第2話「還神祭」
花火が上がる。
街に活気が溢れている。
いや、首都ハイゼルだけではなく、この魔導帝国全域が燃えている。
「すご……」
ナナはボーッと、口を開けて立ち尽くしていた。普段とは見違える街並みから目が離せない。
「見てみてアイリーン、フレッド……」
「見てるよナナ」
「……」
笑って返すアイリーンに、黙ったままのフレッド。昨日と態度はあまり変わらない。
還神祭当日。
時計の針は10時を指している。ナナはアイリーンとフレッドを連れて、昨日の大広間にやって来ていた。もうすぐお別れということで、最後の時を一緒に過ごしていている。
「ナナちゃん、カレンさんはどうしたの? いつも一緒なのに」
「師匠はもう、聖堂の中にいるんだって。私が生贄だから、関係者として呼ばれたって言ってた」
そう言ってナナは、大広間の奥に位置するグレゴリオ大聖堂を指差す。この魔導帝国首都ハイゼルにおいて、最も巨大で神聖な建造物。魔導教会の総本山。
「そっかー……あ」
「ぁ……」
アイリーンが何かに気づき、続いてフレッドが弱々しい声を上げる。それに釣られて、ナナはアイリーン達の視線の先を見る。
「お迎えにあがりました」
そこに立っていたのは、黒を基調としたキャソックを身にまとった三人の男だった。立っていた、というよりは、片膝をついてこちらを敬っている様子だ。
恰好からして、魔導教会の神官だろう。
お迎え。
「ああ……じゃあ、ここでお別れだね」
ナナが少しだけ残念そうに言葉をこぼす。
アイリーンも少し寂しそうではあるが、ナナを心から祝福しているのが見て取れた。
「うん……今までありがとう。還神祭、がんばってね!」
「うん!」
ナナはアイリーンに笑顔を見せると、未だに押し黙っているフレッドを見る。
彼はアイリーン以上に「寂しい」という感情が大きいようで、昨日からずっと顔色が悪い。
「フレッド、私頑張るから、見ててね」
「……還神祭の儀式は、外からは見えねえよ」
フレッドは俯いたまま、ぶっきらぼうに言い捨てる。
するとナナはフレッドの手を取り、彼の瞳をまっすぐ見て言った。
「でも、見ててほしいの」
「…………ああ」
フレッドはそう言って頷いた。
ナナは「うんうん」と頷き返すと、踵を返して迎えの神官たちの方へ歩いていく。
フレッドが歯ぎしりしていたことに、ナナは気づかなかった。
三人の神官たちに連れられて、ナナはグレゴリオ大聖堂の奥へと連れてこられた。大聖堂内に入ったことは何度かあるが、それらは全て祈りのため、 にお邪魔しただけだった。
これほど奥まで入ってきたのは初めてだ。
「ここでお待ちください」
「はーい……」
神官たちは一礼すると、踵を返してどこかへ行ってしまった。
ナナは軽く返事をしながらあたりを見回す。
「誰もいないのかな……」
そこは小さな部屋だった。
床や壁は真っ白な大理石で作られており、神聖な雰囲気を醸し出している。窓の外には青空が広がっており、風景を見るにかなり高いところにある部屋のようだ。
「ナナ」
名を呼ばれ振り返る。
そこには見慣れた黒髪があった。ナナの心にあった不安がわずかに薄まる。
「師匠! いたんですね」
「ずっといたよ。そこ座って」
カレンはそう言って、自らが座る椅子の向かい合わせになっている椅子を指差す。ナナは言われた通り座りながら、ティーカップで何か飲んでいるカレンへ問いかけた。
「師匠は還神祭の儀式に立ち会えるんですか?」
「うん。というか、私は付添人的なアレだ。なんか飲む?」
そう言ってカレンはカップにコーヒーを注ぐ。そして角砂糖をつまみ、一つ二つとカップに入れていく。
「あ、いただきます。……おいしい」
「ね」
かなりの量の角砂糖を入れたが、ナナは甘党なのでこれくらいがちょうどいいらしい。二人しか使っていないとは思えないほど、角砂糖入れの容器は軽くなっている。
ナナはふと、立て掛けてある時計に目を向ける。
「もう11時ですね」
「ああ、あと一時間だね」
ナナの呟きに、カレンは優しく答える。
ナナは再びコーヒーに口をつけながら、昨日のことを思い出していた。ナナが生贄に選ばれたことを知ったときの、みんなの声を。
『選ばれたんだって? すごいじゃないか』
『天界神様に気に入られたってことだよね』
