第22話 母はかぐや姫「七月七日に」

 大島弓子の最高傑作。1976年、46年前の作品です。

 昭和十八年、日本は戦争中。主人公は十三歳の少女つづみ。父は他界し、若い後妻・浅葱を「母さま」と呼び仲良く暮らしている。しかし浅葱は、最近「かぐや姫のように泣く」。

 大島ファンなら、ここでピンとこなくては、と解説を読んでがっくり、全く気付かずでした。

 かぐや姫とは、帰らねばならない存在です。

 ネタバレで書き進めますが、それでも新たに読まれる方の感激が薄れることはないはず、それほどの名作です。


 結論から言います。浅葱母さまは、男性でした。

 つづみの父親が娘を残して他界した七月七日から、女装して、つづみを育ててきたのです。浅葱は十六歳でした。

 浅葱少年の思いが、今になって苦しいほど胸に迫るのです。

 つづみの父への思いに目覚めたとき、彼は既に既婚者、つづみも生まれていたかもしれない。存在にさえ気づいてくれない愛する人を、どんな思いで見つめてきたのか。


 母と穏やかな暮らしを続けたいという願いは突然、絶たれます。なぜ母は泣いたのか。帰らねばならない時が来たから。帰って義務を果たさねば、家の名誉が地に落ちます。浅葱は名家の男児でした。行方不明の孫息子を祖母は探し当て「変わり果てた姿」に

 衝撃を受けながらも帰ってほしいと。

 浅葱の背中を押したのは近所の青年、健太郎。浅葱に愛を告白し、召集令状が届いたことを告げる。

「あなたにならいます」

 浅葱は彼を受け入れます。ある夜、彼と同じ布団で眠ったようです。

 恋ではないでしょう、同じ日本男児として健太郎を見習い、出征していく覚悟を決めた、愛には違いないけど、やはり最後まで、つづみの父を慕っていたのでは。


 母さまがいない!

 夜の川辺で、づづみが見たのは。

 髪を切り、亡き父のシャツとズボンを身に付けた青年。そのまま彼は姿を消し、健太郎ともども、戦地から戻りませんでした。

 時代が違っていたら、浅葱と鼓は、仲良し母娘として生きていけたのだろうか。そんな簡単じゃないかな。でも戦争がなければ、召集令状が来なければ。

 どう考えても胸が苦しい。


「私は人間ではないのです。あなたのお父様を愛していても結ばれることは許されず。それでお父様が亡くなった時に人間に化けて」

 この告白を、つづみは「おとぎ話はもう通じない」と拒絶したけど、「人間」を「女」に置き換えたら、まぎれもない真実。そのことを思うと、ますます胸が痛くなります。

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