透明な音
瑶姫 るな
昔のキオクの中
やっぱり透明だ・・と
+
4歳の頃から近所のピアノ教室に通っていた。
ピアノの先生である
ある日、教室運営者とピアノ講師である明子が経営と講師業の兼務が体力的に難しくなったとのことでピアノ講師を引退することになるということを母によって知らされた。
それと同時に講師陣を一掃し新たに講師を数名雇うというお知らせの手紙を明子本人から渡されたのが数週間前。
中学3年生の秋だった。
「透子ちゃんごめんなさいね。先生も透子ちゃんの大学受験が終わるまではと思っていたのだけど。」
と少し困ったような顔をして明子は言った。
「でも!大学受験が終わるまでは特別に全面的にサポートするからね!」と早速新しい講師を紹介された。
と同時にピアノの横に立っていた人がゆっくりと近づいてきた。
「明子さん、僕の生徒はこの子?」
ちょっと低めの声で明子に言葉をかけてるのが聞こえた。
「え?」
透子はやや緊張しながら見上げた。
「はじめまして。今日から担当になった
ふわりと笑った顔は柔らかい羽根のよう。
屈託のない笑顔がとても印象的な“お兄さん”だった。
「すっ・・鈴原透子です。よろしくお願いします。」
どういう表情をしていいのかわからず透子は口早に言って俯いた。
「透子ちゃんそんなに緊張しなくてもいいのよー。奏は私の甥っ子だし透子ちゃんより8歳も年上だけどへなちょこだから」
と、隣に立ってる奏をちらりと横目で見て、それから透子の方を向いて笑った。
へなちょこってなんだよーとぶつぶつ言ってる奏の横で明子は透子の耳元で言った。
「奏はあれでもコンクールで優勝経験あるからね。教え方も上手いし透子ちゃんが大学教授のレッスンに移行するまでは奏のいいところどんどん盗みなさい。」と笑った
ふわりと笑う顔はとてもあどけなく、どことなく奏と似ているなと思った。
それから数年。
透子は4月には高校3年生になる。
音大を受験するために大学教授のレッスンを受けるまでの間この教室に通い続けた。
週1回が2回になり奏の下で練習することが楽しくて仕方がなかった。
どんな難しい曲も弾けると奏が笑ってくれる。
ときおり曲について語り合うこともあったし音楽理論を丁寧に教えてくれることもあった。
楽しかった。ほんとに楽しかった。
同じ空間で音楽について時間を共有する。
それがとても楽しい時間だったのだ。
しかし楽しいだけでは大学受験には望めないのも透子はわかっていた
そして自分のこの気持ちもうっすらとわかりはじめていた。
だから・・・・教室を辞めることになったこと告げるのがしばらくできなかった。
告げたらこの心地よい関係も終わりになる。
奏は大人だからこれ以上透子に踏み込んでは来ないということも薄々わかっていた。
とうとう教室を辞めることになったことを報告しなければいけない日が来た。
最後のレッスンの日、奏はいつものあの笑顔で「今までよく頑張ってきたね」と誉めてくれた
そして合格するように前祝いだと言ってピアノを演奏してくれたのだ。
「愛の夢 第3番」
フランツ・リストが作曲した曲だ。
ポロンと黒鍵の音が鳴る。
奏が演奏するピアノの音が美しく甘く耳に響く。
なんという繊細な音なのだろう。
透明なガラス玉にひとつひとつ大事に触れるように丁寧に演奏する。
ただでさえこの曲は美しい音色で紡がれている曲だ。
奏が奏でる音は美しいだけではなかった。
レッスンの時とは違う表情
せつなげに眉を寄せたりほほえんだりそれとともに美しい音色が透子を包む。
どこか異世界にトリップしたかのような、奏の心の奥にある触れてはいけない世界に導かれたような不思議な感覚だった。
ああ・・今日で会えなくなるんだ。
演奏が終わると同時に現実に引き戻された。
「雪村先生。今までほんとにありがとうございました。」
ぺこりと頭をさげた。
その瞬間意図せず透子の目からポロリと雫が零れた。
「・・・うん。またね。」
顔を上げると困ったようにふわりと笑った顔があった。
出会った頃に見たふわりと優しい羽根のような屈託のない笑顔とはまた別の顔。
胸の奥がツキンと痛む。
その刹那。
視界が塞がりシトラスの香りに包まれた。
抱きしめられたと気づいたのはもう少し後だった。
「・・・・・・・淋しくなる」
くぐもった低めの声が彼の胸から響いた。
柔らかい髪が頬をくすぐった。
奏の腕が透子を包む。
恥ずかしくて顔を上げることもできず両腕を垂らしたまま伝わるぬくもりを感じていた。
しばらくして一瞬だけ力強く抱きしめられるとその腕が解かれた。
「これは犯罪だよな・・」
と聞こえるか聞こえないかの声で自嘲気味にぽそりとつぶやく。
そしてふっと息を吐きだし「がんばるんだよ。」と透子に向かっていった
その表情はうかがい知れなかった
なぜならば透子の目から大粒の涙が次から次へと零れてたから。
なぜ涙があふれてくるのかわからないまま。
「またね」
奏はいつもの
これを境に奏とは会えなくなった。
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