第3話「ボンソワールな雪の夜に」

 ひょんなわけで、数年振りに帰ってきた田舎の古民家では、幼馴染と爺さんに囲まれながらの酒盛りが開かれていた。


「ちょっと、あんまり太朗に飲ませすぎないでよね。大体、アンタもお酒そんな強くないでしょ!」

「うっせえなあ。久々の男同士の再会に水刺すんじゃねえよ」

「心配してやってんのになによ! その言い方! 青キューリのくせに」

「あんだと!? この、紫キャベツ!!」

「なによ!」

「やんのかコラ!!」


 またか。さっきからこんな調子で、すぐ口喧嘩をおっ始めるから溜まったもんじゃない。


「がっはっは! あいつら変わってねえだろ」

「見た目は変わっても、中身はあんまり変わってないね」


 青木 久兵衛あおき きゅうべえ村木 咲むらき さき。二人は小さな頃から犬猿の仲で、この田舎ではちょっとした有名人である。


『ま〜た、青胡瓜あおきゅうりと紫キャベツが痴話喧嘩してらあ。仲ええのう! ヒュ〜ヒュ〜!』


 小学校のとき、誰かが蔑称べっしょうで囃し立てて以来、ことあるごとに二人の争いは繰り返され、田舎住民達の間ではもはや風物詩と化していた。


「なんか、懐かしいよ」


幼少期と同じやりとりを見せつけられて呆れつつも、心のどこかで僕は安堵していた。


「太朗」


 二人の罵詈雑言が飛び交う中、僕はサツマ爺さんの声に振り返る。


「ん?」

「こんな田舎じゃ〜、畑以外何にもないが」


 爺さんは穏やかな口調で続ける。


「ま、ゆっくりしていけ」

「……ありがと」


 サツマ爺さんには先んじて電話で、鬱病になって休職していることを話していた。爺さんのことだから多分皆にもそれとなく伝えていて、僕が気を使わないよう、仕事のことは誰も触れないようにしてくれてるんだろうな。


「……あー、僕ちょっとトイレ行ってくるね」


 なんとなく、気まずさを誤魔化すように僕はそそくさと席を立つ。


縁側えんがわ、暗いから気をつけてな!」


 ダイゴンが二人の喧嘩の仲裁に入り、両手を広げて双方を押さえ付けながらそう叫んだ。


 *


「トイレ、こっちだったよな……?」


 かわやは、縁側を抜けた先にあったはず。横目で外を見るとしんしんと雪が降り続いている。ふと、腰を下ろしたくなって、納屋の屋根に積もった雪を縁側から眺めてみた。


「東京じゃ、こんなに降ることはまず無いからなあ」


 うう、さぶ。早く用を足して戻ろう。立ち上がって目的の厠へ向かおうとすると、


「……ses bras」


 ……何か、聞こえる? 納屋の方からじゃないか? 僕は気になって納屋の方へ忍び足で寄っていき、耳をピタリと戸に当ててみた。


「Il me parle tout bas」


 ……女の人の歌が聴こえる。爺さんがラジオでも消し忘れたんだろうか。どうにも聴き馴染みのないジャンルの音楽だったが、僕には不思議とそれがとても聴き心地が良かったのだ。


 僕は歌声に誘われるように、納屋の戸を恐る恐る開けてみることにした。


 すると、大きな桃色のスーツケースの上に少女がちょこんと座っているのが見える。

 年齢は15〜6歳くらいだろうか。白金色ブロンドの柔らかそうな長い髪は、真っ赤なニット帽と耳当てによってふんわりと滑らかな曲線を描いていた。透き通ったきめ細やかな肌は、季節外れの真っ白なワンピースと、その上から暖かそうな羽毛のダウンコートに身を包んでいる。首元にはニット帽とお揃いの赤いマフラー、手にも真っ赤な手袋。幼さの残る均整のとれた顔立ちは、要所に散りばめた鮮やかな赤により、少女の儚さを一層際立たせていた。

 彼女は白い息を吐きながら、凛とした声で異国の歌をその小さな唇から紡いでいる。


「………」


 僕がその儚さにしばらく見惚れていると、流石に視線に気が付いたようで、その青く大きな瞳と目が合った。



Bonsoirボンソワール


「ううわあああああっ!」


 僕は唐突な異国の挨拶に意表を突かれ、鈍い音を立ててその場に尻餅をついた。


 *

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