第22話 一つ目の願い事

 小夜に会わせてもらう? それに願いを使ってしまってたら、叶えられるのはあと一つになってしまう。でもとりまるは、絶対にふたりとも助けると言っていた。自分を犠牲にしないとも言っていた。とりまるを信じるって決めたから、今邪魔するわけにはいかない。


「少し待ってくれ。今、烏を使いにやる。それから、私もここで君が無事取引を終えるように、最後まで見守ろう」


 大烏がそう言うと、一羽の烏が大烏の足元に舞い降りた。きっとこの烏が使いの烏なのだろう。


 カア。

 カアカアカカ。

 カカア。


 大烏と使いの烏がそう鳴き合うと、使いの烏は空へ向かって一直線に飛び立った。


「心配しなくてもいい。私の烏は優秀だからね。きっとすぐに小夜くらい見つけて来るよ」


 大烏は優しく私たちに言った。それから、私たちの後ろの方に視線をやる。


「梅之助が君たちをここまで連れてきてくれたようだね」


 梅ちゃんの本名は梅之助というのか。それとも、これもまた愛称なのだろうか。


「はい」

「……なにか特別な事情でもあったのかな? 梅之助は相当力を使って疲れているようだが」


 大烏の言葉に後ろを振り向くと、お行儀よく座る梅ちゃんが見えた。私たちの視線に気づいたのか、しっぽをのんびりと振ってみせる。


「実は……」


 大烏に死神に襲われたこと、宇宙玉を奪われそうになったことを順番に話した。


「なるほど。それは災難だったね。梅之助にはあとで私からもお礼を言っておこう」


 拝殿の手すりに止まっていた烏のうちの一羽がカアっと鋭く鳴く。大烏がその烏に目をやる。


「どうやら、見つかったようだよ。今連れて来るそうだ」


 大烏が言うのと、目の前が霧がかかったように白くなるのはほとんど同時だった。霧が段々と晴れ、大烏のほかにもう一人誰かがいるのが見える。無精ひげを生やした、どこにでもいそうなおじさん。それが最初の印象だった。


