葬列はペトリコールと共に・肆


 しとしとと降り注ぐ雨が傘を叩く。今日は部室にはよらずに帰宅している。なんだか部活で映画を見る気分になれなかったのだ。


 保健室のあれ、まじでびびった。


 思い出して腕をさする。昼休みの足もやばかったがあれもだいぶ精神にきた。

 小日向さんが出ていったあと、廊下には誰もおらず、また隠れられるような場所も無い。あれは人じゃなく完全に霊だ。


「……小日向さん、大丈夫かな」


 最後まで真っ青な顔をしていた小日向さんを思い出して傘の持ち手をキュッと握る。

 名前を書かれてからずっとあのような場面に出くわしていたら、そりゃあんな顔色にもなる。


 ぱしゃり、水溜りを踏んづけると靴に水が染みた。帰り道が同じ幼馴染は先に帰路についたため、道には私ひとりしかいない。


 ――ぱしゃり、ぱしゃり。


「……」


 ――ぱしゃり、ぱしゃり。


「…………」


 ――ぱしゃり、ぱしゃり。


 立ち止まっても足音が止むことは無い。頭の中で切羽詰まった小日向さんの声をぐるぐると反芻はんすうさせる。思い出しては追い出し、追い出しては思い出した。



 名前書かれたらもうだめなの。

 ぱしゃり。


 もしも私を連れて行かなきゃ。

 ぱしゃり、ぱしゃり。


 代わりはおねえちゃんか。

 ぱしゃり、ぱしゃり、ぱしゃり。


『傘で前を隠して、何がみえても足元だけ見て帰りなさい。約束ですよ。いいですね』



 下を向く。傘で前を隠す。となりを誰かが横切った。黒い靴に、黒いスラックス。黒いタイツを履いた足も。


 私は下を向いて傘で隠して、絶対に前を見ないよう反対方向に走り出した。

 幾人いくにんも横を通り過ぎているのに人にも傘にもぶつからない。

 ただただ後ろへ歩いていく足だけが、水の溜まったアスファルトを踏みつけていた。



「は、は、ッ!」


 いつから、なんて決まってる。


 放課後、はじめて小日向さんを見かけたときから私は目をつけられていたんだ。だから、メル先輩は私に忠告したし、小日向さんは私の様子を見に来た。昇降口から走り去る彼女の向こうに見えた人影は、きっと葬列だった。あれは参列者を増やそうとしているのだ。


 校門には誰もおらず、雨の音しかしない。そのまま駆けて、駆けて、五階まで一気に駆けぬける。目の前のスライド式のドアは鍵がかかっておらず、なんの抵抗もなく開いた。


「――こんにちは、いい午後ですね」


 部室には、あいも変わらない先輩が、窓を背にして立っていた。細まった目は、まるで私の現状を見透かしている様だった。


「わざわざ忠告してやったというのに、まんまと捕まってしまったわけだ。本当に愉快な後輩ですよ、アナタは」

「……ご助力、お願いできませんか。対価は怖い話。先輩にとっては楽しいかもですよ」

「高く出たもんですが、ええ、そうでしょう。きっとボクにとっては楽しいお話なんでしょうねぇ」


 彼はクスクス笑いながら定位置に腰掛ける。ふかふかの椅子がギイと鳴いた。


「さあさ、ボクとお話しましょう?」


 鞄からタオルをとって頭からかぶり、私もすっかり定位置になった椅子に座った。ひどく安心している自分がいて、思わず苦笑いをこぼす。ずいぶんこの人に慣れたものだ。


「なんか、私は葬列に魅入られてるらしいです。おそらく昨日の時点で」

「そのようで。足元だけ見なさいと約束したのに、アナタが破るから」


 指切りしたほうが良かったですかと小指を立てるので、つんと横を向いて結構ですと言いきった。この人はほんとにハリセンボン飲ませてきそうだから、指切りはしたくない。


「私が昨日葬列を遠目にみて翌日、隣のクラスの小日向さんがやってきたんです。昇降口に立ってた子です」

「ああ、いましたね。なんかちいちゃいのが」

「あの子、幽霊見えるんですって」

「ふーん」

(あれ? 思ったよりも反応が薄い……)


