葬列はペトリコールと共に・終
「うおおおおお!!」
走る走る、ひた走る。
「傘を差すのも水溜りを避けるのも飛び越えるのもしゃらくせえ!!」
走れ、走れ、足を止めるな。
空は少しの雨雲を残して天気雨を降らせている。世間では『きつねの嫁入り』なんて言うが、嫁入りなんざクソ食らえだ。
どいつもこいつも結婚だの結納だの、ジューンブライドも大概にしろと、日が長くなってきた空に叫びたい気分だった。
学校から徒歩十五分程度の距離の丘には廃れた小さな神社がある。
ガタガタで苔むした石の階段を登ると、朱色の剥がれた鳥居と廃れた境内。荒れ放題なそこにぐっと眉を寄せた。
きょろきょろ辺りを見渡してしばらく。目当てのものを見つける。
「あ、あったーーーー!!」
私は歓喜に叫び、そこに一目散に飛びついた。ポケットに入れた財布を開くと入っていたのは五千円札。なんの躊躇もなくそれを引っ掴み、勘定入れに突っ込んだ。五千円札なぞ、命と比べればその価値は一円にも劣る。
いま、私が買ったのは例の絵馬である。
『歪められて絡まった縁ならば、本来の正規の縁結びを行って上書きしてしまえばいい』
これがメル先輩の助言から導き出した私の答え。ベストアンサーだった。
この神社の正当なご利益の姿は縁結び。死者と生者を繋ぐものではない。いつどんな意図でムサカリ絵馬化したかは分からないが、人が勝手に作ったご利益と本来の神様のご利益、どっちが強いかなんて、そんなの神様に決まっている。
「名前名前……一路くんと吉田と、あとなんか適当なクラスメイトの名前書いとこう」
傘と一緒に握りしめていたマジックペンでひたすら名前を書いていく。気分は年賀状の宛名書き。名前の片方はもちろん小日向さんのものだ。
『絵馬に小日向という娘のフルネームと、クラスメイトだろうが教師だろうが、誰でもいいから適当に生きてる男の名前を書いて来なさい。アナタの分も書くんですよ』
これはメル先輩の教え。
お膝の上で言われたときはちょっとパニックを引き起こしていたっけ。
私は誰の名前を書けばうんぬん、成瀬は笹本さんいるしうんぬん、はわわぼっち辛いうんぬん。言ったことをぜんぶ思い出して思考をやめた。
蛇足だが、けっきょく問答無用で部室を追い出されたとき、敵地に追い出すなんてやっぱり先輩は悪魔の使徒かなんかなんだなと思った。
「よし書けたァーーー!!」
余計な思考は明後日になげ、名前を書き終えた絵馬を抱えて吊るすところまで行けば、茶色い絵馬の群れの中に明らかやべぇやつがあった。
「うわぁ……」
禍々しい黒色をした絵馬。それには真っ赤な色で『小日向雅』『斎藤さとし』と書いてある。片方は恐らく口なし、幼馴染さんの名前だろう。
「……」
絵馬は願掛けのために、または願い事のかなった礼として神社に奉納するものだ。
「いつか、小日向さんに良い人が現れますように。いつか、彼女の隣に理解者が現れますように」
一際目立つその絵馬の上から、先ほど書いた絵馬を次々に吊していく。願いを重ねるように、上から塗りつぶすみたいに。
彼女にも、私に対する成瀬やメル先輩みたいな人と、ご縁を結べますように。
たくさん清いお願いをしたあと。最後に自分の絵馬を吊るしたときだった。一際つよい風がふき、辺りの木がざわざわと葉をゆらした。
―――パンッ
―――リリン
思わず目をつむった瞬間。
私の耳はたしかに柏手と鈴の音を拾った。
ふと、絵馬の方をみる。地面には二人の名前を分かつようにして真っ二つになった黒い絵馬が落ちていた。文字通り、真っ二つだ。
「は、はは……終わったぁ」
へたりと座り込んで上を見れば、空には虹がかかっている。じつは先程までずっと見えていた足の群れは、もう視界に映ることは無い。
もう大丈夫だと、心配はないのだと確信を持って言えたのだった。
※※※
「あ〜、外あっちぃ」
ざりざりと硬いほうきで落ち葉や放棄されたゴミを集める。
みんな思っていたことをわざわざ口に出した成瀬の背中をほうきの柄でどついた。
「サボるな」
「そうだそうだ」
「先生に言ってやるわ」
「いた、ちょ、ナニそのテンション!」
私がどつくと一路くんと小日向さんも成瀬を柄で突き始める。ペンギンのコラみたいな図だった。これがチームワーク。私たちは困難を経て仲良しさんになったのだ。
「もー、柄は駄目だろまったく。土曜に急に呼び出したと思ったら神社の掃除させられてさぁ。はーだるねみ」
成瀬はでかい
いま現在、私たちは例の神社の神様に助けてもらったお礼をすべく境内を清掃している。これは完全なる誠意でボランティアだ。だというのに、悪気なく文句をたれる成瀬にムッとした。
「ちょっと、これは神様への感謝の気持ちを表すための掃除だよ? それをねみとかだるとか言ってると――」