「さあ、願いは叶えたよ。私と烏たちは離れたところで待っているとしよう」


 大烏の言葉でおじさんが小夜であることを確信する。大烏と私たちを取り囲んでいたたくさんの烏は一瞬にして消えた。


「やあ、まさか、大烏様に呼び出されるとは思わなかったよ。せっかく上手く逃げていたというのにね」


 頭をかきながら、困ったように小夜が言う。その態度に僅かな苛立ちを覚える。


「改めまして、俺が小夜だよ。――久しぶりだね、嬢ちゃん」

「初めまして」


 つっけんどんにそう言ってやったら、横でとりまるが吹き出した。


「寂しいこと言ってくれるな。まあ、というのはおいておくとして。俺に用があったからわざわざ大烏様を使ってまでして呼び出したんだよな? 坊主」


 小夜が私から視線をとりまるに移す。とりまるがその目を真っすぐに見返しながら答えた。


「はい」

「はあ。あれだろ? お前、取引を二つしようとしてるだろ?」


 小夜の言葉に思わず眉をひそめる。二つの取引? 横のとりまるはというと、言い当てられたことに驚いたのか目をぱちくりとさせている。


「……よくご存じですね」

「お前、俺をなんだと思ってるんだ。予知の専門家だぞ? そのくらい予想つくって。もちろん、その方法もな」


 小夜は小さく、だから逃げてたんだし、と付け加えた。


「まさかそっちの未来を選ぶとはな。俺も考えがあまかったってもんよ。まあ、大烏様に呼び出されちまったからには仕方ない。取引してやるさ」

「二つとも?」

「ああ、そうだよ」


 心配そうに訊ねたとりまるに、小夜は諦めたように笑った。


「ほんとは雛菊ひなぎくにたてつきたくなかったんだけどな。まあ、しょうがないよな。依頼されちまったら、それを叶えなきゃ、仲介屋の名が廃るってもんよ」


 小夜は死神を名前で呼ぶ。それから私の方に視線を戻して、それにと続けた。


「そこの嬢ちゃんの母親は元依頼人だしな。こういう商売は義理と人情が大事だからね」


 義理と人情? どの口が言うんだ。散々死神に情報屋として情報を提供していただろうに。


「じゃあ、一つ目の取引をしようか。小僧、お前はなにを対価に、なにを求める?」


 とりまるが梅ちゃんからすでに預かっていた、仲介または情報券と書かれた紙を出す。


「この、梅ちゃんから譲り受けた権利を使って、葉山さんのお母さんを死神から助けることをお願いしたいです」

「承知した。この小夜、仲介屋の名に懸けて、その願いを叶えよう」


 小夜がそう言うと、どこからか一冊のノートが小夜の手に現れた。なんのノートなのだろう。立派な表紙のノートである。


 小夜はペラペラとページを繰る。まるで、なにかを探すように。ノートの半分ほどめくっただろうか。小夜はページを繰る手を止めた。そのページにじっくりと目を通す。


「うん。この神様がいいだろう」


 満足気にそう言って、顔をあげた小夜と目があった。


「ん? 嬢ちゃん、この本が気になるのか?」


 ……気になってないし。


 小夜は黙ったままの私に続ける。


「この本には、歴代の依頼主の情報が書いてあるんだ」


 ふーん。……じゃなくて、訊いてないって。


「おいおい、そんなに冷たくされると寂しいぜ」


 私の眠りを利用して、私たちの邪魔したくせに、寂しいもなにもあるものか。


「まあ、そうだな。時間もないし、とりあえず一つ目の願いを叶えるとしようか」


 小夜はどこからかペンを取り出す。ガラスでできているのだろうか。美しい見た目のペンだった。太陽の光をきらきらと散乱させている。小夜は開いたページにさらさらとなにかを書いた。少し待ってから、また、なにかを書く。小夜の一挙一動に目がいった。


「小夜、私になんのようかしら」


 それはなんの前触れもなかった。甲高い声とともに、女の人が開かれた本の上に上半身だけ現れた。豊かな黒髪を後ろで一つにまとめている。


「お前さんに頼みたいことがあってね」

「そんなこと、わかってるわよ。あんたからの呼び出しなんて、頼み事か情報の押し売りしかないでしょうに。どうせ断れないんでしょ。だから、なんの頼み事かってきいてるのよ」

「話が早い」

「遅いのはあんただけよ。早く用件を言いなさい。私だって、暇じゃないのよ」

「ははっ。それはそれは、ご冗談を」

「いいかげんにっ……」


 女の人が語気を強めたとき、小夜はようやくそれに被せるように用件を言った。


「雛菊から、死神からこの嬢ちゃんの母親を助け出して欲しい」

「は……?」


 怒る寸前だったのに、毒気を抜かれたように女の人が呆ける。


「あんた、なに馬鹿なこと言って……」

「くのいちのお前にしか頼めないことだ、乙女おとめ


 乙女と呼ばれた彼女は、吟味するように私の顔を見て、驚いたように目を大きくする。


小夜姫さよひめじゃないか!」


 その呼ばれ方は好きじゃない。


「おい、乙女。その名前で呼ぶな。俺が嬢ちゃんに嫌われる」

「なに言ってんの。あんたもう嫌われてるでしょ。手遅れよ」


 よく言ってくれた! 乙女さんナイス!


 ややあって、乙女が決心したように小夜に訊く。


「報酬は?」

「……アイス一年分でどうだ?」

「もちろん高級アイスよね? それから一年分っていうのは、一年間毎日朝昼晩食べられる数ってことよね?」


 一年分とは……。


「うっ……。いいだろう、それで手を打とう」

「はあ。わかったよ。引き受けた」


 乙女はそう言うや否や、黒い布で顔を覆った。くのいちというのがしっくり来る。


「ありがとう、乙女。アイスはクール便で送っておくから、なるだけ早く頼む。時間があまりない」

「了解」


 登場時のハスキーボイスからは想像もつかない、その低い声に悪寒が走る。瞬きした次の瞬間には、乙女は消えていた。


「ふう。これで、大丈夫だろ。あとは乙女がどうにかしてくれるさ。俺は通販で高級アイスを予約すればバッチグー」


 乙女とは打って変わって、のんびりとした口調で小夜が言う。


「ん? 心配するな。乙女はああ見えて、仕事のできるやつだ」


 違うわ! 心配してるのは乙女さんじゃなくて、あんただよ! 出かけたこの言葉を飲み込んだ私を誰か褒めて欲しい。そんな私の様子は気にも留めず、小夜が言った。


「さて、じゃあ、二つ目の取引といこうか。小僧、お前はなにを対価に、なにを求める?」

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