第5話

「先輩、大丈夫でした? また爆破があったんでしょ」

「うん、前回より妹の職場の近くだったらしい」

「妹さん何もなかった?」

「警察が集まって騒ぎにはなってたけど、怪我人はいないらしい」

「それは良かったですけど。気分が悪いですね」

「面白半分にしても狂ってるよな。妹は差別主義者が犯人だって信じて落ち込んでるしさ」

「それじゃ困るんだよなあ。先輩が開発室に戻れないからな。僕が犯人を捕まえて、僕が妹さんと結婚するしかないのかなあ」

「頑張って」

 食堂で同じ列に並んだ僕とマイキーは、それぞれ違う味のカレーを頼んでトレイを受け取り、適当な席に腰を下ろした。昼のピークを過ぎた食堂は混み合うわけでもなく、窓から澄んだ陽光が気持ちよく差し込んでいる。

「マイキーはもう選んだの? インタビューの候補者」

 尋ねると、頬をカレーライスで膨らませたマイキーは頷いた。

「青森のサイトウさんにします。先輩は?」

「山口のタチバナさん」

「え、意外」

「僕も」

「ただの寂しがり屋の変なおじいちゃんって印象でしたけど。あっ、わかった。山口にはユナさんのお父さんが住んでるからでしょ。点数稼ぎナイス」

「あのねえ……」そのことが一度も脳裏をかすめなかったかというと、かすめたけど。「いやほら、爆破事件のあとで資料を見てたら妙に気になってさ。タチバナさんって人口頭脳に人格は無いっていう完全否定派だったろ。そういうのってひょっとして、連続爆破の犯人とも似ている考え方なのかなって思ったんだ」

「ほほお。点数稼ぎにも、それなりの言い訳考えてきましたね」

「マイキーはどうしてサイトウさんなの」

「効率が良さそうだから。サイトウさんは大規模地殻変動期の記憶を伝える活動家ですからね。最初にサイトウさんにインタビューしておけば連鎖して色々な情報源にアクセス出来そう」

「マイキーらしいな」

「ユナさんは誰にするとか言ってました?」

「今の候補者は全員ユナが絞った人だから、そこから決まるなら誰でもいいらしいよ。今は別チームの検査の手伝いに行ってる」

「また検査かあ。ユナさんってよくあの刺激スパークに何十回も耐えられますよね。コツがあるのかな。共有できれば先輩も回数増やせるんじゃない?」

「慣れとか、我慢強いだけかも」

「ユナさんは体質的に拒絶反応が起きにくいとか、そういうのもあるかもですね」

「ユナは心がまっすぐだからな。僕は子供たちほど心が純粋じゃないから刺激スパークがキツい」

 マイキーは辛口カレーを手早く飲み込んだ。

「先輩が純粋かどうかは関係ないでしょ」

「本気で言ってないよ……」

 僕はカレーとセットになっているサラダをスプーンで突っつき、小さなトマトを口に入れた。思ったよりも強い酸味がプシッと弾ける。

「調整が出来たらいいんだけどな」僕は言った。「記憶の再生はしたい。でも技師の負担は重すぎないほうがいい。ちょうどいい出力レベルに調整したい。再生にコツもあるのかもしれないけど、機器側での調整も出来ると思うんだ」

「全体のトーンを抑えて、情報が薄くならないようにメリハリつけて再生するとかですかね。ちょうどそんな話題が開発室でも出てます」

「そっか」

 少し寂しい気もするが、遠い話だ。僕はもう離れたんだから。

「ちょっとやってみようかな。先輩は引き続き、ユナさんの気を引いててください」

「あのねえ」

「ほら冗談じゃなくて、技を盗むんですよ。今回のインタビュー中にでも何か盗むポイントあるかもしれないでしょ。うまい具合にやるっていうのが、どんな具合なのか知りたいんですよね。インタビュー中にユナさんと先輩の脳を 耳にかける通話装置 イヤーフックでスキャンしても良いかもしれない、新しいセンサーの試作品が明後日届くんですけど、あ、そういえばそれはあっちに使うんだっけ」

 ぶつぶつ言いだしたマイキーを放って、僕は皿に残ったカレーを見つめた。

「上手い具合か……」僕は首を傾けた。「うまい距離感でインタビュー出来なきゃ、ストレスを感じて下手したらキレて喧嘩して終わりだな」

「だからそれが」

 マイキーは僕を見据えたまま、カレーの最後のひとすくいをモグモグとやり、それをごくりと飲み込んでから、空中で右手をパッと上向きに開いた。

「ボン! 爆発スパークでしょ」

 

 ハルを中心に丸いテーブルを囲み、ユナ、僕、マイキーが座る。何事も手際の良いユナは、すぐにハルに向かって話し始めた。

「マイキーは開発室を離れられないので、横浜研究所からサイトウさんのインタビューを担当します。コウキは山口のタチバナさんを訪問、私は双方のサポートをします」

「計画概要は読ませてもらった。準備段階ではユナの計画通りに進めよう。私から異論はないが、一点気になっている」

「なんでしょう」

「行き先が山口だが、ユナは休みをとらないのかな。何日かを休日にしてお父さんに会いに行くといい」

「えっ」ユナは肩が持ち上がるほど大きく息を吸い込んでから、「でも、いいんですか」と小さく言った。

「当然だ。ユナはいつもよく働いてくれている。最近は休みも少なかったようだし、良い機会だから是非そうしてほしい。コウキも少し休んで地表を案内してもらったらどうだ。地表は初めてなんだろう?」

