第23話 二つ目の願い事

 ――なにを対価に、なにを求める?


 一つ目の取引のときと同じセリフ。違う緊張感。心臓が跳ね上がる。

 ねえ、とりまる。とりまるは一体なにを対価にするつもりなの?


「俺の母さんの目を覚まさせて欲しい。命を助けて欲しいです」


 そこでとりまるは一度言葉を止めた。私の手を放し、一歩小夜に近づく。

 とりまる……?


「――対価には俺の残りの人生の眠りを差し出します。だから、どうか、願いを叶えてください」


 耳を疑った。対価に眠りを差し出すだって?


「なに言ってるの!? そんなのダメだよ。自分を犠牲にしないって言ったじゃん!」


 とりまるの手を思わず掴む。約束と違うじゃないか。自分を犠牲にしないって。そう、言ったじゃないか。


「別に自分を犠牲にしてるわけじゃないよ」


 とりまるが少し困ったような顔で笑う。


 なんでこんなときに笑うのよ。眠れなくなるなんて、人生変わっちゃうよ? 私は元々そうだったから、眠れないのが私にとっての普通だったから、耐えられているのかもしれない。でも。今まで当たり前に出来てたことが出来なくなるのに。普通が普通でなくなるのに。自分を犠牲にしてないわけなんてない。


「眠れなくなっちゃうんだよ? ずっと、死ぬまでひとりぼっちの夜を過ごすんだよ? 時間があるなんて、いいことばかりじゃない。ねえ、とりまる。別の方法を探そうよ……」


 とりまるはずるい。二つ目の願いがとりまるのお母さんを助けることなら、私はほかの方法を考えない限りとりまるを止められないじゃないか。あるはずだ。きっとあるんだ。だから、別の方法を早く思いつかないと。


「確かに、この取引をしたら俺は眠れなくなってしまう。でも、葉山さん。俺はそれでもいいよ。というか、それがいいよ」


 それがいいという言葉に、別の方法なんて考えはどこかに飛んで行って、とりまるの目を見つめてしまった。


「だって、俺は眠れなくなっても、ひとりぼっちじゃないから。葉山さんがいるから。ふたりいればそれは、ひとりぼっちじゃない。葉山さんとなら、ずっと過ごしていたいと思うよ」


 なんでこんなときに、そういうことを言えちゃうんだよ。うれしいって思っちゃうじゃんか。それでもいいんじゃないかって、思っちゃうじゃんか。対価を払うのはとりまるなのに。私はもらってばかりでなにも返せてないのに。


「せっかく糸電話を開通させたんだ。これが終わったからって使わない手はない。毎晩グッド・ナイトって挨拶して。どんなに遅い時間だって、どんな夜だって、話したいことがあるときはふたりで時間を気にしないで話すのもいい。ひとりがいいときは、糸電話をとらなきゃいい。たまにはお母さんたちに怒られるとしても、ふたりでこっそり家を抜け出したっていい。修学旅行のときには、見回りの先生をふたりでまくのも楽しいかもしれない」


 そんなの、そんなの全然楽しくないんだから。怒られるに決まってるじゃんか。なんで、そんなに楽しそうに話すのよ。とりまるとなら、怒られることをするのさえ楽しそうとか思っちゃうじゃない。


「ひとりじゃできないことも、ふたりでならできるかもしれない。ひとりじゃ寂しいことも、ふたりでなら楽しいかもしれない。だって実際、ひとりで神社めぐってるときは不安とプレッシャーでちっとも楽しくなかったのに、葉山さんと行くようになってから楽しかったもの」


 目の前のとりまるが、涙でぼやける。なんで、そんな希望を持たせてくれちゃうんだよ。


「ねえ、葉山さん。少なくても俺は、葉山さんとふたりなら、眠れない夜も悪くないと思うんだけど」


 とりまるはそれが、プロポーズみたいな言葉だって気づいているのかな。きっと気づいてないんだろうね。やっぱり、とりまるはずるいよ。私だって、とりまるとふたりなら、眠れない夜も悪くないって思っちゃうよ。むしろ、そんな夜はきっと素敵だろうって思っちゃうよ。ずっと隠そうとしてた気持ちが隠しきれないよ。ずるいよ。


