第一章終話「旅立ち」
アインザース王国北門、城壁外側。
「妖精帝国?」
「うん」
首をかしげるナナに、カレンは笑顔で頷いた。
マスターたちと別れ、門を抜けて王国から出てきた二人。昨日出会った門番の人に挨拶をして、今は芝生が生い茂る草原の中に佇んでいる。空は雲一つなく澄み渡っており、心地よい風が吹きつけていた。
カレンは指を立てて語りだす。
「とりあえず当面の目標は、南方にある妖精帝国に辿り着くことだ。あそこは鎖国、というか……つまり、ほかの国との付き合いがほとんどなくてね」
「……あ、つまりそこへ行けば、魔導教会も手を出しづらいって事ですか!」
「正解。ナナ・クラディウスに10ポイント」
「ヤッター!」
両手を広げて喜んでいるナナ。
カレンはそんなナナに微笑みながら、辺りをキョロキョロと見回している。まるで探しものでもあるかのようだった。
それに気づいたナナが再び首を傾げている。
「師匠師匠、なにか探してるんですか?」
「ちょっと竜車をね」
「リュウシャ……?」
ますます困惑している様子のナナ。カレンは、そういえば乗せたことなかったな、と思い出す。
「馬車の凄いやつ、みたいなもんだよ。妖精帝国はちょー遠いからね」
「なるほど……ん、でも師匠。そのスゴい馬車って、師匠が飛ぶのより速いんですか? 師匠はメッチャメチャ速いです」
ナナは先日魔導帝国から逃げてきた時、カレンに連れられて高速飛行した事を思い出す。あの時は動揺していてそれどころではなかったが、よく考えてみればアレは凄まじい速度だった。
しかし、カレンはわずかに眉をひそめて言う。
「うーん、アレはちょっと危ないんだよね……見つかりやすいから」
「あぁ……確かに、飛んだら目立っちゃいますね」
「いや、そういうことじゃ……」
苦笑いを浮かべ、カレンは踵を返して振り返る。そしてそのまま片手を上げると、指先に力を入れて指を鳴らした。ナナは連られて視線を上に向ける。
「────わあぁ!」
そこにいたソレに、ナナは目を見開いて歓喜の声を上げた。
大地に降り立とうとする蒼の巨体。
それを包み込まんとする閉じかけた翼。
煮えたぎるほど真っ赤に光る瞳。
「ドラゴンだぁー!」
「お、デカイデカイ。蒼炎竜かぁ、これならそんなに時間かかんないかな」
そう言ってカレンは、地面に降り立ったドラゴンに近づいていく。
30メートルを超える巨体だった。青く輝く四肢のあちこちに蒼炎が燃えさかっており、そこにいるだけで周囲の空気を熱している。
ドラゴンはカレンに気がづくと、ゴツゴツとした瞼を閉じて頭を下げた。
「わ、師匠! お辞儀です、お辞儀してますよ! 私も私も……」
嬉々としてドラゴンに近づいていくナナ。両膝と両手をついて地面に這いつくばり、ドラゴンと同じように頭を下げる。
これはお辞儀というより……
「いや土下座じゃん。……ほらおいで。この子に乗って行くんだよ」
「えぇ、乗れちゃうんですか!」
ナナは勢いよく飛び上がり、呼んでいるカレンの方へ走って行く。
カレンはドラゴンの手足の所から、既に背中へ飛び乗っているところだった。ナナも同じようにジャンプして飛び乗り、ゴツゴツとした背中に足をかけて上っていく。
「──わあ、馬に乗るときのやつみたいですね!」
「鞍だね。まあこんなでかい鞍ないけど」
まさに馬についている鞍のように、ドラゴンの背には革製の乗席スペースがあった。ただし馬とは違い、この巨竜の背はとても広い。数人が寝転がれるほどだ。
ふと、ナナはあることに気づき、カレンに尋ねる。
「あれ、でもこれ、師匠が飛ぶよりも目立っちゃうんじゃ……?」
「だからそういう意味じゃないんだけど……まぁいっか。とりあえず、これなら見つかる心配ないよ」
「ほえー……」
理解したようなしていないような、曖昧な声を上げるナナ。
カレンはドラゴンの頭部付近まで歩いていくと、少し声を張り上げて話す。
「南の妖精帝国辺り……の手前の、共和国の所までお願い!」
虚空へ話しかけるカレン。
するとそれに呼応するように、ドラゴンが軽く頭を下げた。それと同時に双翼を大きく広げ始める。
