第2話「帰省」

「もう、こんなに食えんと言ってるのに……」


 月一で届く田舎の爺さんからの宅配便。中身は決まって農園で採れた大量の野菜や果物と、ダンボールの底に書いてあるメッセージ。


『たまには帰ってこい』


 祖父は房総半島の田舎で農家を営んでおり、毎月決まって野菜と果物をこうして僕宛に送ってくる。

 高校を卒業するまでの間だが、僕は祖父と一緒に福島で暮らしていた時期があった。しかし、東京の大学に行くため上京して、そのまま今の会社に就職してからは一度も帰っていない。そう考えると、もう8年近く帰っていないのか。


「帰ってこい、ったって長い休みは中々取れないんだから……」


 そこまで言いかけて、しばらく休みなのに気づいた。


 休職して一週間が経つ。これまで仕事一筋人間だった僕は、急に生き甲斐がなくなってしまって、何もやる気が起きない。営業部期待の星とやらの片鱗はすっかり失われ、完全に堕落してしまっていた。このままではいかん、と思いつつも体が付いていかない。これが鬱病うつびょうの症状というやつなのだろうか。


 田舎に帰ったら、この鬱々とした気分も少しは変わるのかな……。僕は自然と昔田舎で過ごした楽しかった日々の記憶を思い起こし、ダンボールの底を眺める。


「……少しくらい、羽を伸ばすのもいいかもな」


 *

 

 そそくさと空になった駅弁の箱を片付け、僕は電車を降りる。改札口を抜け、キョロキョロと周りを注意深く見回してみる。


「改札出たら分かるように待ってるって言ってたよな……」

「お〜い太朗! こっちじゃてー!」


 聞き覚えのある爺さんの声がして、僕はふいにそちらの方角へ振り返った。


「げ」


【祝 五百瀬 太朗殿 八年振りの凱旋帰国】


 達筆な筆捌きで書かれたどデカい横断幕が視界に飛び込んできた。幕の両端には、身長190cmはあろう屈強な大男と、茶色い長髪をゆわいた軟派な青年、そして真ん中で飛び跳ねている三頭身の爺さん。見知った凸凹三人組がそこにいた。


「うわ、最悪」


 僕には次の行動が手に取るようにわかった。


「せーの」

「「「太朗、お帰りー!」」」

「やめろ! 恥ずかしいから!」


 周りの人からクスクスと笑われている。僕は顔を真っ赤にしながら、帰省したことを早くも後悔していた。


 *


「太朗は全然変わってないな」

「ダイゴンは、もっとデカくなったね……」


 トラックを運転している大男の名は、桜島さくらじま 大吾だいご。屈強な肉体に天然のアフロヘアーと丸太のように太い首。巨大な大根のような漢である。


「そうかあ? ま、久兵衛きゅうべえはチャラくなっただけだけどな」

「いや、お前に比べたら誰だってチャラいわ」


 後部座席でスマホをいじってる青年に向けてダイゴンが茶化す。この如何にも軟派そうな男の名は、青木あおき 久兵衛きゅうべえ。古風で日本的な自分の名前が気に入っていないらしく、


『俺のことはQきゅうちゃんと呼べ!』


 が、昔からの口癖。なので、僕はそのように呼んであげている。ちなみにQがローマ字の由縁は、世界規模グローバルな男になりたいからだそう。その割に田舎から出る気配は一向に無いらしいが。


「Qちゃんはさっきから何いじってるの?」

「マッチングアプリだよ」


 こんな田舎でマッチングもクソも無いだろ、と思ったが触れずにおいた。Qちゃんは大の女好きなのだ。


「こんな辺鄙へんぴな田舎でまっちんぐもどっきんぐもあるまいて! そんなんに精出す暇あったら芋の一本でも抜かんかい! 大吾を見習え、このっ!」

「いてぇっ!」


 Qちゃんを杖で小突いている小さな老人が、僕の父方の祖父にあたる薩摩<さつま>爺さんである。房総の巨大農園<五百瀬ファーム>の経営者であり、先の幼馴染二人はここの従業員でもある。爺さんは働き口の少ない田舎で暮らす彼らにとって救世主のような存在なのだ。


「そういえば、さきは来てないんだね」

「いや、あいつは横断幕で出迎えるのが恥ずかしいと駄々こねてな。ファームで留守番中」 


 ダイゴンは怪訝けげんそうに眉をしかめたが、懸命な判断だと僕は思うぞ。


「もう着くぞ」


 トラックが角を曲がると同時に、ぶわっと強い風が吹き、ざわざわと木々の葉が擦れて耳心地のいい音を奏で始めた。視界一杯に広がる色とりどりの野菜や果物の大農園は、僕の視界を鮮やかに塗り潰していく。


「わ、すご……」


 昔はよくここで爺さんの畑を手伝ってたんだよな。一面に広がる農園を眺めながら思い出に耽っていると、真ん中に見える大きな古民家の前で【五百瀬ファーム】と書かれた手持ち看板を片手に、小さな人影が手を振っているのが見えた。


「なんだ、あいつも同じことやってんじゃん」

「まあ、実のところあいつが一番、太朗が帰ってくるのを喜んでたからな。本人には言わんだろうけど」


 間違いない、と呆れた表情でQちゃんとダイゴンは苦笑した。

 

 トラックがファームの駐車場に到着すると、お団子頭のシルエットが近づいてくる。下北沢あたりで売ってそうな缶バッヂをジャラジャラ付けて、着崩したオーバーオールの作業着がミラーに映る。

 

 ──コンコンと小気味よくノックされ、僕はウィンドウを下げる。


「よっす〜」


 ひらひらと手のひらを返しながら、桜色に染められたお団子頭が顔を出した。


「太朗、おかえり」


 ニカっと白い歯を剥き出しにして、記憶よりもずっと垢抜けていたさきは、満面の笑みで僕を迎えた。


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