 ユナは頬を持ち上げて、顔いっぱいの、いや全身いっぱいの笑顔になった。

「コウキ、熱帯雨林なんて歩いたことないでしょ」

「ないよ」

「植物も動物もいるし食べ物も美味しいよ。海水浴も出来るよ。行こう!」

「先輩、良かったですね」

 マイキーが嫌な目をしてニヤニヤしている。こいつは。

「でも僕は」

 言いかけた言葉を、ハルが僕に向かって片手をサッと向けて止めた。

「ジュリが心配だろう。出張中は私も、菜の花の家のことを特に気にかけておこう。ジュリを気に掛ける人物もこれから派遣するつもりだった。心配するなとは言わないが、コウキも久しぶりに少し自宅を離れてみても良い頃だ。コウキの見聞が広がればジュリの人生もきっと豊かになる。地表に行って、後でジュリにその経験を話してやるといい」

 そう言われてしまうと黙るしかない。そもそも仕事だし。

 ハルは続けた。

「ユナが持つ想像力や発想力には、彼女が地表と上空都市をどちらも知っていることにヒントがあると私は思うんだ。今回対象となるサイトウさんのいる東北にも、タチバナさんのいる山口南部にも昔の防波領が残っているが、その醸成にも大勢のバイオアーツ職員が関わった。きっと実りがあるだろうという姿勢で、色々とよく見聞きしてきてくれ」

 歴史に自信がなかった僕は「防波領か」と曖昧に応じ、手元で定義を調べた。

 

「防波領(ぼうはりょう)とは、人家のある内陸地域に大規模地殻変動による津波や有害音波が到達しないように、海岸に廃棄物や火山灰などを大量に積み上げて人口的に造成された緩衝用の埋立地のこと。一部は、地殻変動期に海底に水没した沿岸都市の上に形成されている。

 大規模地殻変動期には日本国内に多くの防波領が醸成されたが、後に有害物質(ダンティアキシトリン)の地表滞留がはじまり、濃度が特に高くなった低地にあった防波領の大半が立ち入り禁止区域となった」

 

 その日の帰路、更に僕は「山口防波領やまぐちぼうはりょう ―悔恨かいこん傷痕きずあと―」という昔のドキュメンタリー番組を見つけた。夕飯の支度をしながら見ておけば予習になるかなと、キッチン前の壁に番組を映し出す。

 僕たちが生まれるよりもずっと前、地球全体で地震、津波、火山の噴火、海面上昇が長く続き、日本でも富士山が二度噴火、沿岸部は数年かけて水没していった。都市は高層、中空、上空ドームへと、どんどん高度を上げて移設されていく。

 現代人なら誰でもきっと、「沿岸部はすぐに放棄すべきだった」と言えるだろう。でも当時は誰もが、海面上昇は2~3年で終わると信じていたらしい。故郷の復興を信じた山口沿岸部の人たちは死傷者を出し続けながら、なんと十年間も水没した故郷を保護するために戦い続けた。

 日本の防波領ぼうはりょうは、有害な音波と海水を遮る板を海底に縦に落として壁を作り、その内側を土砂や廃棄物で埋め立てるという実験計画だった。これが上手くいっていれば称賛されたんだろうな。でも実際には、すぐに地表に有害物質ダンティアキシトリンが滞留しはじめて、低地で人が暮らし続けることは不可能になったわけだ。当然、現地の人々は防波領ぼうはりょうの放棄を迫られることになった。

 番組内のインタビューには当時指導的な立場にあったという小柄な老人が現れ、涙を浮かべて悲しそうに当時のことを語っていた。

「あれ(山口防波領)はね、後悔のかたまりなんですよ。もっと早く、あきらめようと決断していればね。もっと早く、放棄を決定していれば。そうすればもっと多くの命が、あと一人でも多くの人が、助かったんじゃないかってね。今でもずっと、そう考えるんですよ」

 ナレーションは淡々と、事実だけを語る。

「津波や有害音波がいつ収束するのか、情報も無く、予測も難しい中での決断でした。田中さんは当時の日記に、こう記しています。『たったひとつでも可能性があるなら、それに賭けたい』……。そしてこの日、山口防波領の建築を続ける決断が下されたのです。ここから更に5年間、山口では戻ることの出来ない戦いが続いていきました」

 勇気のある人が地表に残り、命を削って守った防波領ぼうはりょうは今も砂の下の町の上に静かに横たわっている。

 

 番組の再生を終えた時、僕の調理をする手は止まっていた。

 僕がこの時代に山口の沿岸部で暮らしていたら、水没する故郷にどう向き合っていたかな。水没した町に火山灰を積み重ねて、有害物質が出てきてもまだ灰を積み重ねて。いつかこの灰の下から街を掘り起こしてまた暮らそうと、そんな夢を見て頑張っていたんだろうか。地元の仲間たちと励ましあったかな。そんな夢に税金をつぎ込んで、広くて大きな海と十年間も戦えただろうか。それとも諦めて上層都市へ引っ越して、故郷の人たちを羨ましいような悲しいような気持ちで見守ったんだろうか。

 そしてその後の人生を、僕はどんな気持ちで生きただろう。

 今の僕の気分は、当時の彼らの気分と、多少は似ているんだろうか。


 現在の山口防波領はその当時の痕跡の一部で、九州に近い山の上から北へ向って3キロと、山口の南岸を東西に5キロ、2ヶ所でその姿を見ることが出来る。

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