 霊の視える私に対してすごく面白がるもんだから、てっきり生粋きっすいの霊感少女にはもっと興味を示すかと思ったが。この人の基準よくわかんないな。


「で? その女子がどうしたんですか。結論から述べてもらって大丈夫ですよ」

「あっと、なんかその子が死んだ幼馴染さんと冥婚させられそうって話です」


 ここではて、と疑問が生えた。

 どうして私、目をつけられてるんだ。


 小日向さんは言った。葬列は自分を連れて行く為にこの街にいると。その筆頭が彼女の幼馴染さんである。彼は絵馬に書かれた名前を頼りに、小日向さんを連れて行こうとしている。そこに私の存在は関係ないはずだ。


「何か気づいたことがありましたか?」

「葬列の筆頭が彼女の幼馴染さん。彼は縁結びの絵馬に自分と小日向さんの名前を書かれたから、彼女に付きまとっている。この話に私は関係ない。ならなぜ、私のところにも葬列がやってくるんでしょうか」


 私はチラと扉の方を見る。保健室と一緒でドアに磨りガラスの小窓がついている。昼のことを思い出して身震いした。


「ふむ……縁結びの絵馬とはあの丘のところの廃れた神社のものですか?」

「あ、知ってるんですね。そうです。なんかお姉さんに恋慕してたのに勘違いで妹さんの名前をご両親が書いちゃったらしくて」

「ふ、あっはは、そりゃ傑作けっさくだ! 親のいらない親切で、っはははははは!」


 またこの人は人の不幸事をまるでお笑いを見てるみたく笑う。性格がド底辺である。たしかに酷いめにあっているがご両親だって悪気があってやったわけじゃないのだ。そんなふうに笑わなくってもいいじゃないか。


「ふふ、はーおもしろ。何より滑稽なのは死んだ幼馴染さんの執念が凄まじい事ですね」

「執念? というかその『幼馴染さん』て呼び方、成瀬と同じなのでやめませんか」

「では『死人に口なし』からとって『口なしさん』と今後呼んでいきましょうか」


 なんてナンセンスな名前の付け方だろう。不謹慎すぎて洒落にもならんが、口には出さない。機嫌を損ねかねないから。


「まず、アナタの云う葬列と口なしさんは別々の霊であると前置きします」

「へ、あれらは集合体じゃないんですか?」

「恐らく行動原理はそれぞれ別でしょうね」


 てっきり葬列の参列者たちを率いているのは口なしさんだと思っていたが、もうそこから違うらしい。ということは。


「葬列という怪異は仲間を増やすもの、口なしさんという怪異は小日向さんを連れ去るものって事ですね」

「その通り。アナタが目をつけられたのは葬列の方で口なしさんは関係ないんですよ」


 ひとつの疑問が解消されてちょっとスッキリした。前述の通りならば私は関係ない訳ではない。


 さて、怪異や霊には独自の条件ルールを持つものが一定数いる。目が合うことで取り憑くサインとするものや、ある特定のものが見えたものを連れ去るものなど、実に様々である。有名な怖い話を例にすると『八尺様』なんかがいい例だ。あれは憑いた相手をとり殺すような怪異だが、取り憑かれる条件が『若い男である』『白い服を着たでかい女が見える』『ぽぽぽという声が聞こえる』の三つからなる。


 葬列という怪異ははじめて見たが、アレに取り憑かれる条件が『視る』ことにあるのなら、私はそれ条件に当てはまってしまっているのだ。


「もうお察しでしょう。アナタは視た。葬列は参列者を増やしたがってるので、視える生者をどんどん列に加えたがるんですよ」

「は〜、やっぱり人生って碌なことないですね。初見でそんなの知るわけないじゃない」

「だから列でいるんでしょうよ」


 メル先輩のセリフにもうすべてが詰まっていた。列は二人以上の人数がないと成り立たない。あの葬列は視てしまった人間の成れの果てなのだろう。いっぱいいたなぁ。まさに初見ごろし。


