第24話 グッド・ナイト
眠りを頂く。そう宣言した小夜がとりまるに一歩近づく。
「もう一度訊く。本当にいいんだな? 小僧」
「はい、お願いします」
みじんの迷いも感じさせないとりまるの返事を聞き、小夜はとりまるの頭に手を当てた。じっとしてろ、と言ったきり、小夜は黙り込んでしまった。一分ほど経っただろうか。小夜がとりまるから手を放す。
「よし、取引完了だ。……おい小僧、お前随分な寝不足じゃないか」
小夜が眉をひそめる。
「最近、忙しかったもんで……」
言い訳するように言ったとりまるの言葉にここ数日の出来事がよみがえる。確かに、ゆっくりと息をつく暇もないような目まぐるしさだった。
「まあ、これからはそんなこと関係ないんだがな。あと、ちょっとふたりに訊いておきたいことがある」
「「聞いておきたいこと?」」
「そう。
真琴。その名前にここに来る前にあったことが頭を駆け巡る。向こうに帰ったら、ちゃんとふたりとも助かるよって報告するんだ。
真琴ちゃんは悪くないんだよって。
信じてくれてありがとうって。
「一応確認なんだけど、ふたりは真琴の秘密をもう知っているんだな?」
「うん」
「真琴が話したのか?」
「そうです」
正確には、私の予想が真琴ちゃんの話で確実になってしまったのだけど。
「はあ。嫌な方の未来になったのか。……
小夜がため息をついた。雛菊の裏切り?
「……ふたりに頼みがある」
困ったように頭をかきながら、小夜が言う。
「真琴の秘密を知らなかったことにしてくれ。元々真琴は、自分の秘密を知らないはずだったんだ。雛菊が吹き込んだんだろうけれど、俺も、真琴の両親も話すつもりはなかった。だからこれからそれを、なかったことにする」
「……そんなこと、できるの?」
そんなこと、していいの? 真琴ちゃんはそれでいいの?
「できるとも。俺を誰だと思ってるんだ? 仲介屋に情報屋だぞ」
「……そんなこと、していいの?」
とりまるの言葉に小夜は少し考えてから言う。
「まあ、悩みどころだけどな。わざわざ知らなくてもいいことで悩む必要もないだろ。少なくとも今のところはな。生きているのに間違ってるも正しいもないわけだし」
小夜の言葉に妙に納得した。
「ということで、ふたりはあの話を聞かなかったことにしてくれ」
「……
重くなった空気を振り払うかのようにとりまるが言う。
「バカか、小僧。お前は二つ目の取引をしてやった時点で俺に借りがあるんだから今のでトントンだ」
小夜は呆れたように笑ってから、本殿のほうに顔をやる。
「大烏様ー? いらっしゃるんでしょ。出てきてくださいよ。俺もう帰りますよ」
私たちの斜め前に、大烏が音もなく現れた。その真っ黒な姿は、太陽の光をいっぱいに吸収している。
「そのようだね。色々事情があっただろうに、呼び出してすまなかった。お疲れ様。最後に一ついいかな?」
「……なんでしょう?」
小夜はめんどくさそうに言いながらも、敬語をやめない。小夜が強く出ない大烏は、実はすごい神様なのかもしれない。
「このふたりと梅之助を送っていって欲しい。どうせ、岬神社に帰るのだろ?」
「まあ、そうですけど……」
「頼む」
「……はあ。わかりましたよ。三人とも届けますよ」
「ありがとう」
大烏は小夜にお礼を言うと、私たちの方に目をやった。
「ふたりとも、家宝を、宇宙玉を集めてくれてありがとう。久々に達成してくれる子がいたもんだから、本当にうれしかったよ。この烏丸神社はふたりの住む場所からは遠いと思う。でももしまた機会があったら、来てくれるとうれしい。では、幸運を祈る」
優しい声でそう言うと、大烏は音もなく消えた。大烏が立っていた場所に真っ黒な羽が一枚、ひらりと舞い落ちる。