「……」
ナナは考える。
「…………」
自分は今。
「………………」
「ナナ?」
「……へ?」
急に声をかけられ、視界が一気に鮮明になる。どうやら考え込んでしまっていたようで、カレンが不思議そうな顔でこちらを見つめている。
「あ……ああ、すみません。ちょっとボーッとしてました」
「そう?」
カレンは特に追求してこない。
自分は少し疲れているようだ。そう思ったナナは頭を軽く振ると、残りのコーヒーを一気に飲み干す。
喉が渇いていた。
「ねえ、ナナ」
「はい?」
カレンが問いかける。
「ナナは、生贄になってもいいの?」
「っ……」
突然の質問に、ナナは一瞬声を詰まらせる。瞳孔が開き、動きが止まる。
しかしすぐに持ち直し、わずかにうつむいて返答した。
「……はい」
「どうして?」
カレンはあくまで優しく、迫ることなくナナに問いかける。そのおかげか、ナナはとどまることなくスムーズに話すことができた。
「還神祭の生贄ってことは、替えが効かない、私にしかできないことなんです。私が生贄になれば、天界神様への捧げものになって、みんな平和に暮らせるんです」
言葉がスラスラと飛び出してくる。
何も恐ろしいことなどない。死が怖いわけはない。知っていた事なのだから、なんの問題もない。
それでも、声が震えている。
「それって、とっても嬉しい事じゃないですか」
笑顔が揺らいでいる。
「聞き方が悪かったね」
そう言ってカレンは立ち上がり、ナナの目の前まで近寄ってくる。
そしてナナと目を合わせると、もう一度問いただす。
「ナナはどうしたいの」
「だ、だから、私が死ねば……」
「そうじゃなくて」
カレンはまっすぐナナを見る。
その小さな顔で、瞳で、正面から見つめる。
「ナナは、どうしたいの」
「────────し」
すっと、こぼれてきた。
涙が、言葉が、押しとどめる意思をはねのけて溢れだす。
それは、言ってはいけなかったのに。
「────死にたく、ないです」
「それを待っていたんだ」
カレンはナナの手をとった。
その小さな手を、より小さな手でとった。
繋いだ手から、静かに風がそよぎだす。
「え、え……?」
「しっかり捕まっててね」
涙がまだ止まっていないナナの手を引いていく。
もう予定は立った。先は決まった。
「な、何を……?」
「────逃げるよ、ナナ」
瞬間、風が突風に変わる。
部屋中を掻き回す風が吹き荒れる。
そしてその風が天井を突き破り──
「──わ──わわ」
身体が浮いた。
部屋を飛び出し、宙へ舞い、勢いよく空へ放り出される。
そして身体が加速する。
「し、師匠、逃げるって、そんな──!」
「だって、死にたくないんでしょ?」
そう言っている間にも、ナナたちは聖堂からどんどん遠ざかる。空をかける竜のような速さで風を切っていく。
ナナは今、空を飛んでいた。
「でも、私にしか、できないって──」
「ナナにとって」
ナナの言葉を遮るように、カレンははっきりと言葉を紡ぐ。
小さな腕で抱き寄せて、優しくゆっくりと。
親が子へ言い聞かせるように。
「ナナにとって一番大事なものは、ナナの本音だよ」
「ほ……本音……」
ナナの本音。
カレンはもう、それを知っている。
「それが決まったら、あとはその道を進めばいいんだ」
「ぁ……ぅ……ぅぅ……」
また泣き出してしまったナナを抱え、カレンは飛び出してきた大聖堂を確認する。
既に2キロメートル以上離れていたが、何かがこちらに近づいてきているのが見えた。
追手だ。
「速いな……けど」
そう呟いて、カレンは人差し指を振る。
するとその指先から炎が膨れ上がり……
爆発。
凄まじい轟音を響かせて、火薬に触れたかのように炎が爆発する。あたり一体が硝煙に包まれて、空気が一気に熱を帯びた。
「ふっふー」
カレンはニヤリと笑うと、そのまま加速してその場から離脱する。景色がだんだんと小さくなり、空気を切る音が大きくなる。
「さて、宣戦布告だユースティア。ナナは渡さないよ。絶対に」
もう見えなくなった大聖堂に向け、カレンは言葉を吐き捨てた。
ここから始まる。
これが私の
魔法使いと少女の旅だ。
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