「あれ、なんで口なしさんは葬列と一緒に行動してるんだろ。意味は?」

「そこが執念深いポイントです。恐らく口なしさんは生前よりだいぶ煩悩ぼんのうまみれのアンポンタンだったと思われます」

「ええ?」


 まったく関わりのない人に口なしとかあだ名つけられた挙句、煩悩まみれのアンポンタンなんて呼ばれるなんて、口なしさんにちょっと同情した。


「つづらさんは結婚式は教会と神社、どちらで挙げたい派ですか?」

「エ、いきなりなんですか」

「いいから答えて」

「えー、じ、神社……?」

「おや気が合いますね。ボクもです」


 なんだこの質問。私が神社と言ってから先輩がやけに嬉しそうだから、なんだか意味もなく恥ずかしい。


「いいですよね、日本の伝統的な式。特別な着物を着て、儀式を執り行う。花嫁行列はさぞ壮観でしょうね」


 花嫁行列、という単語が頭に引っかかり、私は小さく反応した。先輩はそれを見逃すことは当然しない。


「口なしさんは恐らく、花嫁行列がしたいが為に葬列を引きずって来たんでしょう」

「はは、そんなまさか。だって列は列でも葬列ですよ? そんなのに花嫁行列させるとかおかしいですよ」

「幽霊に生者の理屈は関係ないですよ」


 ひとつの未練のために忠実に、一途に、自分が満たされるまでそこに居続ける。ただそれだけの存在。メル先輩は霊のことをこう示した。


「やりたいからやる、ちょうどいいのがそこに居たから利用する。よくあることです。案外霊も人間も似たような思考回路かもしれませんよ?」


 クスクスかわゆく笑うこの人は何回後輩をドン引きさせれば気が済むんだろう。まったく笑えない。オヤジギャグのがまだ笑える。ふだんから道端とかで幽霊を視ている身としては、人間と幽霊は似ているという事実はいささか飲み込めない考えだ。


「まあとにかく、冥婚なんですから結婚式でも挙げたいのでしょう。死してなお頭がお花畑な霊です。まったく馬鹿馬鹿しい」

「はは……でも、死んだあとでも結婚式を挙げたいくらい好きなのに、相手は姉ではなく妹。なんだかなぁ」


 これじゃあ相手も小日向さんも報われない。というか、これ完全に口なしさんの独りよがりではないだろうか。


 何しろ彼は告白してすらない。


 小日向さんはもちろん恋愛感情はないし、それはたぶんお姉さんも一緒だ。

 それなのに一方的に式を挙げて殺して連れ去るのはあんまりじゃないか?


「おや? どうかしましたかつづらさん。お顔が風船みたいに膨らんで附子ブスですねぇ」

「や、なんか口なしさんが一人で舞い上がってる勘違い男に思えてきて」


 ムカついてます、と不機嫌に言い放つと先輩はまた笑った。抱腹絶倒、ゲラゲラ笑っている。よく笑うものだとぼんやり思った。


「あはあはあは、はぁーも、あんまり笑わせないでくれません?」

「いや、私は真面目に、真剣に怒ってるんです。こんな馬鹿みたいな理不尽って無いですよ」


 こうなったのは何故か。原因は、誰が悪い。結論から言えば答えなんか無い。


 恋を告げる前に死んでしまったのは仕方のない事だし、両家のご両親が絵馬に名前を書いたのだって、悪気があってのことじゃない。

 私が葬列に目をつけられたのも小日向さんは何ら悪くない。すべてタイミングが悪かっただけ。時期が悪かっただけなのだ。


 でも、自分が死んだからって好きな人を殺して連れて行こう、だなんて。それははっきり悪ではないか?


「そんな好きなら潔く身を引いて、あの世で好きな人のゆく末を見守るのが甲斐性かいしょうってもんじゃないんですか? あんちくしょうが、葬列を連れてこなければ、私はこんなに怖い思いをしなくて済んだのでは? あれ? あれあれあれ??」