「気ままなじいさんだよな。大烏様ってのは」
大烏が消えた辺りを見ながら、呆れたように小夜が言った。
「あっという間だったね……」
「うん」
とりまるの言葉は全くその通りだと思う。とりまるとあの夜に出会ってから、まだ四日だなんて信じられない。
「さて、感傷に浸っているとこ悪いが、お前ら帰るぞ。そこの梅之助も連れてこい」
小夜の指差す方には、私たちに力なくしっぽを振る梅ちゃんの姿があった。
「梅之助がへとへとじゃないか。早く連れてきてやれ」
慌ててとりまると拝殿の階段を駆け下り、梅ちゃんのもとへ向かう。
「梅ちゃん、大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫。ちょっと休みなく頑張りすぎただけだから」
それは大丈夫ではない気がする。思えば私たちは梅ちゃんに助けてもらいっぱなしだった。
「梅ちゃん、ありがとう。梅ちゃんのおかげで、無事にふたりとも助けられるよ」
「梅ちゃん、ありがとう」
「それはよかった。頑張ったかいがあったね」
梅ちゃんは緊張の糸が切れたように小さくあくびをもらした。
「じゃあ、あとは頼んでいいかな? 僕はちょっと寝るよ」
「うん、安心して」
とりまるがすやすやと眠る梅ちゃんを抱えてあげる。
「お待たせしました」
「よし、帰るぞ」
「どうやって帰るんですか?」
「おっ、嬢ちゃん。ようやく俺と口を利く気になったのかい」
「……お母さんを助けてもらったので」
「命の恩人だもんな?」
「やっぱりやめとこうかな」
「寂しいこと言うなよ。で、どうやって帰るかだっけ?」
小夜の言葉にふたりでうなずく。小夜は小夜のものとは思えないような真面目な顔をしてから、もったいつけて答える。
「それはな――」
「「それは……?」」
「新幹線っていうやつさ」
はい?
「俺は梅之助みたいに京都から埼玉に一時間くらいで帰れちゃうほど大きくはなれないし、大烏様みたいに瞬間移動じみたことはできやしない。でもほら、俺は人間の姿をしてるから」
「「だから……?」」
「文明の利器を使わない手はないよな~」
◇◇◇
お前ら朝飯食ってないんだろ? 俺が駅弁という最高のやつを買ってやろう。という小夜の言葉に甘えて、駅弁を買ってもらった私たちは今、小夜とどこにあったのか、小夜の用意したペットケースに入ってすやすやと眠る梅ちゃんと四人で新幹線に乗っている。小夜はふたり掛けの座席で四人分とったらしい。前のふたり分の座席をくるりと後ろに向け、向かい合う形で座っている。
「おい、ふたりとも。駅弁はおいしいか?」
駅弁は買わずに八つ橋を買った小夜が、おいしそうに八つ橋を食べながら私たちに訊く。
「最高です」
このステーキ弁当、本当に美味しい。
「小夜ってもしかして神?」
「もしかしなくても神だ」
お稲荷さんを頬張りながら言うとりまるに、小夜はきっぱりと返す。
どこからかブーブーという携帯電話の振動する音が聞こえた。結構近い? でも、私ととりまるは携帯を持ってないし、小夜は神様だし……。そう思ってると、小夜がポケットに手を突っ込んでスマホを取り出した。
「悪い、俺だ」
いや、お前なのかい。神様がスマホを持ってるなんて思わないよ。
誰かからの電話だったらしく、小夜はちょっと出てくると言い、席を外した。デッキに向かって歩いていく。
「小夜って本当に神様……?」
駅弁で神様だと言われ、スマホで神様を疑われる小夜って一体……。
「怪しいよね」
まあ、とりまるの疑問に同意しちゃうんだけど。
「稲荷弁当おいしそうだね」
「葉山さんのステーキ弁当もおいしそう」
こんなしょうもない会話しかできないのは、やっぱり、ふたりとも小夜の電話の内容が気になるからで。
