第13話 若さと美のはかなさ「男色」


「男色」、というきっぱりとしたタイトル。「だんじき」と読むそうです。厳しくストイックな響きがありますね。

 1969年発表の本作を手にしたのは数年後、大学生のときでした。「越前竹人形」などは既に読んでいたけど、あの水上勉先生がこんな題材を、と驚いたものです。


「私」が雅美を知ったのは彼が21歳の時。「女よりも美しい、雪のようになめらかな肌と澄んだ瞳」に「私」は魅せられる。博多でバーテンダーをしていた雅美はゲイバーに勤めを変え、そこで「私」は彼と親しくなります。

 筋をほとんど忘れていて、今回調べてみて、そうだったっけ、という感じ。ただ、「私」と雅美が抱き合って互いの体を温めあった、そんな場面だけは記憶にあります、「私」との関係はその程度で、特に濡れ場はなかったかと。「私」も若くはなかったですし。雅美は「先生」と呼んでいたかな。

 小説家・水上勉を語り手として物語は進んでいきます。

 雅美は姿を消す、精神的に不安定になったのだか、原因はよくわかりません。再会したときは25歳。元気そうだと「私」は安心しますが、雅美はまたもや行方知れずとなるのです。

 ラストで、「私」は読者に呼びかけます。

「誰か雅美を知らないだろうか。山陰の出身で、年は28歳のはずだ。」


「一ゲイボーイの薄幸の生を見つめて、人間の生きる哀しさを浮彫りにした名作。」

 ネットの解説は、そう結んでいます。

 今回、書くのがつらかったです。

 思い出すだけで切なくなる雅美。彼にとって時の流れほど残酷なものはないから。自分も年を取ってみて、改めてそれを痛感しています。

 21歳、雅美は人生で最も美しかったでしょう。25歳ならぎりぎり若さをキープできたかと。しかし、その先はダメ。

 28は、もうオッサンです。男がどんどん男っぽくなっていく時期。腕は太くなり、体に厚みが増し、大人の男になっていく一方なのです。中性っぽさというか、並みの男とは違う美を売りにする者には絶望的な変化。雅美はどうやってそれに耐えたのか。あるいは耐えきれずに?


「男色」は小説だし、雅美は水上さんの想像の産物、そう思いたい。もしかして実在の人物だとしたら悲しすぎます。若さと美のはかなさを、これほど痛切に感じさせた作品は他にありませんでした。

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