サリューア様の歌うような声が神殿内に朗々と響いた。晴れやかな早朝。祭りの始まりを告げる祈りとともに街は目を覚ましていく。


街のそこかしこで準備をする者たちが動き出し、日が昇り店が開く頃には屋台からいい匂いがここまで漂ってくるようになる。晴れやかな服に身を包んだ年頃の娘たちは仲間同士、恋人同士で明るい笑い声を上げて街を行き、小さな子どもたちはこの日ばかりは多めに持たされた小遣いで気に入りのお菓子やおもちゃを買う。行商人は異国の品を持ち込んで店を構え、祭り見物に旅人も多くやってきて、この日の街は大変な賑わいをみせる。


今日ばかりは孤児院の子どもたちもわずかな小遣いと精一杯の晴れ着でもって街に繰り出していた。それはわたしも同じで、午後からは孤児院の手伝いをするけれど、午前中いっぱいは街で遊んでらっしゃいと送り出され、華やぐ街の通りをひとり歩いていた。


――別に仲間はずれにされているわけではない。ただひとりで回りたいから回っているだけだ。


わたしの外見は子どもだけど、中身はもう二十歳だ。お菓子はほどほどでいいし、おもちゃもいらない。どちらかというと大人の女性が好む綺麗な装飾品や小物、可愛い服などに興味があった。でも。……見るだけだ。そういうものは子どものわたしには似合わないし、サイズも合わないから。


――大人になりたい。もっと大きくなりたいなあ。


ことあるごとに思うけれど、思うだけで育つなら世話はない。もしこのままずっと子どもの姿のままだったらと考えるたびに肝が冷え、焦りが広がる。それでもいいと受け入れてくれるひとたちがいるから、暗くならずにすんでいるけど……。


はあ、とため息をついて下を向けば、耳元でしゃらりと涼やかな音が鳴る。そっと手を触れればこういう日にしかつけないわたしの大事な宝物がそこにある。


――サリューア様にもらったバレッタ。


子どもの頭に合わせて小さめに、でも子どもらしくはないシンプルでいながら華やかな流線形のデザイン。一粒だけ控えめに飾られた宝石はサリューア様の瞳と同じ淡い緑。成人した十七の誕生日にもらった、大事な大事な宝物。


「もっと、大きくなったら……そうしたら」




そっと頭を撫でてもらって喜ぶような、そんな幼い関係ではなく。


その全身を受け止めて、ぎゅっと抱きしめ合えるような。そんな大人に関係に。




なれたらいいのにと思ったところで、自分は今なんてことを考えたのかとかっと頬に熱が集まった。


「サリューア様は恩人、そう、恩人で、わたしの名付け親で、こんな、こんなことしたいわけではなくてっ」


そもそも神に仕える神聖なひとにこんな想像を抱くなんて不謹慎だ。いや、これはあくまで親と娘としての対等な関係性を主張したいだけであって、と慌てて自分に言い訳をする。そう言い聞かせる。……でも、もう何年も心の奥底に沈めようとしてるその気持ちにはとっくに気付いてしまっていて、誰に見咎められたわけでもないのにひとり慌てているのがすごく滑稽なのは、自分自身よくわかっていて。


熱くなった頬から、しゅんと熱が引いていった。


「……せめて、ちゃんと大人になれてたならなあ」




――好きですと、告げることくらいはできるのに。




楽しいはずの祭りの日の朝なのに、わたしはいきなり憂鬱になってしまった。







とぼとぼと街を歩いていたら、広間に行きついた。真ん中に噴水があり、緑に囲われ、誰でも好きに休めるようにととことどころにベンチが設置してある。思い思いに休むひとびとを見渡していれば、ひと際目立つ赤髪のひとが噴水の縁に座っている。昨日神殿にきた旅人の青年だ。やっぱりすごい色だなあと見つめていれば、随分と距離があるはずなのに、彼はふと顔を上げこちらを見た。じっと合う、その目は夏空のような青。


彼はにこりと微笑み、こっちおいでとわたしを手招く。ええどうしようと周囲を無駄に見回しても知り合いひとりいない。変なひとだったりするのかな、側にいっても平気かなと悩んでいれば、その迷いを見越したように青年はさっと立ち上がり寄ってきて、わたしの退路を塞ぐように目の前に屈みこんだ。


「やあ」

「こ、こんにちは……」


片手に食べかけのサンドイッチを持ちながら、にこにこ笑顔で話しかけてくる。


「きみ、昨日神殿で会った可愛い子だね。よければ少しお話しないかい?」


――変態かもしれない。


その言葉を聞いてそう思った。中身はともかく外見子どものわたしにこんな風に声をかけるなんて。危機感を抱き逃げ出そうとすれば、青年はしゃがんだままわたしに顔を近付け、そっと囁いた。


「……きみの体がどうして育たないのか、知りたくないかい」


わたしは……きょとんとその顔を見上げた。派手な色味のわりに凡庸な顔立ち。その赤髪さえなければ、そこらにいる普通の青年だ。よくいそうな感じだけれど、会ったことはないはずだし、ましてやわたしの体のことなんて誰かが喋るはずもない。


「やっぱりね。もしかしたら、好んでその姿のままでいるのかとも考えたけれど、違うんだね」


この青年は、何だろう。何を知っているっていうんだろう。どくどくと高鳴りだす胸を押さえて、わたしは口を開いた。


「……あなたは知ってるの?」


少し掠れたわたしの声に、青年はこくりと頷き。そして言った。


「ぼくは、きみの同族だよ。」


今年で百三歳になる、と。

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