悪い内容だったらどうしよう。失敗の報告だったら……? そもそも、私たちに関係するかもわからないのに、そんな嫌な想像ほどはかどってしまう。
「小夜、遅いね……」
「うん」
早く小夜に帰ってきて欲しいなんて、変な感じだ。シューっというドアが開く音とともに小夜が入ってきた。
「待たせたか? 悪いな」
のんびりと言い、小夜が腰かける。
「……なんの電話だったの?」
「んんん? 気になるか? 気になっちゃうのか?」
なんでこんなに腹立つんだろう。これでも一応、命の恩人のはずなのに。腹立ちすぎて、さっきまでの心配が吹っ飛んだ。
「気になるから聞いてるんだけど」
「そうかあ。気になっちゃうかあ。やっぱり、気になっちゃうか」
乙女の気持ちがよくわかった気がする。これは腹立つわ。早く言ってくれって。
「小夜、早く言ってよね」
黙々とお稲荷さんを食べていたとりまるがしびれを切らしたのか、小夜に言う。
「悪かったよ。言うさ。さっき、乙女と息吹から電話があってな」
息が止まる。緊張感が走る。小夜の次の言葉に全てがかかっている。
「――乙女は無事嬢ちゃんの母親を助け出すのに成功して、息吹が言うには小僧の母親ももうすぐ目を覚ますだろうと」
――っ! 言葉が見つからない。
「まあ、なんだ。だから、そのお前ら。……安心していいぞ」
「小夜っ! ありがとう!」
「本当にありがとう!」
疑ってごめん。小夜はやっぱり神様だよ。
「あー、俺ちょっとトイレ行ってくるわ」
気まずそうに立ち上がった小夜はそそくさと通路に出ていった。
◇◇◇
「もうすぐ着くぞ」
ほっとしたのと、疲れていたのとで、小夜からの報告のあと、なにを話すわけでもなく窓から流れゆく景色を見ていた私たちは小夜の言葉で現実に引き戻される。
「意外と早いね」
「まあ、文明の利器だからな」
「……なんで小夜が得意気なのよ」
小夜と笑い合う日が来るなんて思いもしなかった。そのうちに新幹線は東京に着いて、私たちはそろって降りる。電車を乗り継いで、最寄りに着くころにはすっかり日が暮れて、空がオレンジ色に染まっていた。
梅ちゃんを抱える小夜を先頭に、とりまる、私と続いて歩く。
「おい、梅之助。お前十分休んだろ? 俺に運ばせないで自分で歩けよ」
「ミャー」
「降りないってか? お前もう元気だろ……」
前の方で目を覚ました梅ちゃんと小夜が話す声が聞こえる。なんだかんだ言って降ろさないあたり、意外と小夜は優しいのかもしれない。
「ねえ、とりまる」
私たちが歩くのに合わせて、影が縮んだり、伸びたりするのを眺めながらとりまるを呼ぶ。
「葉山さん、なに?」
同じように下を向いたままのとりまるから声が帰ってきた。
「ありがとう。お母さんを助けてくれて、四日前私を誘ってくれて。とりまるのおかげでこの四日間、楽しかった」
あんなに嫌いだった夜が待ち遠しかった。もっと続けって思った。大変なこともたくさんあったけど、それでもとりまるに会えてよかった。
「……こちらこそ、ありがとう」
私の前を歩いていたとりまるが急に歩みを止めるから、危うくぶつかりそうになる。私の方を振り返ったとりまるの顔がほんのり赤い。でも、指摘したらどうせ夕焼けのせいだって言われちゃうね。丁度きれいな夕焼けが出てるなんて、とりまるはずるいよ。
「それから、――これからもよろしくね」
それも私のセリフだから、とらないで欲しかったんだけどな。先を越されてしまった私はしょうがないから、とびきりの笑顔で答えた。
「こちらこそ!」
ねえ、とりまる。本当にありがとう。
君とふたりなら、大嫌いなあの夜も、きっと素敵な夜になる。
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