途端、頭上でカラスがカアと鳴き木から飛び去って行った。上からはガサガサと何かが落ちる音がして、下に立っていた成瀬の頭に木の枝がぶちあたる。
「いってぇ!!」
「バチ当たってら」
「失礼なこと言うからよ」
「こいつが失礼じゃなかった事ないだろ」
「お前ら俺の心配くらいしろよ!!」
成瀬はそのまま一路くんに飛びかかり、ほうきでチャンバラごっこをはじめる。まったく元気なもんだ。
「ねえ」
冷えた目で二人を眺めていたら小日向さんが袖を引っ張ってきたので、ややした方向に視線をやる。小日向さんは今日も小ちゃくてかわゆい。
「なあに、小日向さん」
「雅」
「はい?」
「なまえ、雅って呼んで、ね」
大切なお友だちだから。小日向さんはそう言って耳を真っ赤にした。そのままダッと走り『ゴミは私が捨てるから帰って』と去っていった。足が早いんだこれが。
「と、言うことで無事に丸く収まりました」
「休みの日にまでご苦労なことです」
それは土曜にまで学校で部活動をしている人にこそ似合う言葉だと思う。私はメル先輩に向かって敬礼をした。
「なにをしてるんです?」
「土曜にまで暇な部活動に勤しむ暇な先輩に敬意を表してます」
「ははは、ハッ倒しますよ」
先輩がグッと拳骨をつくったのでビャッと離れて席についた。定位置はとても落ち着く。椅子に愛着がわいてくるのは馴染んだ証拠だ。
「アナタも馴染んだもんですね」
呆れたみたく笑う彼になんだか嬉しくなって、足をふらふら前後に動かす。今日はとても晴れてるためご機嫌なのだ。
「小日向さん、下の名前呼んでって」
「ふうん、よかったですね」
「うん」
「……」
「……」
未だふらふらした足をじっとみる。先輩はまえに貸したホラー小説を読んでいた。
「口なしさんの遺影、割れたそうです」
「ほお、自然に? 故意ですか」
「真っ黒くなって自然に割れたんだって」
あの雨の日、私が部室でドアをばんばんされていた頃。小日向さんは自分でどうにかしようとしていたらしい。口なしさんにいちばん縁のある実家に足を運び、口なしさんを祓おうとした。しかし、ことはそう上手くいかない。彼女は自身の力を過信しすぎたのだ。
自室に行き、お守りを取りに行ったときだった。彼女は部屋の外から母親の呼ぶ声が聞こえたという。それは確かに、いま家にいない母の声だった。
呼ばれている。そう感じたとき、小日向さんは終わりを悟ったのだと言った。
霊は部屋など、人の領域にその人の許可なく入れないことが多い。というのも、霊に対して生者が許可するという行為が霊にとってとても重要なのだ。
重要である理由は割愛するが、とにかく許可なく家に入り込んでいる時点でもう手に負えないほど強い悪霊になってしまっていたらしい。
『嗚呼、私、もう死ぬんだわ』
外から聞こえるはずのない知り合いの声が『でてらっしゃい』と自分を呼ぶ。死を感じていた彼女は、ふと遠くで甲高い柏手と鈴の音を聞いた。
その瞬間、外から悲鳴がして静かになり、びっくりして口なしさんの家に行けば、遺影が黒く染まりガラスが砕けちっていたらしい。
「そっからはもう大丈夫。葬列も口なしさんも何も見てないって言ってました」
「よかったですねぇ」
「はい、よかったです。本当に」
初めてあった時からずっとよそよそしくしていた彼女は、いまはよく笑う。巫山戯ればのってくるし、自分から積極的に話すようになったのだ。縁結びの絵馬に、こっそり私と小日向さんの名前を書いたものを忍ばせたのは、我ながらナイスな判断だった。
縁は何も、恋愛に限る話ではない。
接点を持ちたい相手と、仲直りしたい相手と、生き別れになった家族と。何が起こるかわからない世の中で、隣を歩くために結ぶのもまた、縁結びだ。
私たちの縁は、正しく結ばれた。
「ん」
「なんですその手は」
「帰るから下駄箱までつれてってください」
先輩は伸ばされた手をみて、それから私をみて、呆れたように腰に手をやった。
「アナタね、いまはもう怖くないでしょう」
「別にいいじゃないですか」
「アナタがよくてもボクはよくない」
「減るもんじゃなし、付き合ってくれてもいいじゃない。私とお話しましょう?」
メル先輩のマネっこをしたらひどくびっくりした様子で、とうとう観念したらしい。伸ばした手はすくい上げられ、私は椅子から引き上げられた。
「出入り口までエスコートして差し上げますよ、わがまま放題のレディ?」
この人の、たまに興が乗ってノリが良くなるところ、私は大好きだった。
さて、エスコートといっても本格的なそれでなく、先をゆく先輩のあとを私が追う。ただそれだけのことだ。歩幅が違うため、はや歩きになっていたのを察してか、歩調がゆっくりになる。いくら人類悪でも、そういう配慮をするだけの親切心は残ってるんだなあ。
「いま、失礼なこと考えました?」
「いえいえそんなこと」
こいつ、エスパーか?