「え、えっ! 言葉が分かるんですか!?」
「うん。ドラゴンは賢いよ。たまに念話で会話してる子もいるしね」
「ええぇ、ドラゴン凄い、凄いです!……って、わぁ!」
飛び跳ねるようにはしゃいでいると、地震でも起きたかのように足元が揺れる。
ドラゴンが飛び立とうとしているのだ。
広げた翼を大きく羽ばたかせ、あちこちに灯っている蒼炎が揺らめきだす。図体に比べて小さな足が地を踏みしめ、頭を下げて体制を低くする。
「さあ出発だ。始まるよ、私たちの旅が」
「はい、師匠!」
ここから始まる。
これが私の
魔法使いと少女の旅だ。
夜。
喫茶店マフィウス店内。
「どうした、シャル」
声をかけるマスターに、シャルは踵を返して振り返る。
誰もいない店内で、シャルはいつものようにカウンターに座っていた。マスターは机拭きや瓶の片付けなど、店じまいを進めている。
「ううん、なにも」
「そうか……しばらくしたらまた会える。気楽に待てばいい」
「……うん」
マスターの言葉に一瞬ビクッとするが、すぐにいつもの調子で返事を返すシャル。どうやらマスターには考えを読まれているらしい。
また一人になって、落ち込んでいることを。
たった一日、一緒にいただけだった。
寝る前に少し話して、一緒に寝て、食事して。
ただそれだけ。
家族や友人とは程遠い関係。
それでもシャルは、それが嬉しかったのだ。
「……ありがとう」
ポツリと、小さく言葉を落とすシャル。
マスターはわずかに微笑むと、今までにないほどやさしい声で返す。
「ああ…………あ?」
ふと、マスターの動きが止まる。
それに呼応するかのように、シャルが突如椅子から飛び降りた。
そして踵を返すと、暗い窓の外を凝視する。
マスターは掃除用具を放ると、煩わしそうな表情で呟いた。
「来たか……危なかったな」
そう呟いた瞬間。
パリンと硬質な音を立てて、店中の窓ガラスが派手に割れる。
そしてその窓から、大勢の何者かが入ってきた。
「ちっ……散らかしやがって」
「そこを動くな!」
実に20人以上。
店外の影を見るに、総勢50人はいることだろう。その全てが黒いキャソックを身に纏い、こちらに対して攻撃的な姿勢を見せている。両の手をこちらへ向けているもの、謎の武器を構えているもの。
神官と思しき格好に武装、こちらへの態度。ほかに考えられない。
「魔導教会か」
「そうだ! ここに特別執行指定、カレン・クラディウスの目撃が報告されている!」
「……まあ、だよな」
神官たちのうち先頭に立つ男が、こちらに片手を向けて吠えていた。マスターは頭を掻きながら、目の前に立ち尽くしているシャルを見下ろす。
シャルは一切の動揺を見せていなかった。先ほどまでと同様、人形のように無表情を浮かべたままだ。しかしその目は、目の前の神官たちを見つめている。
「……シャル、やれるか」
「うん」
マスターに返事をすると、シャルは前へと歩を進める。
その小さな足で、トボトボと神官たちに近づいていく。
「動くなといっただろう! 子供であろうと容赦は────あ、あ?」
先頭の男は、突如として吠えるのをやめた。
異常に気付いたからだ。
「あ、う、うで! 腕があ、あぁ!」
腕がない。
先ほどまでマスターたちに向けていた、右手の肘関節から先がない。
ギロチンで切り落としたかのように、綺麗に腕がなくなっている。一瞬のことだったため、先頭の神官は対応が遅れた。
周囲の神官たちがどよめく中──
「動かないで」
「ひ、ヒィ! や、やめ──!」
シャルは呟くようにそう言うと、どこからか取り出した剣を振りかざす。シャルの身の丈を超えるほど細長い剣。
神官の抵抗もむなしく、その剣が振り下ろされる。
輝く月夜に支配された夜。
血しぶきと共に、憐れな悲鳴が響き渡った。
これにて第一章「旅立ち編」は終了です。
次回から第二章「選定試験編」が始まります。
ここまでご愛読いただきまして、ありがとうございました。
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