕風が背を撫でるのを感じながらガラス張りの自動ドアを通る。
「着いたぞ」
ウィーンと扉が開く合図の音は、小さい頃から聞き慣れたものだ。
『じゃあ、今から言ってもいいの?』
「ちょっと待て、慌てるな」
不由美は待ったと言う俺の言葉に不満を
『だってお腹空いたんだもーん!!』
「うちの怪獣は腹ペコになると駄々こねるよな」
『ムキー! 怪獣じゃないもん!!』
並んでいるカートの一つを取って中にカゴを入れながら不由美をからかうと激怒された。電話の向こうで手を振りながら怒っているだろうなと容易に想像できる。
また少し、茶々をあえて入れる。
「お猿さんになるな、で? 冷蔵庫の中身は?」
二番目の自動ドアを通って、入り口から少し離れたところで
『野菜庫にニンジンとジャガイモがないよ、玉ねぎとか、ほうれん草はあるけど』
「おー、冷蔵庫以外では調味料なかったりするか」
目に優しい緑色の棚に並べられてるビニール袋に入った三本入りのニンジンと、五個入りのジャガイモをカゴに入れる。
天井からぶら下がってる札を確認しながら、カートを押す。
確か、記憶違いでなければおろしにんにくもなかった気がするな。
『えっとね、一味とか、あ! お兄、おろししょうがないよ! 今度ショウガ焼き作るって言ってたよね?』
「ああ、そうだったな。にんにくはあったか? おろしにんにくの方もどうなのか、教えてほしい」
『わかった! ちょっと待ってね……よいしょっ』
不由美がキッチンにある食材の確認をしている中、俺は調味料のコーナーで一味唐辛子とチューブタイプのおろししょうがとおろしにんにくをかごに入れた。
よし、後はもう切れてるはずのカレールーを買うだけだ。
『お兄、にんにくはまだあるよ。おろしにんにくは、ないかな。それと、カレールーは……甘口がない』
「中辛は?」
不由美はカレーがあまり好きではないのはわかっているが、妹の甘口カレーの日があるとするなら、俺の中辛カレーの日がある。
……まあ、今日作るのはあれなのだが。
不由美は俺の質問に不満を
『中辛はあるけどぉ、たまには甘口食べようよー!!』
「んじゃ、中辛な」
『なんで?』
「兄ちゃんは辛いのが食べたい」
『えー!? やだぁー! アタシ辛いの嫌いだもん!』
「ワガママ言うな、好き嫌い激しい大人になったら後々辛いのはお前なんだぞ」
『でも、カレー自体得意じゃないんだもん……』
「それじゃあ家に帰るから、待ってろよ」
『…………はーい』
残念そうに電話を切る妹に本当にカレーが嫌いだなと思いながら、明日と明後日の分の食材をカゴに入れる。
さりげなく鳥の
プリンの方は不由美が仏さんに上がっている物を勝手に食べてる可能性もあるからだ。プリンだけ自分の鞄に入れて、他は段ボールに詰めてワダさんを出た。
やっと自宅に着いた波留人はドアノブを開ける。
「お兄ぃ――――! お帰り――――!!」
扉を開いたと同時に、不由美が抱き着いて来た。
電話を切った後また靴を履いて、ずっと玄関で待機していたようだ。
「おう、待ったか?」
俺は不由美の頭を撫でる。
不由美は一瞬だけ唇を口の内側に巻き込ませてから、不満そうながらも笑ってみせた。
「もう材料買ってきちゃったんでしょ?」
「おう」
「はやく晩御飯作って―!! もうお腹ペコペコなの―!」
「リビングで待ってろよ」
「はーい!」
うん、不由美はどうやら完全にカレーだと思っているようだな。
キッチンに立つために母さんがよく使っていたシンプルな紺色のエプロンを付けてから、台所に立った。
必要な材料を台の上に置いて並べる。
俺特製レシピの一つ、鳥の砂肝の佃煮風の調理にかかった。
必要な材料は不由美に悟られないために、黙っていたのである。
材料は、鳥の砂肝、めんみ、砂糖、下ろしショウガ、下ろしニンニク、一味唐辛子の六つだ。
鳥の砂肝を細かく刻んで、そこにめんみと砂糖、おろししょうがとニンニクを入れて煮込む。水気がほとんどなくなるまで煮詰めて、最後に火を止めてからと一味唐辛子を軽く振って混ぜ込めば終わりだ。時間はかかるが、辛い物が嫌いな妹もこれなら癖になるらしく、食べられるようだからいい発明をしたと思ってる。
同時進行で作っていたほうれん草のおひたし、わかめと豆腐の味噌汁にご飯、漬物のたくあんを器に乗せる。
そして最後にお茶をカップに注いで食卓に並べれば今日の晩御飯は完成だ。並べられた料理に不由美はきょとんとした目をする。
「……カレーじゃないの?」
テーブルの席で不思議げに妹は告げた。
エプロンを脱ぎながら俺は妹の質問に答える。
「今日は頑張って学校行っただろ」
「行ったけど、でも……」
「今日の気分はカレーじゃなかっただけだ、それにそもそもカレーだって言った覚えはないぞ」
「……! そう、だよね。うん……うん!」
「どうした」
「お兄、はやく食べよう!」
妹は顔を上げて、満面の笑みを浮かべる。
「おお、いただきますしてからな」
「うん!!」
俺は椅子に座って、不由美も俺と一緒に手を合掌させる。
「「いただきます」」
それぞれ俺と不由美は自分の食べたい物から食べ始める
パクリ、と不由美は佃煮風を食べて、うっとりと幸せそうに顔を緩ませる。
「んー! おいしぃ、やっぱお兄の佃煮風本当にスキ~」
「そうか」
不由美の笑顔を見ながら白みそのみそ汁を
今日のみそ汁も同じ味に仕上げることとができてうれしく感じながら、他の食材にそれぞれ順番に箸で手を伸ばす。
不由美は食べたい物から食べるスタイルなため佃煮風があっという間になくなってしまったことに残念がっていた。
俺が「まだまだあるぞ」、と言うとやったー! とお代わりを要求されたので、鍋に入った佃煮を不由美の皿に入れてやった。
まだ食事をしている中で不由美と一緒にテレビのバラエティ番組を見たりしている 今日は不由美が食器洗い当番なため、俺の分も洗ってくれた。
洗い物に夢中になってる不由美に、俺は鞄に入れておいたプリンをテーブルに置いてから鞄ごと持って自室に戻った。
「……それじゃ、勉強するか」
意気込んだ俺は参考書が棚に並んでいる勉強机の前に座る。
体を伸ばして、一息ついてから机に物を並べる。
明日のために今日のノルマである宿題をクリアすることにした。
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