「アナタの考えることなんて、もう顔を見なくっても理解ります。おおかた歩調合わせる配慮はできるのかみたいなことでしょう」
「ワ、スゴーイあたってるー」
「対応が雑すぎませんか? ほんっとうに可愛げ無くなってきましたね」
「私、先輩に言われたから絵馬に自分の名前と先輩の名前書いたし、可愛げしかないでしょ」
「ほんとに書いたのか……それにしたって態度が小憎たらしい」
「はは、愛ゆえですって」
「……」
成瀬みたいな
「もう蝉が――」
「つづらさん」
キュッ。上履きがリノリウムを擦った。音を鳴らしたのは私の方。後ろを振り返ったメル先輩からは足音がしない。
下駄箱はすぐそこで、外からは運動部の喧騒が私たちの間の沈黙を震わせていた。
「アナタは、もし大切な人が酷く辛い目にあって一言、死にたいだなんて言ったら――一緒に死んでくれと言ってきたら、どうしますか?」
息を一口ぶん、冗談ですかという言葉とともに飲み込んだ。真剣な色を帯びた青白磁色の瞳に、どうして冗談なんて言えよう。
彼は真剣にこの問を私に投げているのだ。
「……一緒には、いけません」
自分の大切な人には生きていてほしい。真剣に、慎重に言葉を紡ぐ。
張り付く喉から絞り出した声のなんと頼りないことだろう。先輩は一歩、私に踏み出した。ただそれだけの行為が、私の心の内側に入られたみたいに思えた。
「アナタの大切な人は、周りに死ぬより辛い目に遭わされ、息を吸うのさえ辛い状態です。そんな人に、アナタは生き地獄を味わえと言い放つのですか?」
「でも、それで死ぬなんて絶対違う。私は一緒に死んでくれと言われて、はいもちろんなんて絶対に言わない」
今回のことで強く思ったのは、本気で好きなら、本気で大切なら、相手のことをもっとよく考えて欲しいという事だった。
「私は、大切な人から言われるなら一緒に死んでくれじゃなくて、一緒に生きてくれって言って欲しい」
私は、居場所が欲しいと常に思っている。
私がどんな世界を見ていようが手を離さないでくれる人。そんな人が現れたら、きっといちばん大切な人になる。私のいちばん大切な人に一番近いのは成瀬、一路くんや小日向さん。そして先輩だった。
「私は、もし先輩から一緒に死んでくれとか言われても死んでやりません。先輩が生きたいと思うまで、嫌でも説得します」
今度はなんの揺るぎなく言い切った。どんな意図の質問かは分からないが、これだけは自信を持って言えることだった。
「ボクが生きたいと思えるようになるまで……何年先になっても言い切れますか」
「はい」
「本当に?」
「はい」
「……ボクが、」
先輩はゆっくりと両手を持ち上げる。
手は私の首にのび、夏だというのに冷たい手のひらが肌につく。彼は首を覆ったまま体を近づけた。
「メル、先輩……?」
いつも無表情か、笑っているかしている顔が、いまこの瞬間だけ揺らいでいた。
陽の光に当てられた彼の目は、澄んだ冬の泉のように綺麗だった。
顔がだんだん近づき、先輩は口を開けた。もうすぐで顔が付きそうなくらいになってもなお、私は動かないでいた。
「雀部?」
フッと、首に伝わる力が和らぐ。
体が一気に硬直をといて自然、声のした方に向いていく。そこには担任教師が首からホイッスルをぶら下げて立っていた。
「珍しいじゃないか。こんな休みの日に」
「あー、ちょっと用事があって」
「そうか。用事は済んだか?」
「いま帰ろうとしたとこです」
「じゃ、お前ハードル並べるの手伝え」
「エーッ!!」
なんてこった。いま帰ろうとしたとこですって言ったじゃん!
「え、やりたくな……そうだ、先輩もやりたくないですよねって、あるぇーーー!?」
慌てて後ろを振り返ったらメル先輩はおらず、全くの無人であった。あんにゃろ、逃げたな!!
「先輩って、誰かいたのか?」
「はい。その先輩に用があってきたんです」
「で、逃げられたと」
「はい……」
「ハハハ、そりゃ残念だったな!!」
ほら行くぞ、とゴリラに首根っこを引っ掴まれる。もう逃げられないみたいだ。
「先輩め、月曜日に会ったら逃げたことを後悔させてやる!!」
「はいはい、さっさとハードル持ってこい」
私陸上部じゃないのにという叫びが虚しく校庭にこだまする。もう、先程の冬のように鋭い空気は夏の空に融解し、風に乗って霧散していった。
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