第16話 もう一つの取引

「「「もう一つの取引?」」」


 三人の声が重なる。


「そうです。青梅神社の乗っ取り、それから、柑奈ちゃんのお母さんと小夜の取引。あの年はこの話題で持ち切りでしたね。神社の乗っ取りなんて普通起きないものですし、それを、あの小夜が起こしたなんていうものだから」


 若菜の言葉に梅ちゃんはうなずいてみせる。当事者なのにほとんど知らないというのも悲しい話だけど、当時は話題になったとウサギの神様も言っていた。


「でも、あの夜に行われた取引はもう一つあるんです。青梅神社の乗っ取りとか、小夜と柑奈ちゃんのお母さんの取引なんて、可愛いものだと思えてしまうような取引が。小夜はそれを隠すため、わかりやすく言うと、自分が派手なことをすることで注目を集めて、もう一つの取引を気づかせないために青梅神社の乗っ取りなんてしたんです」


 青梅神社の乗っ取りが、お母さんと小夜の取引が可愛く思えてしまうような取引――。一体どんな取引なのだろう。


「このことを知っているのは、おそらくわたくしと小夜。それから、もう一つの取引に関わっていた三者。死神である雛菊ひなぎくとその反対の生の神様である息吹いぶき、そして、そのふたりの依頼主だけだと思います」


 死神。お母さんをさらったやつ。そんな死神にも名前があるという事実に驚く。もしかしたら、キツネの神様やウサギの神様にも名前があったのかもしれない。


「どんな取引だったんですか?」


 とりまるの言葉に強く共感する。じらさないで教えてくれ。


「死者をよみがえらせる――。そんな取引です」


 梅ちゃんが息をのむのが聞こえた。そんなこと、あっていいのだろうか。いや、あってはいけないのだろう。だからこそ、隠れ蓑が用意された。


「若菜、その取引は成功したの?」


 梅ちゃんが恐る恐るというように訊く。


わたくしは知りません。わたくしもまた、利用された一人ですから」


 悲しそうに答える若菜に、梅ちゃんはさらに続ける。


「じゃあ、青梅神社が選ばれた理由は知ってる? 若菜」

「はい、知ってます。どうして青梅神社が選ばれたのか。それは全くの不運と言っても過言ではないでしょう。毎日毎日、決まった時間に来る参拝者がいて、さらにその参拝者の願いを叶えられそうな神様が近くにいた。……ちょうど、あのころ、わたくしは小夜に借りがありましたから」


 若菜が申し訳なさそうに目を伏せた。


わたくしが伝えたかったことはこのくらいです。あんなことに巻き込んでしまい、申し訳ありませんでした」


 思うことがないと言えば、嘘になる。私がみんなと違うように生まれたのは私のせいじゃないし、できるならみんなと同じように生まれたかった。普通に生まれたかった。


 でも、若菜が私をお母さんのもとへ行かせてくれた張本人なのは紛れもない事実だから。


 だから、私は伝えたい。


「若菜さん、私もずっと伝えたかったことがあります。私をお母さんに授けてくれて、ありがとう」


 若菜のしたことは正しいことじゃなかったのかもしれない。でも、それでも、若菜がいなければ、今の私はいなかったかもしれない。それで十分だと思ってしまうのは、自分勝手だろうか。


「そう言ってもらえると、私も救われます。ありがとう、柑奈ちゃん」


 初めて若菜の笑顔を見た気がした。柔らかな笑顔がさっきまでの悲しそうな顔より若菜に似合っている。


「梅ちゃん。今、みなさんは急いでおられるのですよね。私とはここらで終わりにしましょう。最後にこれを渡しておきます。大烏からの伝言です」


 若菜は一通の白い封筒を差し出した。それから、私の方に顔を向ける。


「ねえ、柑奈ちゃん。また来てくれますか」

「もちろんです」


 迷うことなく自然と言葉が出た。


「ありがとうございます。いつでも待っています。樹くんもですよ。ふたりの幸運を祈ってます」


 ◇◇◇


 常夜神社とこよじんじゃの鳥居をくぐると、空が明るくなり始めていることに気づいた。夜が終わろうとしている。私たちの冒険も。


「死者をよみがえらせる取引かあ。とんでもないことを考えるもんだね」


 とりまるがぽつりとつぶやく。成功したのか、失敗したのか。若菜はわからないと言っていた。


「ねえ、梅ちゃん。そんなこと可能なのかな?」

「……僕にも確かなことはなにもわからないけど。でも、死の神様と生の神様のふたりがそろっていたのなら、そんな奇跡も起きたのかもしれないね」

「そっか……」


 とりまるが受け取った宇宙玉を朝日にかざす。


「なにはともあれ、全部回収できたね」

「うん、よかった。……ねえ、とりまる。あの封筒開けてみようよ」


 私のよかったは、きちんとそう聞こえてるだろうか。このひとりぼっちじゃない夜が、とりまると一緒に過ごせる夜が、終わってしまうことを寂しく思ってるなんて、伝わっちゃいけない。


 だって私が言ったんだから。一緒にお母さんを助けようって。そう、とりまるに言ったんだから。もっととりまるとの夜が続けばいいなんて思うのは、裏切りでしょ?


