第10話「全てをかけて」

 「眠い……」


 しぼんだ目をこするナナ。

時計の針は10時を回っていた。普段なら寝ていたり起きていたりだが、前日は儀式前だったこともあって寝付けなかったのだ。


 「もう寝ようか。私はさっきまで寝てたからもう少し起きてることにするよ。マスター、部屋空いてる?」


 「いや、寝室は全部……ああ、シャルの部屋が空いてるな。シャル、いいか?」


 「うん」


 ナナと同様いつの間にか起きていたシャルが、寝ぼけ眼で返事をする。

ナナはシャルの手を取ると、笑顔で挨拶した。


 「よろしくね、シャルちゃん」


 「うん」


 感情がいっさい感じられない返答。だがナナがそれを気にすることはない。

トコトコと店内の奥にある扉に歩いていくシャルを、ナナはスキップで追いかけていった。


 「元気だな」


 「ずっとああだよ、ナナは。……じゃ、話そうか」


 カレンはそう言ってマスターを見上げる。

まるで親子のような外観の二人。


 「これからのことを」





 「ここ」


 「わあ……!」


 シャルに連れられて、ナナは喫茶店マフィウスの奥までやってきていた。

構造はまるで宿屋のようで、部屋がいくつも並んでいる。その中の一角に案内され、ドアを開いた先は……


 「宿屋さんみたい! ベッドおっきい!」


 「……」


 子供らしくはしゃぐナナを、シャルは押し黙って眺めていた。ナナの勢いに気おされているようにも見える。

部屋の中はそれこそ宿屋、それも大きなものだった。ベッドは大きいものが一つ、明かりや装飾など、華美なものがたくさんある。数百冊は入っていそうな本棚もあった。


 「急にごめんね、一緒の部屋になっちゃって。嫌じゃなかったかな?」


 「いい。大丈夫」


 「そっかぁ、ありがと!」


 ナナは笑顔で心から礼を言う。

シャルは相変わらず表情がないものの、わずかに困惑しているようにも見えた。


 「……あの」


 「ん? なになに?」


 声をかけたシャルに、ナナはどこまでも笑顔で答える。

シャルは一瞬間を空けたが、やがて小さな声で話し出した。


 「なんて呼べば、いい?」


 「────な」


 ナナは少し驚いて、シャルをまじまじと見つめる。

シャルは先程まで、感情が全く読み取れなかった。表情もなければ声に抑揚もなく、人形が動いていている、と言われても違和感がないほどだったのだ。


無表情は今も変わらない。

それでもその瞳からは輝きが、こちらへの興味が感じられる。


 「ナナ、ナナって呼んで! あ、ナナお姉ちゃんとかでもいいよ!」


 「分かった。ナナ」


 「うん!」


 お姉ちゃんはつけてくれなかったが、それでもシャルは名を呼んでくれた。ナナは改めてシャルをよく観察する。

最初に会ったとき、ナナはこの子を静かな子だと思った。口数が少なく、誰とも会話をしていなかったからだ。その感想は今も変わらない。


だが口数が少なくても、誰とも会話をしていなかったとしても、それでその子が会話嫌いということにはならない。

ただ、苦手なだけだ。

経験がないだけだ。


 「私、魔導帝国から来たの! シャルちゃんはこの国で育ったの?」


 「うん。ここがお家」


 「そうなんだね! 私この辺初めて来たんだ。ここってどんな国なのかな?」


 「……えっと、ここは空竜指定区で、時々ドラゴンが通ったり……」


 夜が更けていく。

それでも会話は続いていた。

眠いだとか、話したくないだとか。シャルがどう思っていたか、ナナには分からなかったが。

それでも。


 「ドラゴン!? スゴい、私見たことないよ! わぁー、見てみたいなー!」


 「……うん」


シャルは小さく笑顔を浮かべる。


それでも、嫌ではなかったようだ。





 「マスター、スケルトンウィスキーある?」


 「98.2%ならあるぞ」


 「いやアルコールじゃん。……じゃあいつもので」


 マスターが出してきたアルコールにツッコミを入れながら、カレンはウィスキーを注文していた。さすがのカレンもアルコールをそのまま飲みたくはないようだ。

そして出てきた煮えたぎるワインを、カップに注いで口をつける。


 「うん、美味しい。やっぱマグマワインが安定だよね」


 「お前以外に売れたことねえけどな……さて」


 そう言ってマスターは席につき、葉巻を加えながらカレンに尋ねる。

その顔はどこか険しかった。


 「商談の続きだが……とりあえず手に入った情報からだ。お前特別執行指定に仮登録されたらしいぞ」


 「えー、早くない? 円卓会まだでしょ……あ、だから仮なのか」


 怪訝そうな表情で、ブツブツと呟いているカレン。マスターはそれを眺めながら、さほど気にしていなそうに続ける。


 「次にお前らの捜索状況について。帝国全域と王国、北方山岳地帯、絶海領域手前まで進んでいる」


 「うーん、きついね……こりゃ明日か明後日には出発しないといけないかも。どっちから行くかなぁ」


 言動の割には落ち着いている様子のカレン。マグマワインに手を付けながら、クラーケンの塩辛をつまんでいる。

その様子を見ていたマスターが、困惑した表情で呟いた。


 「お前、どこまで逃げる気だ?」


 「ん?」


 唐突に問われ、目を丸くしているカレン。

マスターはそれを気に留めることなく、険しい表情で話を続ける。


 「魔導教会はお前たちを追い続ける。ナナを生贄にするために、アイツらは犠牲を厭わない」


 「そうだね」


 カレンは当然、といった表情だ。そんなことは承知だと、とっくに分かっているといわんばかりだ。


 「分かっているのか?」


 「ああ、分かっている。分かっているとも」


 その顔には笑顔が浮かんでいた。

自信と余裕と、そして確信を伺わせる表情。


 「分かっていて私は、全てを敵に回したんだよ」


 「……そうか」


 「ああ」


 例えそれが愚かな道でも。


 「私は全てをかけて、ナナを選んだんだ」

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