葬列はペトリコールと共に・参
傘を下駄箱の傘置きに雑にダンクする。滑りやすい廊下でスケートごっこする生徒とそれを叱る教員の声に、まさかこんなにもホッとするとは。
「はあ、ここまでくれば流石に……え、小日向さん!?」
繋いだ手に重力がかかったのを感じ、見れば小日向さんが顔を真っ青にして座り込んでいた。すごく具合が悪そうだった。
「保健室に行こ。授業サボって付き添うよ」
「授業、は……」
私は小日向さんを見て、手付かずの弁当を見て、それから次の授業が担任がうけもつ体育だった事を思い出してうなずいた。
「体育ぐらいサボっても大丈夫大丈夫」
そう、同級生が心配なだけ。決して弁当が食べたいだとか、体育館には行きたくないとかではないのだ。
彼女の手を引いて、クリームパンを買ってから保健室に移動する。
ここではおサボりの生徒は追い出されるのが普通だが、保健医である細田という先生は、怠惰を極めし教員だ。しょっちゅう煙草を吸いにどこかへ行く。今も席を外していて、保健室は無人だった。これで追い出される心配はなくなった。
「これはしばらく戻って来ないね。鍵開けっ放しでいいのかなこれ」
「鍵は閉めなきゃ駄目よね」
「ですよねー」
小日向さんをベッドに座らせ、私は椅子を持ってベッド脇に腰を落ちつかす。さあ、ご飯を食べよう。
「……巻き込んでしまって、ごめんなさい」
「ん、なにが?」
「さっきの」
「あーあはは、慣れてるからね……それよりさ、あれは何なの?」
小日向さんはキュッとジャンパースカートの裾にシワを作る。身をかすかに
「私ね、幼馴染がいたの」
「え? うん」
随分と顔色悪くつぶやくので怪訝に思う。その幼馴染が今回のあれと、何か関係があるのだろうか。
「その幼馴染はね、私とおねえちゃん……姉に良くしてくれてたの。小さい頃からどこに行くにも一緒で、親どうしも仲良し。将来はどっちかがお嫁さんになるだなんて言われていたわ」
ああ、よくわかる。私にも幼馴染がいるから、同じようなことをよく言われていた。本人たちはまったくそんな気ないが。
「私はその幼馴染を兄のように慕っていた。きっと両親や幼馴染の親からは、ぴったりくっついている様に見えていたんでしょう」
少しだけ柔らかくなった表情に彼女の幼馴染に対する親愛を感じとる。
幽霊の視えるひとはだいたい気味悪がられ、人が寄り付かない。それでも良くしてくれる人は貴重なのだ。そりゃあ兄のように慕いもするだろう。
小日向さんは上履きを脱ぎ、膝をたたんで抱きこんだ。その状態のまますこしだけ腕をさする。
「私、男のひとと良く喋れないわ。いっつもつんつんした態度で、かわいくない女なの。でも、姉は違う。美人で気立てが良くって、明るいの。彼はそんな姉に恋をした」
おっと、この流れはやばやばなんじゃないだろうか。
「姉と彼を取り合って今の状況とか……?」
「ううん、違うわ」
「なぁんだ、よかった」
今のいままで、死にかけたりした霊的現象には必ず色恋が関わっていた。もうフラグでしかないのだ。でも違うならまだ光はある。
「死んだのよ。幼馴染」
「は」
「姉が好きだったの」
「お、幼馴染さん、が?」
「そう」
いきなり死んだのよなんて言われたからちょっと、いやかなりびびった。
「幼馴染はね、じぶんの両親と私たちの両親に、大人になったらお嫁にもらうって宣言してたの。でも、私と姉どっちかは言わなかった。それで、告白する前に交通事故で死んだわ。私たちの両親はひどく落胆していた」
だんだんと弁当をつつく手が進まなくなる。空気が冷えて重苦しい。
「両親とも言うのよ。好きなひとに愛を告げることなく逝ってしまうなんて、悲しすぎるって。毎日ひどく泣くのよ」
丸まった小日向さんを見て胸が痛くなる。弁当食べてる場合じゃないなと思って蓋を閉めたら、彼女は「ところで」と言って話題を変えてきた。
「あの丘、小さな神社があるのはご存知?」
「ああー、知ってるけど」
学校から徒歩十五分程度の距離の丘には廃れた小さな神社がある。存在は小さな頃から知っていたが、何を祀っているのか、どんなご利益があるかはよく知らない。
「あすこね、元は縁結びの神社だったのよ」
「へえ、縁結びかぁ」
「絵馬にね、お互いの名前を書くの」
すると結ばれるのよと、年ごろの娘の話す内容にふさわしいものであるはずなのに、声のトーンにはずみが無かった。
今までの話の内容もあり、あまりにも不釣り合いな話に思えた。
「その神社がどうかしたの」
「書かれたの。私の名前」
「え、誰と?」
「幼馴染よ」
「死んだ?」
「死んだ」
オカルトにびたびたに浸った脳に、ある言葉がよぎった。普段どおり生きているなら、滅多に聞かないようなその言葉が、脳から口へ伝ってまろびでる。
「め、
生きたものと死んだものが結婚する事を『冥婚』と呼ぶ。霊婚だとか死後婚とも言われるそれは、日本では山形県のムサカリ絵馬が有名だろうか。
「なんか、あったよね。神社の絵馬に書く相手は、必ず架空の人物の名前でなければならないって決まり……」
「あら、詳しいのね」
白い顔で苦笑いする彼女の腕には鳥肌がたっていた。クーラーもついていないのに空気がひどく冷えていた。
「ほんとは普通の縁結びの神社だったのが、いつしか死んだ人のための縁結びの神社になった。もし生者の名前を書いたら、そのひとはあの世に連れていかれるの」
彼女は「あの人、相当お姉ちゃんが好きだったみたい」と小声で放った。執着心が異常だとも。
「両家の両親とも良かれと思ってやったのよ。私がよく引っ付いてたから、彼のいいひとは私って思ってたらしいわ。それで、あんまりにも気の毒だからって、彼と私の名前を絵馬に書いて、神社に吊した」
そうしてやってきたのがあの『葬列』。
葬列は死者が出てからやるものだ。しかし、あれは小日向さんを姉と勘違いしたまま連れて行こうとしている。
人を殺して、連れて行こうとしているのだ。そんなこと、許されるべきことじゃない。
「で、でも幼馴染さんが好きなのはお姉さんで小日向さんじゃないじゃん! なら連れて行かれるなんてこと、」
「ううん、名前書かれたらもうだめなの……もしも私を連れて行かなきゃ、代わりはおねえちゃんか――」
ス、と指さされる。
彼女の口が開いたその刹那だった。
保健室に凄まじい音が複数
――ドンッ
――バンッ
「あなたなの」
汗が一筋、重力に従って落ちていく。
音の片方は雷が落ちた音。もう片方はドアが叩かれた音。保険室のドア、すりガラスの向こう側に、べったり張り付く人影が見えた。
いる。来ている。こちらをみている。
「私が逝かなきゃ、別のひとが死んじゃうの。それはやだから。仕方のない事だから」
さよなら。そう残して彼女は保健室のドアを開けて出ていった。ドアの向こうには何もいなくて、ただ休み時間を告げるチャイムと体育館から帰ってきた生徒の雨に騒ぐ声を聞いていた。
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