「おっけー! ちょっと葉山さん、お面持ってて」


 とりまるは外したお面を私に渡してから封筒を開ける。


「えーとね。ふむふむ。――なっ!? おい、待て! ……なんだ、驚かすなよ」


 ちょっと、とりまるくん? 独り占めするのはいかがなものかと。私だって読みたいんですけど。というか、手紙を読んでいるときに、待てとか、驚かすなとかいう言葉が出てくるのおかしくない?


「とりまるー! 私だって読みたいんだけど」

「あ、ごめんごめん、葉山さん。はい、どうぞ」


 とりまるは私の手からお面を二つとも受け取り、代わりに手紙を渡す。


『ここまで家宝の回収ご苦労であった。最後の仕事だ。私のいる烏丸神社からすまじんじゃまで、それらを届けておくれ。烏丸神社での家宝の受け取りを持って、取引の成立としよう。約束通り、君の願いを一つ叶えよう』


 ふむふむ。


『なお、この手紙は読了後三秒後に消滅する。三、二、一』


 はっ!? えっ、ちょっと待った!


『――なんてね。ほんの冗談だ。烏丸神社で待っている。では、道中に気を付けて』


 ……なんだ、驚かすなよ。


 くすくす、という笑い声が聞こえた。顔をあげると笑いをこらえようとしている梅ちゃんと目があった。手で口をおさえてもなお、笑いが漏れている。


「え、梅ちゃん?」

「ごめんごめん。いや、ふたりの表情の変化が全く同じだったから面白くって」


 とりまると目が合って、ふたりでそらした。梅ちゃんはそれすらも面白そうに笑い続ける。


「それで大烏からの手紙には、烏丸神社に来るようにって書いてあった?」

「うん。梅ちゃん、烏丸神社ってどこにあるか知ってる? 俺、知らないんだけど」

「私も知らない」


 ずっとこの地域に住んでるけど、烏丸神社というのは聞いたことがない。


「ああ、烏丸神社は京都にある神社だよ」

「「京都!?」」


 私たちが驚くのには訳がある。だって、ここはなのだから。


「そうだけど……。そんなに驚く?」

「驚くね。だって、これまでずっと近くの歩いていけるような神社だったじゃん! それがいきなり京都なんて遠いところにあるなんて」


 とりまるが私の気持ちを代弁してくれる。


「あー、なるほど。烏丸家は全国にあるからね。大烏は子孫たちが伝説に取り組みやすいように、初めの七か所の神社はその子孫の地元に設定してるんだよ。でも最後はやっぱり、自分のとこに来てねってことなんじゃないかな」


 京都までどうやって行けばいいのだろう。電車? 新幹線? お金は? 三日間の猶予には間に合うの?


「とりあえず計画通り、まずは岬神社みさきじんじゃに向かって、それから京都に行くのでいいかな?」


 ここに来る前に立てた計画を思い出す。梅ちゃんも一緒に計画を立てたのだから、岬神社に向かってからでも京都に間に合うのだろう。


「よし、じゃあ、岬神社に向かおうか」


 ◇◇◇


 岬神社は常夜神社から二十分ほど歩いたところにあった。時間の感覚がなくなり始めているが、今は五時頃だろうか。もっと早いかもしれないし、遅いかもしれない。正確な時間はわからないけど、岬神社についたときには随分と空が明るくなっていた。少し前までの暗さが、お母さんといたときの暗さが、嘘みたいだ。


 私たちの目の前に見える岬神社は青梅神社やさっきの常夜神社と違って大きな神社だった。朱色に塗られた立派な鳥居が立っている。


「お面はいらないよ。大烏の使いとして行くんじゃないからね。でも、だからこそ気をつけて。今回は境内でも信用できない。安全だって言いきれないから」


 梅ちゃんの言葉にふたりでうなずく。緊張が高まってくる。


「ん? どうしたの、葉山さん。あ、手繋ぐ?」


 無意識のうちにとりまるのTシャツの裾をつかんでいたことにようやく気がつく。


「いや、大丈夫……」


 断りかけた私を遮って私の手をとりまるが握る。


「えー、いいよ。繋いどこうよ。俺、葉山さんまでどっか行っちゃたら嫌だもん。葉山さんには隣にいてもらわないと困る」


 よくそんな恥ずかしいこと言えるねって、いつもだったらツッコんだ。でも、とりまるの手があまりにも冷たかったから。少しだけ震えていたから。私はただ黙って握り返した。私の手の温かさがとりまるに少しずつ移動していくのを感じる。


「よし、行こう」


 そうとりまるが言って、私たち三人が鳥居をくぐろうとしたときだった。


「柑奈ちゃん、こんな時間にどうしたの?」


 背中の方から聞こえてきたその声は、私の名前を呼ぶその声は、一番ここで会いたくないと願っていた人ので。


 思わず足を止め、振り返ると、私の視線が声の主の視線と交差する。彼女は今にも泣き出しそうな顔をしていた。

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