第20話 約束だよ

「……わかったよ」


 とりまるが上着のファスナーを下ろし、内ポケットに手を入れようとする。私は知っている。そのポケットには、集めた宇宙玉が袋に入れられて大切にしまわれていることを。


「ダメっ!」


 気づいたときには叫んでた。


「おい、うるさいと言ったはずだ。わからないのか?」


 肩が強く引かれた。勢いに負けて、とりまるの手が離れる。もう、ダメかもしれない。お願い、とりまる。宇宙玉を渡さないで。そうじゃないと――。


 それは一瞬だった。私はそのまま倒れるはずだった。完全な人質になってしまうはずだった。


 眩い光が私を包んだ。その眩しさにひるんだのか、私を引く手が離れる。私と後ろの人物の間に、なにかが割り込んだ。背中をなにか柔らかいもので押された。次の瞬間。私は文字通り宙に浮いて、僅かな静止の直後に落下し始める。落ちる。そう思って、思わず目をつぶった。なにが起きたのか、全くわからない。ただ、自分が落ちている。それだけを感じていた。


いつきくん、乗って!」

「樹くん、キャッチして!」


 梅ちゃんのとりまるに叫ぶ声が遠くに聞こえた。ふたりは無事なの? 宇宙玉は?


葉山はやまさん! 手、伸ばして!」


 とりまる!? どうなってるの?


 訳も分からないままに声がした方へ手を伸ばす。伸ばした方向があっているのかもわからない。必死だった。


「よしっ!」


 とりまるの声とともに、私の左手が掴まれた。そのままそちらに引っ張られる。


「おっと……!」


 かなりの勢いがついたままどこかへ着地した私を、とりまるがぎゅっと受け止めた。別の意味で目が開けられない。


「梅ちゃん発進!」


 着地した場所は梅ちゃんだったらしい。合図を受けた梅ちゃんは、了解とだけ答えてしなやかに跳び出した。体が梅ちゃんの動きに合わせて上下する。休憩前よりも速いスピードで進んでいく。


「樹くん、追ってきてる?」

「いや、俺には見えないよ。梅ちゃん」

「了解。でも、一応まだ警戒しといて」

「ラジャー」


 そんな会話が聞こえてから五分くらいたっただろうか。実際はもっと短かったのかもしれない。だって、とりまるがずっと私を抱きしめているもんだから、心臓がうるさくって、時間が遅くって。正確な時間なんてわかったもんじゃない。


「樹くん、今も追手は見えない?」

「うん、大丈夫だよ」

「そうか、ありがとう。じゃあ、たぶん追ってきてないんだと思う。とりあえずは逃げ切ったね」


 梅ちゃんの跳躍のペースが遅くなった。お尻から伝わってくる揺れが緩やかになる。とりまるの私を抱きしめる力も緩んだ。


「葉山さん! 大丈夫……?」


 目を開けないわけにはいかなくて、薄っすらと目を開ける。目の前には私の顔を心配そうにのぞき込むとりまるがいた。


 大丈夫じゃない。近い……。近いよ、とりまる!


「うん。……助けてくれてありがとう」

「えっ。ちょっと、なんで顔そらすのさ。やっぱりどこか怪我した?」


 違うよとりまる。近いんだよ。とにかく近いんだ、今の君は。


「いや、そうじゃないから。本当に大丈夫だから」

「本当に? 目見て言える?」


 言えません。本当だけど、言えません。ちょっと勘弁してください。こちとら、いきなり襲われるわ、いきなり空に飛ばされるわで、十分困惑してるんです。そのうえとりまるとこの近さなんて、耐えられるでしょうか!? いいえ、無理です。


「ちょっとふたりとも! 空の上なんだから、暴れないで! 落ちたら危ないでしょ」


 私の顔を見ようとするとりまると、それを避けようとする私が身体を左右にぶんぶん動かしていたのを背中に感じたのか、梅ちゃんが珍しく少し叱る。


「「ごめんなさい」」


 見事なシンクロ。あー、なんでこんなときまで被るかな。


「ねえ、とりまる、梅ちゃん。さっきのはなんだったの?」


 横を向いて、雲の形を眺めたままふたりに訊ねた。


「さっきのはたぶん、死神の手下だと思うよ。フードを深くかぶってたから」


 梅ちゃんの言葉にお母さんをさらった死神の姿が思い出される。あいつも、顔が見えないくらい深々とフードを被ってた。


「三日の猶予をやるって言ったのに、邪魔するのはやめないつもりみたいだね」

「じゃあ、お母さんは?」


 お母さんはどうなってしまうの? 三日間は無事なんじゃなかったの?


