第11話「またね」
「ふあぁぁ……」
朝日が登り始めた頃。喫茶店マフィウス寝室。
大きなあくびをして目覚めたナナ。髪がボサボサになっており、起きてすぐ自分が寝落ちしていたことに気づく。
「えっと……昨日は確か……ん?」
腰のあたりに違和感を覚え、何事かと布団をめくってみる。何やら暖かさを感じていた。
「あ……シャルちゃん」
そこにはシャルが、小さく寝息を立てて眠っていた。ナナに抱きつくその姿はまるで赤ん坊のようだ。
「おーい、おはよー」
「ぁぅ……」
「ありゃ……」
抱きついたまま起きる気配がない。身長も相まって、カレンにそっくりだとナナは思った。
「ふふ、師匠みたい……」
「私がなんだって?」
「──わっ!」
唐突に声をかけられ、ベッドから転げ落ちそうになるナナ。その衝撃にシャルがビクッとして目を開く。
「あら」
「し、師匠、いつから?」
「ずっと見てたよ。いやぁ、やっぱり仲良くなれそうで良かった良かった」
そう言ってクスクス笑うカレンは、部屋の隅にある椅子に座っていた。分厚い辞書のような本を読んでおり、しばらくここにいたのだとナナは理解する。
「ふう……おはよ、ナナ」
「ぅ……おはようございます」
笑顔のカレンに対し、ナナはへこんだ表情だ。
そんな二人の間で、シャルが小さくあくびをした。
日が昇り、街に喧騒が戻ってきた頃。
「もう出るのか」
「うん」
カレンはカウンターに座り、マスターと話しながら朝食を取っていた。店内には誰もおらず、灯りがない代わりに朝日が差し込んでいる。
山のように盛られた枝豆を口に運んでいくカレンに、マスターは相変わらず困惑の表情を向けていた。
「お前いつもつまみだけ食ってんな」
「私は栄養とか、あんまり気にしなくて良いからね。最近のブームは塩辛だよ」
「アレお前のせいかよ」
昨晩、ナナが嬉々として、クラーケンの塩辛に食いついていたことを思い出すマスター。他にも様々な影響を受けて育っていることだろう。少しだけナナが心配になってきたマスターだった。
ふとカレンは、思い当たった事があってマスターを見上げる。
「ああ、そういやシャルの事だけど」
「……ああ」
マスターは動きを止め、カレンの言葉に耳を傾ける。その表情からは何も感じられなかった。ただ静かに答えを待っている。
「ごめんね、連れては行けないや」
その言葉に、マスターは一瞬目を見開いて反応する。
しかしすぐに表情を戻し、分かっていたというふうに声を漏らした。
「だろうな」
「うん。
「……ああ」
カレンは淡々と語りつつ、上目遣いでマスターの表情を捉える。先程までとさほど変わりはなかった。普通なら見分けがつかないほどに。
ただそれでも、どこか寂しそうだとカレンは思った。
「おはよーございまーす!」
喫茶店内に明るい声が響き渡る。
寝室の方からナナが、声を張り上げて元気よく飛び出してきた。後ろからはシャルが、瞼を擦りながらトボトボと現れる。二人の様子は対照的だ。
「あ、おはよー。ナナ、昨日話した通り、もうすぐしたら出発するよ」
「えぇ、もうですか……。もうちょっと居たいです~」
明るかった表情を崩し、へなへなと駄々をこねるナナ。
そしてその後ろを見て、カレンは少しだけ驚いた。
瞳孔が開き、固まっている。
普段の姿からは考えられないほど、はっきりと動揺しているシャルの姿があったのだ。
(お、いいね)
カレンは椅子から飛び降りると(地面に足がついていなかった)、ナナの方へ歩いていく。
「じゃ、朝ごはん食べて。今日は枝豆の日だよ」
「わーい、いただきまーす!」
「枝豆だけ食わせるのか……」
アインザース王国北門。城壁内側。
「ハンカチ持った? ティッシュとか、ちゃんと確認したかな?」
「はい、バッチリです師匠! あ、おやつ、おやつはどこに……?」
「ふっふー、既に私の懐にね……」
(遠足か?)
出発を前にバタバタとしている二人を、マスターは目を細めて眺めていた。これから国を跨いで移動し、帝国から逃亡しようとしているのが信じられない。
ふと、背後に気配を感じて振り返る。
「どうした、シャル」
「ううん」
マスターの問いを、シャルは小さく首を振って否定する。何を否定したのか、マスターはなんとなく分かった気がした。
シャルがジッと、ナナたちを見つめていたからだ。
なにか思うことがあったのか、マスターはシャルの頭をポンと叩く。
そして聞いた。
「言わなくていいのか」
「うん。いい」
シャルはやはり、表情を変えることはなかった。
それに対し、マスターは何も言わない。
「じゃあ出発するよ、マスター。世話になったね」
「お世話になりました、おじさん!」
軽く手を振っているカレンに対し、ペコリと頭を下げているナナ。カレンのもとで育っているにしては、利口がすぎるとマスターは思う。カレンに影響されて、怠け者が出来上がっていても不思議ではなかった。
「シャルちゃんも!」
ナナが飛びついてきて、シャルは僅かに目を見開いた。しかしすぐに無表情を取り戻し、笑顔を見せているナナを見上げた。
「一緒にお話できて楽しかったよ、ありがとう!」
「うん」
笑って礼を言うナナ。
シャルはいつものように淡々と返事をする。
しかし、その時は違った。
「…………あの」
「ん、なになに?」
一瞬押し黙ったかに思えたが、シャルは絞り出すように声を発した。ナナは笑顔のまま聞き返す。
それを見ていたマスターは、僅かに口角を上げた。
「……また、来る?」
「うん! 今度はもっと遊ぼう!」
「……うん。またね」
一見すれば、なんでもない光景だ。
ただ、シャルの表情は動いていた。
とても些細な変化ではあるが。
それでも彼女は笑っていたのだ。
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