第17話 「鞍馬天狗」愛のレッスン

 父がうたいをやっていて、能には親しみがありました。中学生になった頃、テレビで舞台中継「鞍馬天狗」を見ました。

 源義経が幼い頃、鞍馬山の天狗に剣術を習った、という話ですが、能はそれだけでは終わらない。

 ラスト、夜明け。天狗が帰ろうとすると、牛若丸が袖を掴んで「行っちゃヤダ」な感じ。ドキッとしました。

 となりで見ていた父は、「行くなっていってるよ」と笑いました、子供だなあ、可愛いなあ、て感じの反応です。

 その時の私のいたたまれなさ、お察しくださいまし。


 お父さん、違うんです。

 天狗が牛若丸に教えたのは剣術だけじゃありません。その後で夜伽させたんです、いけないことまで教えちゃったんです。それで牛若は、はるか年上の彼氏との別れが辛くて!

 Wi,kiにも、

【大天狗と牛若丸との間の少年愛的な仄かな愛情を、華やかな前場と、山中での兵法相伝を行う後場の対比の中に描く。】

 とあります。ズバリ、少年愛を描いた作品、なのです。


 春の鞍馬山、僧が稚児たちを連れて花見にやってくる。その中にいた牛若丸は、山伏の一人と親しくなる。山伏は、実は自分は鞍馬山の大天狗だと明かして去る。

 翌日。

 鉢巻・薙刀を携えて牛若丸が待ち受けていると、大天狗が登場。牛若丸の自分を想う心のいじらしさに感じ入った大天狗は、兵法の奥義を牛若丸に相伝する。袖を取って別れを惜しむ牛若丸に、戦場での守護を約束して、大天狗は去る。 


 そういった筋ですが、「牛若丸の自分を想う心のいじらしさに感じ入った」て何ですか? 牛若丸は、兵法を学びたかっただけではない? 天狗は剣術以外の奥義も教えたんですよ、きっと。

 花見や少年愛要素は作者の独創らしい。作者は世阿弥ではないようです。

 花見ではきれいな装束の子役が数人登場、稚児ですからね。能楽師の子息の初舞台になることもあるとか。


 この演目の特異な点は、他の演者に触れていることです。牛若丸はただ、大天狗の袖に触っただけですが、これすら、他の演目では見られない。能舞台で他の演者に触れることは皆無、といっていいのでは。少なくとも私は思い浮かびません。だからこそ、白黒テレビの中で牛若丸が大天狗の袖に触れた(引っ張ったように感じました)シーンの衝撃は大きかったのです。

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