「それは大丈夫だと思う。死神の目的はあくまで仕事をすることだから。柑奈ちゃんのお母さんは保険のつもりなんだと思うよ」


 保険。それは、とりまるのお母さんを死なすことができなかったときに代わりに死なすということなのか。怖くて聞けなかった。


「……そういや、光ったよね? いきなり。あれはなんでなの?」


 空を飛ぶ直前のことを思い出す。


「あれはたぶん、小夜の守りだよ。ほら、少し前に話したじゃない? 小夜は眠りの元の持ち主が死んでしまうとその眠りが見れなくなってしまうから、持ち主の安全を守れるように保護してるはずだって」


 そういえば、そんな話も聞いた気がする。じゃあ私は、小夜に助けられたってことか。うーん……。素直に感謝できない。


「ごめんね。葉山さんを巻き込んじゃって」


 へ……? とりまるの予想外の言葉に驚いて、思わず正面を向く。本気で言ってるの? とりまるは泣きそうな顔をしていた。


「俺が誘ったりしなければ、葉山さんのお母さんはさらわれなかったのに。さっきだってそうだ。葉山さんを危険な目に合わせた。俺のせいでごめん」


 そんなことない! お母さんがさらわれたのはとりまるのせいじゃないし、とりまるの誘いに乗ったことを私は後悔してない。だから。


「そんなこと、言わないでよ」


 気づいたら視界がぼやけていた。


「私は後悔してない。お母さんだって、助けるんだから結果オーライだし、とりまるのせいじゃない。大変なことになっちゃったけど、私はとりまるといれてうれしかったのに! 楽しかったのに! このまま行けばふたりとも助けられて、大成功だと思ってたのに……」


 泣き出した私を見て、とりまるがおろおろしているけど、涙が止まらない。泣くつもりじゃなかったのに。とりまるにそれは違うって言いたかっただけなのに。


「え、ちょっと、葉山さん……!?」


 とりまるが慌ててるけど、知ったものか。困ればいいんだ。誘ってごめんなんて言うからいけないんだ。


「ごめんって。泣き止んでよ」


 とりまるは私の頭をそっと引き寄せる。


「葉山さん、ごめんなさい。誘ったりしなければなんて言ってごめん。あと、楽しかったって言ってくれてありがとう。その……。……俺も葉山さんといれて楽しかった」


 こんなときに言うなバカ。私が言わせたみたいじゃないか。


「だから、許してください。俺が悪かった」

「……許す」


 なんか悔しいから、とりまるの服で涙を拭いてやった。


「ねえ、葉山さん。俺からも言いたいことがあるんだけどいいかな」


 涙が止まってきたころに、とりまるがそう言った。


「なに……?」

「葉山さんは無茶しすぎです」


 とりまるが怒っているように聞こえて、思わず顔をあげる。


「葉山さんはさ、俺に言ってくれたこと忘れたの?」


 とりまるは怒っているような、少し悲しんでいるような顔をしてた。眉が下がっている。


「葉山さんが俺に言ったんだよ? 俺のお母さんを助けようって」


 糸電話での会話が思い出される。確かに私はふたりでとりまるのお母さんを助けようと言った。でも、それがなんだというのだろう?


「言ったね……?」

「ふたりでって言ったんだからね!? ふたりでって言うのは葉山さんも一緒にってことだから。母さんが助けられても、宇宙玉を無事に大烏に届けられても。葉山さんが一緒じゃなきゃダメなんだよ!」


 とりまるが私の肩をつかみ、目をじっと見る。その瞳がうるんでいる気がしたのは私の涙が乾いていないからなのか。それとも――。


「だから、もう無茶しないって約束して。自分をもっと大事にするって約束して」


 いつかの日のように、とりまるが小指を出した。


「うん。約束する。……心配かけてごめんね」


 ◇◇◇ 


「今どこらへんだろうね」

「たぶん長野か岐阜じゃないかな? 少し前に通った道路に『長野県』って表示が出てるのが見えたから」

「じゃあ、半分くらい来たのか」


 私にそうだね、と返したとりまるがそのまま黙ってしまった。さっきから中々話題が続かない。黙ったままも気まずいので、別の話題を絞り出す。


「ねえ、とりまる。学校さぼっちゃったね」

「おまわりさんこいつです! 学校をサボった悪い子はここにいます!」

「なっ! 共犯者がなにを言う!」


 ふふっと、とりまるが笑う。


「まあ、しょうがないでしょ。たまには学校に行くより大事なことがあるってもんだよ」

「なんか、とりまるすごい。人生何周かしちゃってる人の言葉だよ」

「でしょっ」


 ああ、やっぱり私はこの時間がずっと続いて欲しいって思っちゃうよ。隠そうとしても、抑えようとしても、もっととりまるといたいって思っちゃうよ。とりまるはとりまるのお母さんが元気になったら、元々住んでいた場所に帰ってしまうのかな。それが目標だったはずなのに。私はひどい裏切り者だな。


「ねえ、小夜ってどこにいるんだろうね」


 だから無理やりにでも、脳みそを働かせよう。早くこの時間を終わらせる方法を考えよう。もっと一緒にいたいなんて思ってることが、この時間がもっと続けばなんて思ってることが、とりまるにバレないように。嫌な自分から目を背けたい。


「今、青梅神社に残ってもらった猫たちに聞き込みに行ってもらってるんだけど、全く手掛かりがつかめないんだよね」


 私たちの会話を聞いていたらしい梅ちゃんが答える。


「そっか……」


 小夜が見つからないことには私たちは願い事を二つ叶えられない。梅ちゃんの仲介してもらえる権利も小夜に会えない限り使えない。


「小夜を見つけてから烏丸神社に向かう?」


 どの神様にどういう順で、どういったお願いをするのかを決めなくてはいけない。


「そのことなんだけど……」


 とりまるがあごに手を当てながら、遠慮がちに言う。


「俺に少し考えがあるから、このまま烏丸神社に向かってもらいたいんだけど。……いいかな?」


 戸惑う私たちにとりまるは続ける。


「どんな考えかはまだ言えない。でも、絶対にふたりとも助けるから。だから、少しの間だけ、俺のことを信じて欲しい」

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