 前言撤回。すべて口なしさんが悪い。


「幽霊に男の甲斐性を求めるとは。あはは、初めて見た! あははははっゴホゴホ!」

「なんか恋路めちゃくちゃにしてやりたい」

「めちゃくちゃにしてやったらアナタ、さぞ愉快な気持ちになるでしょうね」


 もうほぼムサカリ絵馬と化している縁結びの絵馬。あれをどうにかすれば小日向さんも私も助かるだろうか。


「絵馬、燃やすかー」

「それはやめたほうがいい。やり方を間違えればアナタもただじゃ済みませんよ」


 椅子に座ったままくつろぐ先輩は長い足を組み、上に乗っかった足の上履きを上下に動かしている。楽しそうであるが、どこまでも他人事だ。


「いま、葬列は口なしさんに乗っ取られている状態なんですよ」

「さっき別々の怪異だって言ってたのに?」

「小日向という小娘が名前を書かれてだいぶ経ってるんでしょう。辛うじて名残があるだけでもうほぼ口なしさんの怪異になっているはず」

「葬列を引っ張ってた時間が長すぎて口なしさんが本体になっちゃったんですか?」

「はい。このままだとアナタまで葬列にいる誰かと無理やり霊婚させられますよ」


 あれれ、いまなんか衝撃的なこと言われなかったかな。


「れいこん」

「はい」

「私が?」

「アナタが」

「死んじゃう?」

「死にますねぇ」


 口なしさんは簡単に言えば人を殺してその人と結婚する怪異。葬列はほとんどその怪異と化している。

 だから参列者も口なしさん状態になっている訳で、私はそれに目をつけられている訳で。


 つまり、そう言うことだ。


「アーーーッやだやだやだーーーー!!」

「今はまだ大人しいですけど、そろそろ我慢できなくなってくる頃では?」

「ア"ーーーーーーッ!!」

「知らない男と無理やり結婚」

「ヤダーーーーーーッ!!」

「霊の婚礼って、ナニをするんでしょうね」

「ウワーーーーーーッ!!」

「あっはっはっはっは」


 冗談じゃない、冗っ談じゃない!!


 幼年期は幼馴染と共に虫を追っかけ、少年期は霊に怯え日陰を生きてきた。彼氏なんていちどもいたこと無い。

 それがなんだ、高校一年でいきなり結婚? しかも相手は名前も知らない死んだ人で結婚イコール死? やはり人生はクソだ、ゴミクソだ!!


「死にたくないし、なにより知らない人と結婚するため死ぬなんてヤ!」

「知り合いならいいんですか?」

「そういう問題じゃない!! なぁに嬉しそうにしてんだあんたは!!」


 声を荒げ机にバンッと手をついたとき、私が立てた音とは別の音が響いた。

 急に寒気を感じてドア方向を見れば、すりガラスの向こう側に何人もの人影が見えていた。


「ウワーーーッ! キターーーッ!」

「婚期をのがして死んだもんだから、はやく結婚したいんですよきっと」

「私は! 結婚! したくない!」


 私は先輩の後ろに隠れて肩を揺さぶった。


 なんだっていつもこんな目に遭うんだ。土地か、土地が悪いのか。それとも疫病神でも付いてるせい? なんにせよクソ食らえだ!


「うーー、や、怖、むり」


 どんなに喚いてもドアはしきりに叩かれるし、やつらが去る気配はない。ドアを叩く音は激しさを増し、焦燥感を掻き立てる。そんななか、極限状態の脳は極限状態であるからこそ、私にある最低なことを気づかせた。



 私のこの状況は、小日向さんもいま正に体験している所なんじゃないだろうか。彼女もいま、こんな怖い思いをしているんじゃないだろうか。



「助けて欲しいですか?」



 手を強く引かれ、足が引っ掛けられたと思ったら世界がぐるんと反転した。気がつけば、目の前にはメル先輩の顔があった。


「アナタはなんの為にここへ来たんです」

「た、助けてもらいに……きました?」

「む、もっと自信を持って言いなさいな」

「助けてもらいに来ました!」

「よろしい」


 椅子に座った先輩は膝の上に乗り上げて従順でいる私に満足げに頷く。


 この体勢はなんだ、なんで私は異性とクソカップルみたいなカッコをしているんだ。あとそろそろドアが叩き割られるんじゃないか?

 いろんな考えが頭上でぐちゃぐちゃに混ざる。これがアニメなら私の目はぐるぐると渦を巻いていたことだろう。


「いい子なアナタにボクから素敵な助言を与えましょう。アナタはボクの言うことだけに耳を傾け、ボクに素直でいればいい」


 先輩の左手の小指が己の小指に絡む。ばんばんと喧しい音が少しだけ遠のいた気がする。


「ね、つづらさん。最初からあった正規ルートの言い伝えと、人伝に変異していった非正規ルートの言い伝え。どっちが強いと思いますか?」


 先輩の髪が、きらりと光を帯びた。少しだけ黄色っぽい光。流れる雲の間から、はしごのように光が降り注ぐ。眩しさに目を少しだけ細めた。


「あの丘の神社は縁結びの神社なんですよね。ところで、アナタに借りたホラー小説。あれ全然ホラーじゃないですよ。ギャグですあんなの。だって、生きてる人間のほうが死んだ人間より強いなんて、それもう怖くないじゃないですか」


 先輩の話に視界が開けていくのを感じた。

 ああ、空が晴れていく。

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