「私だって、とりまると過ごしたいって思っちゃうよ。とりまると過ごせて楽しかったよ。もっと、こんな時間が続けばって思っちゃったよ」

「じゃあ……」

「でも、それじゃあとりまるだけが! 私はとりまるにもらってばかりなのに。なにも返せてないのに」

「俺も葉山さんといたいって思ってるんだから、別にもらってばかりじゃないでしょ。俺だってもらってるよ。もらい過ぎなくらいだ」


 ほら、また。さらっとそういうことを言っちゃうんだから、とりまるはずるい。


「だから、葉山さん。これからもよろしくってことでいいですか?」


 差し出された右手をとる。


「……うんっ」


 ねえ、とりまる。大好きだよ。


「葉山さんありがとう」

「……それは私のセリフだよ」


 ◇◇◇


「おふたりさん、話はまとまったかな」


 拝殿の手すりに腰かけたまま小夜が言う。


「はい。俺の眠りを対価に母さんを助けてください」


 変わらないとりまるの言葉を聞いて、小夜は諦めたように苦笑いした。


「……まあ、いいだろう」


 手すりから腰を上げて、こちらに近づいてくる。


「俺は嬢ちゃんの眠りを既に持っているから、正直、嬢ちゃんと行動範囲が近い小僧の眠りをもらうメリットはあまりないんだがな。大烏様の呼び出しだしな」


 小夜は私たちの一メートルほど手前で立ち止まって、それに、と続ける。


「あんな熱いの見せつけられちゃったからなあ。取引に応じてやるしかないよなあ。なあ、小僧?」

「ははは……。この商売は義理と人情が大事なんですもんね……?」

「言うねえ」


 小夜はさっきの本を再び手にする。


「さて、いいだろう。小僧。お前の願い、承知した。仲介屋の名に懸けて、その願いを叶えよう」


 小夜がさきほどのように、ページを繰る。今回はさっきよりも、めくるスピードが速い。


「いたいた。この神様なら適任だろう」


 ひとりそうつぶやいて、また、さらさらと何かを書きつづる。


「ふたりも知っている神様だと思うぞ」


 小夜がそう言ったのとほぼ同時。さっきの乙女のように、開かれた本の上に上半身だけの神様が現れた。


「小夜、わしになんのようじゃ?」

「よう、息吹いぶき。元気そうでなにより。久しぶりだな」


 小夜に息吹と呼ばれた神様は、キツネの姿をしている。息吹というのは確か、生の神様の名前。息吹は小夜から、私たちの方に視線を移して、ぎょっとしたように目を見開いた。


「……また会ったな、お嬢さんたち」


 それは間違いなく、とりまると最初に訪れた朝倉神社の神様で。


「……小夜のことは知らないんじゃなかったんですか?」


 そう訊ねずにはいられなかった。息吹はバツが悪そうに口ごもる。


「おい、息吹。そんな目で見られても俺は知らん。俺のことを知ってるくせに知らないと嘘をついたのはお前だし、俺の知ったことじゃない」

「知ってると言ったら、めんどくさいことになるだろうと思ってな」

「その結果がこれだけどな」

「小夜、あんたも意地が悪い」

「なにを今さら。まあ、前置きはこのくらいにして本題に入るぜ」


 小夜が真っすぐに息吹を見据える。


「息吹、頼みたいことがある。この小僧の母親は事故で昏睡状態になってから未だ目を覚まさない。雛菊の話では、このままだと目を覚まさないまま死んでしまうらしい。それも近い将来。訪問リストに入っていたと言っていた」

「それで?」

「小僧の母親の、烏丸遥からすまはるかの命を救ってくれ」


 息吹はさきほどのバツが悪そうな様子はどこへやら。鋭い視線をとりまるに向けた。


「助ける理由がない」

「誰かを助けるのに理由はいらないと思うが、それでも要るというのなら、理由なんていくらでも作れるさ」


 小夜は少し考えてから、不敵な笑みを浮かべる。


「例えば、俺に脅されたと言えばいい。そうだな、このふたりに嘘をついたお詫びだと言うのもいいかもしれない。好きなのを選べよ」

「……はあ。じゃあ、一つ目にしようか。わしの貸一かしいちじゃ」

「お手柔らかに頼むぜ」

「どの口が言う。わしが断れないのをわかっておるくせに」


 不服そうに息吹が言い捨てる。


「ははっ。よくご存じで。じゃあ、息吹。頼んだ」


 息吹はそれには答えずに、とりまるの方を見る。


「少し待っとれ。わしが助けてやる。嘘をついたお詫びじゃ。……また、お前さんらと花火もしたいしのう」

「え、あ……。ありがとう、ございます」


 息吹がもう一度小夜の方に向き直ったかと思ったときには、消えていた。開かれていた本も、きれいなペンも、いつの間にか消えている。


「さて」


 小夜は息吹に向けた不敵な笑みを消さないまま、とりまるに言った。


「俺は仕事をしたことだし、約束通りお前の眠りを頂こうか」

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