第4話「アインザース王国」
日はとうに落ち、星がきらめき出した頃。
「師匠、師匠」
「ふにゃぁ……」
揺さぶる。
肩を掴み、ゆさゆさとその小さな身体を揺さぶる。長い黒髪がふらりとゆれた。
しかし、起きない。
「師匠、もう着きましたよ」
「まだ……眠い……」
瞼を半開きにして、焦点の合わない目でどこかを見つめているカレン。ナナは困り顔で笑っていた。
「す、すみませんおじいさん。すぐ起こします」
「いやいや、構わないよ」
平謝りするナナを、老人は笑顔で許す。
時は夜。
目的地に到着した馬車の荷台で、カレンはぐっすりと眠りこけていた。先程からナナがゆすって起こそうとしているが、いっこうに起きる気配がない。
いや、意識はあるが、起き上がろうとしない、というのが正しい。
「ナナ……おんぶして……」
「もう、しょうがないなぁ」
まるで子供のように(というかもはや子供である)甘えるカレンを、ナナはゆっくりと背負う。
「おじいさん、ここまでありがとうございました」
「こちらこそ楽しかったよ。それでは」
そう言って馬車を走らせていった老人に、ナナはカレンを背負ったまま何度もお辞儀をする。
それから踵を返して振り返り、目の前の何かを見上げた。
「それで……ここ、どこ?」
城壁。
巨大な城壁が、ナナの目の前に立ち塞がっていた。恐らく30メートルはあるだろう。
そんな城壁が左右にどこまでも続いており、日が落ちて明かりが少ないこともあって、全容を見渡すことはできなかった。
「師匠、ここどこなんですか?」
「むにゃ……王国……」
「王国?」
「うん……アインザース王国……」
ふにゃふにゃとした口調のカレン。
城壁を見渡していると、門らしきものがあることに気づいた。明かりが灯っていることも確認できる。
「あそこかな……」
ナナはカレンを背負い直すと、城壁の門に近づいていく。ふと、明かりの下に人影が見えた。
「あの、すみません」
「ん、いらっしゃい。王国民……いや、旅人かな?」
人影は簡易的な鎧をまとった男だった。どうやら門番のようで、ナナは対応が分からず慌ててしまう。
「え、えっと……師匠、どうすれば……」
「これ……」
カレンはほとんど眠ったまま、ふところから一枚のカードのような物を取り出した。茶色く汚れていて、年代物だとひと目で分かる。
「ああ、学院の方か。どうぞ、お通りください」
「あ、は、はいっ、ありがとうございますっ」
よく分からないまま礼をすると、ナナは開いた門へ駆けていく。
分厚い城壁のトンネルをくぐり抜け、視界が開けた先は──
「わぁ……」
そこは住宅街だった。
石造りの民家が列をなして並んでいる。時刻は既に8時を回っているが、街は驚くほど明るかった。あちこちにある街頭や民家の証明が夜闇を照らしている。
「師匠、師匠。師匠の知り合いさんのところに行くんですよね?」
「うん……でっかい塔のところまで、お願い……」
「塔……お、あれかな」
街を見渡していると、街ハズレの森林らしき場所のそばに塔が見える。まさに塔、といった外観の建造物で、歩けば数分で辿り着きそうだ。
「じゃあ、あの塔まで行きますね」
「ありがと……ナナ……」
礼を述べるカレンに、ナナは「ふふっ」と笑みをこぼして歩き出す。街路に足を踏み入れ、森林のそばの塔へ一直線に向かっていく。
「夜なのに明るいなあ……」
あちこちに灯る街灯を見て、ナナは感じたことを率直に呟く。
ナナが暮らしていた魔導帝国首都ハイゼルでは、夜にこれほどの明かりがついていたことはない。もちろん街灯りはあったのだが、この国はまるで祭りでも行われているかのような明るさだ。
しかし、人はほとんど見当たらない。
「よぉ、お嬢ちゃん。へへっ」
「へ……は、はい?」
唐突に背後から声をかけられ、慌てて勢いよく振り返る。この時自分が逃亡中の身であることは失念していた。
声をかけてきたのは、荒くれた一人の男だった。剣や弓などで武装しており、荒々しい雰囲気が見て取れる。
「な、なんでしょう……ハッ」
(やば──見つかっちゃった──!?)
ナナの背筋に悪寒が走る。
帝国の人間に見つかってしまったのか。そもそも、帝国の魔の手がここまで行き渡っていないとは限らない。既に情報がここまで広がっていたとしてもおかしくはない。
「お嬢ちゃんよぉ、こんな時間に姉妹で二人きりってことはよぉ、家出でもしてんのかぁ?」
となれば、今すぐ逃げなければならない。
しかし、この男から逃げることができるだろうか。きっとナナの力だけでは難しいだろう。カレンを起こさなければならない。
「しゃあねえなぁ。役所まで連れてってやるから、大人しくついて──って、ありゃ」
荒くれた男が顔を上げると、そこにナナの姿はもうなかった。どうやら路地裏に逃げ込んでしまったらしい。男は一人取り残されてしまった。
「逃げられちまったか……大丈夫かねあの子……」
「ぜぇ……はぁ……」
路地裏に逃げ込んだナナは、乱れた呼吸を整えるため深呼吸する。心臓の音がうるさく鳴り響いていて、自分でも自分が焦っているのがわかった。
「か、顔見られちゃったよね……どうしよ……ばれちゃったかな……」
もしバレていれば、すぐにでも追手がやってくるだろう。その可能性が、不安を、恐怖を呼び起こす。
このままでは捕まってしまう。
(そうなったら、私が生け贄になった後……)
カレンが殺される。
生け贄を連れ去った大罪人として、カレンは処刑されてしまう。
(師匠まで、師匠まで殺されちゃう──そんなの嫌──!)
「あの」
「ひ、へっ?」
背後から唐突に声をかけられ、素っ頓狂な声を上げてしまう。
振り返ると、そこにその子は立っていた。
金色の髪は街灯りに照らされて輝いている。ソレとは対照的に、退廃的な雰囲気を纏う少女だった。ナナと同い年か、それとも年下なのか、身長はナナより僅かに低い。カレンとさほど変わらないだろう。
整った顔つきに加え表情がないことも相まって、まるで人形のような少女だ。
「こっち。ついてきて」
「へ? こ、こっち?」
少女は路地裏のさらに奥を指さし、そのままナナを置いて歩き出してしまった。辺りは街灯ばかりで明るかったが、少女が行ってしまった路地裏は少しばかり灯が少ない。他に人影は見当たらなかった。
(つ、ついてって大丈夫かな……? でもここに留まっていたら、追っ手が来るかもしれないし……よ、よしっ)
若干の不安を抱きつつも、ナナは少女の影を追いかける。
街灯が照らす夜。
本当にまぶしい街だ。
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