第5話 ギヤ・ブルーズ

 サヤと別れたのは三月だった。去年の暮れ頃から僕はどうにも居た堪れない状態が続いていたのだ。僕は何もかもがうまくいっていなかった。僕の中のギアがうまく噛み合っていない感じがしていた。考えること考えることが退廃的で、正しいことなんかひとつもない気がしていた。僕ができることには限界があって、何もできないような気がしていた。何もやる気は起きなかったし、何かをしようという気持ちもなかった。



 サヤは僕にはもったいないような美人で、家庭的で、翳があって、大人っぽくて、かわいかった。ミキとの思い出を振り返ると、不思議とサヤの顔よりも思い出すことがある。同級生から向けられる言葉や視線だ。もちろんだが、そのほとんどが好意的な言葉だったと思う。でも、僕の口から出るのは否定的な言葉ばかりだった。



 今考えるとサヤは何も悪くないのだ。しかし、僕には周りから向けらている目や、何よりサヤから向けられている強い視線がじりじりと僕を焦がしているような気がした。僕は何かを知りたかった。僕がどこからきたのか、僕はなぜ僕として足り得るのか、違う、僕はこんなんじゃない。僕はこんなものを求めていない。僕らしいってなんだ。僕みたいなってなんだ。堂々巡りをしていた。


 だから「どこかへ」行きたくなった。


 僕はサヤと別れた後、多分だけどすごく責められたと思う。僕は同級生から距離を置いた。新しい自分になれる気がした。急にやる気になった僕はアルバイトを始めようと思ってアルバイトを始めた。そう、そこで自転車を買おうと考えついたのだ。


 自転車を買おうと思ったけれど、住まいの近くに自転車屋はないことに気がついた。僕は運転免許を持っていないし、スプリンターはもういなくなっていたし、父もいなくなっていた。この頃のことは、思い出そうとしても正しくないような、曖昧な気持ちになる。結局、細かいことは何もわからないまま父はこの世を去っていった。揺るがない事実は、それだけだった。


 ちょっとした時間に、なんだか人に会いたいような気持ちになって、誰かに連絡をとろうするんだければ、サヤの真っ直ぐとしたあの視線を思い出す。どこかを見つめるその視線の先に何があるんだろうと考えてみる。何を見つめているのか、なぜ僕はその姿ばかり思い出すのだろうか。



 友達と話していても、心から楽しむことができなくなっていたような気もするし、疎ましく思ったのかもしれない。アルバイトを始めたことによって、そんな気重な状態から脱することができたと思う。こうしてやりたいこともできたわけだし、新たな人間関係には特に大きな関わりもない。働くことに精をだしているときは余計なことを考えずに済むというのも大きく左右されたのではないだろうか。



 色々な失敗を繰り返しながら週3〜4回のシフトをなんとかこなしていた。しかし僕が、アルバイトを力を入れようが、道に迷っていようが、時間は刻々と過ぎていく。サヤと別れたとはいえ、高校には行かなきゃならなかった。別に行かなくてもよかったのかもしれないけれど、何かと理由をつけて高校には行かなきゃならなかった。大きなイベントがある。そう卒業という門出だ。

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