黙ってればイケメン

「あっ!透子せんせーい!」

休憩スペースに声が響いた。

大きな声に振り向くとその場にいた人たちの視線が刺さった。

そしてその向こうで手を振ってにこにこしながらで近づいてくる男の姿が見えた。

「ちょっ・・!しー!しーっ!」

透子は慌てて人差し指を口の前でたてた。


その男・・・・西村圭太にしむら けいたは透子が勤務するレーヴ音楽教室へ出入りする楽器店の営業マンだった。

その童顔と小柄な外見からスーツを着ていなければ学生と間違われることがしばしばあるという。

営業担当になった時からその外見とフレンドリーさと嫌味のない態度で教室のスタッフたちともすぐ溶け込んでしまえる特技の持ち主だ。

年齢が同じということもあり、ことさら透子には気をを許して話すことが多い。



圭太はそんな周囲の目も気にせずに透子の前に座ると人懐っこい笑顔で笑って頭を下げた。

「鈴原先生ありがとうございますっ!」

「えっ・・・なに・・。」

普段「透子先生」と呼ぶくせに急に「鈴原先生」と呼ぶ圭太に向かって、不信感あらわに目を細めた。

そんな透子の視線にも臆することなく圭太は続けた。

「なにじゃないですよー!ありがとうございます!!先生のクラスの生徒の小林さんからグランドピアノのご契約いただきました」

満面の笑みである。

ああ。

そういえば数週間前に担当している生徒の保護者から透子に直々『電子ピアノからピアノに買い替たい』と相談を受けたことがあった。

アップライトピアノとグランドピアノで迷ってるという相談だった。

なるべくピアノを弾く本人の意志を尊重したいと保護者から聞いていたのだが、当の本人は母親に「どっちがいい?」と尋ねられても「どっちでもいいよ」というばかりだったそうだ。

そこで困った母親が透子に相談しにきたということだった。

透子も生徒である小林絵里奈こばやし えりなに聞いてみたのだが「電子ピアノからほんとのピアノになるんだったらなんでもいい!」と笑顔で答えてくれた。

それをそのまま母親に伝えたところだった。


細かく言えばアップライトピアノとグランドピアノはペダルだとか打鍵の感覚などの違いがある。

本格的にピアノの道に進むと決めているのならグランドピアノをお勧めするし、この先ピアノを続けるのかがわからないのであればアップライトを勧めている。

これは透子の価値観なので正解ではないかもしれないのだが。

とはいえ楽器は高額なので、よくよく吟味して選んでもらいたかった。

なので商品には詳しい圭太に相談していたのだ。

今回は絵里奈の気持ちを相談の答えとしてご両親にお伝えしたばかりだった。


透子自身も音楽の道に進むと決めた時にアップライトピアノからグランドピアノに買い変えた。

その時に母が「大きな車が1台買えるわねぇ~」とこぼしていたのを覚えている。

絵里奈はまだ小学生だけど彼女の意見を尊重しつつ家族で話し合った結果グランドピアノを購入することに至ったらしい。


「わ!グランドにしたんだ!」

「そうなんだ。家族会議で決めたそうだよ。」

透子は冷めたコーヒーを口にして言った。

普段なら冷めたコーヒーは飲まないのだが、今は嬉しい気持ちの方が勝っていたので冷めたコーヒーもさほど不味く感じなかった。

「そうなのね、すごく迷ってらしたけど決まってよかった。グランドだと音の幅も広がるし今以上にピアノを好きになってくれたら嬉しいなぁ。」

と圭太を見てほほ笑んだ。

そんな姿を見ながら圭太も嬉しそうだった。

「それでさ透子さん。」

「ん?」

圭太はニヤリと笑って言った。

「急なんだけど明日お祝いしよ。」

圭太は完全プライベートモード全開だ。

「んー・・ちょっと待ってね。」

透子は持ってたバッグから手帳を取り出しスケジュールを確認すると圭太の方を向いて言った。

「うん、明日は予定がないから大丈夫よ。」

その答えに圭太は

「俺、いい感じの店見つけたんだ。彼女ができた時の予行練習として付き合ってほしんだけど。」

といいさらにニコニコしている。

人懐っこい笑顔で何を言い出すんだコイツは・・と半ば呆れながら透子は答えた。

「ちょっとーなんなのよそれは。お祝いなんじゃないの?」

「や、だからさ。それもかねての視察だよ」

透子はあきれた顔で圭太を見た。

「視察って・・・彼女ができてから言いなさいよーまったく。」

「へーい。ってか彼女ができてからじゃ視察になんねーだろがよ。」


圭太はいつものように軽口をたたきそれからスッと鞄から小包みを取り出すと

「これ、みなさんで。」

と営業マンに戻っ顔で透子に差し出した。


「んもー。急だなぁまったく。なに?また女子ウケ狙ってるでしょ。」

と差し出された包みを見た。

それは最近この界隈で人気のチョコレート菓子専門店のチョコレートだった。

「え!これ!即完売のチョコレート!買えたの!?」

本場ベルギーで修行して来たというショコラティエが創り出すチョコレートが味はもちろんのこと美しすぎるということで雑誌に載ったのをきっかけに行列の店となった。

それに加えてその美しく美味しいチョコレートを作っているショコラティエがイケメンだということで更に人気の店になったのだ。


「俺の人脈ナメんなよ」

とにやりと笑った顔はハッとするような笑顔。

透子の職場の女子たちの中にもひそかに狙ってる子も多いと聞いことがある。

黙ってればイケメンなのになぁ。


圭太は透子の前では飾らないしましてやカッコもつけず地のままなので透子にとっては恋愛対象とは程遠い位置にいる。

「なんだよ。俺に見惚れてんのか?」

「ばーか。そんなわけないでしょ」

「ちぇー。なんだよー。これでも俺はモテんだからな。」


透子もまた飾らずにポンポン言えるので気兼ねなどいらないのだ。

あえて関係をというのならば、お互いに恋愛対象ではない営業と取引先の講師プラス気兼ねなく話せる友人同士となるわけである。


「んじゃ、明日19時に。詳しいことはまた連絡するわ。」

と言って立ち上がって

「ありがとうございました。」

と頭を下げて帰っていった。


「ほーんと客観的に見たらかっこいいんだけどねぇ・・・」


ないわーと思いながら透子もまた立ち上がり圭太とは反対の方向に歩き出した。

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